「そっか。」
カガリはストンとベンチに座ると
ハイヒールを脱ぎ足を抱え込んだ。
「実は私も、
もう少し外の空気を吸っていたい。
あぁ、頭痛はもう大丈夫だ。
だけど、ちょっとな。」
小さくなったカガリを見て、
「何かあったのか?」
アスランは穏やかに問いかける。
アスランの声を耳にして、
気持ちが一足飛びに晴れていくのをカガリは感じていた。
「アスラン、何かあったろ。」
真直ぐ見つめる瞳、それはいつも本質を射抜く。
だから嘘がつけない。
アスランは視線を空に戻した。
空の淡紅と茜の色彩は姿を消し、
藍色の中で星が瞬いている。
ゆっくりと息を吐き、アスランは思っていることをそのまま口にした。
「カガリ。
あの時確かに、父上は死んでいたたよな。」
その問いに真直ぐ答える。
「うん、間に合わなかった。」
あの時の光景に思いを馳せ、カガリは目を伏せる。
「すまない、おかしなことを聞いた。」
アスランはそのままの表情で口をつぐんだ。
――やっぱり、何かあったんだ。
報告にあった2機のMSと関係が・・・?
カガリはアスランのジャケットからネクタイを引っ張り出した。
「やってやる。」
カガリはネクタイをアスランの首にかけた。
「いいって。」
少し照れたようにアスランが断る。
「いいからっ。動くな。」
こうなったらカガリは止まらないことを、アスランは良く知っていた。
「結び方、知っているのか?」
痺れた心がほどけるように
自然と表情がやわらいでいくのが分かる。
「お父様のネクタイを結んだことが・・・」
しゅるしゅるしゅる。
ネクタイがカガリの手を滑り落ちる。
「あるはず・・・なんだけど・・・。」
しゅるしゅるしゅる。
ネクタイを引くと、手品のように結び目がほどけていく。
「あれ?」
両手でネクタイを持ったまま、カガリはきょとんとした顔をする。
アスランは微笑み、
カガリの両手に手を添えた。
カガリは頬が染まるのを感じ、反射的に顔を伏せた。
「いいか、先ず交差させて・・・」
と、アスランは過去がフラッシュバックしてくるのを感じた。
――母上に抱かれて、父上のネクタイを結ぶ・・・。
『最初に交差させて、くぐらせて・・・。』
記憶の中のアスランは、母の腕のぬくもりと
目を細める父の間で、楽しそうにネクタイを結ぶ。
幸福な家族の、まばゆいような風景。
『最後にここを通して・・・、できたっ。』
満面の笑みで父に顔を向ける。
それを受け止めるやわらかな笑顔。
『よくできたな。
ありがとう、アスラン。』
父の暖かな低い声。
大きな手がアスランの頭を撫でる――
「わかった!
ここをくるっと回して、最後にここを通して・・・、
できたっ!」
満面の笑みで顔を向けるカガリ。
アスランの現実と過去が重なりあい、
溶けあう。
――よくできたな。ありがとう・・・。
過去の言葉が脳裏で繰り返される。
その言葉が発せられたその声・・・。
過去の声・・・、
いや現実の・・・。
気が付くと、
アスランはカガリの頭を撫でていた。
眼下から聴こえる笑い声に、アスランは現実に引き戻された。
「褒めてくれているのか?」
見れば
カガリが可笑しそうに笑っていた。
「あっ、ごめんっ。」
カガリの頭から手を離すと、
きちんと結ばれたネクタイを見て
「ありがとう。」
と、どぎまぎしながら礼を言い、
ふーっと深呼吸した。
「俺も父上のネクタイを結んだことがあったと、
急に思い出して。」
アスランは小さく肩をすくめた。
「その時、頭を撫でてもらったのか?」
「あぁ。あの時の俺と君を重ねて見てしまった。」
「いい思い出だな。」
「そうだな。」
アスランの目によぎる一抹の影を、
カガリは見逃さなかった。
――アスラン。
そう声をかけようとした時、
アスランはカガリを真直ぐ見つめた。
鼓動が胸を打ち、思わずカガリはぴんっと背筋を伸ばした。
「今夜少し時間を作ってくれないか。
話したいことがある。」
――推測の域を出ていないが、
カガリにはちゃんと話そう。
もし俺の推測が少しでも現実のものとなったら・・・。
「わかった。」
カガリは今のアスランを受け止めたように、頷いた。
「アスラン、マトリョーシカって知ってるか?
こんなのか?
おばけか?」
カガリはブランケットを頭から被った。
アスランは笑いながら答えた。