9-7 絡めた指先に





「DDR部隊って、もともとアスランが提案したんだったよな。」

カガリから振られた突然の話題に、アスランは面食らった。
さらにカガリは教科書を暗唱するように続ける。

「Disarmament,Demobilization & Reintegration、
武装解除、動員解除そして社会統合、その頭文字をとってDDR。
旧世紀、まだ国連が機能していた頃に取り組まれていた紛争解決プログラムの一つ。」

「Disarmament武装解除で、紛争下の武装集団に銃を降ろさせ、
Demobilization動員解除で、武装集団の組織を解体し、同時に再動員、再軍備を阻止し、
最後のReintegration社会統合で、戦士に労働という社会的役割を通して、一般社会に統合する。
この3つのシークエンスを通して紛争下の戦闘員を人に還し、
戦場に秩序と安全をもたらし、
そしてその地の民の手が、新たな社会を作り出す。」

カガリは一旦言葉を切ると、ふーっと溜息をついて、
アスランに視線を流した。

「アスランが・・・、言ってたよな。
DDRにおいて最も重要なことは、恒久の中立性だと。
オーブの戦う理由は和解と共生であり、
それがオーブの正義だと。」

そのDDRをオーブこそ担うべきであると、アスランが提案したのは
先の戦争が終結し、世界中で一日も早い復興が叫ばれていた頃であった。

カガリはそっとソファーの背もたれに身体を預けた。
自然と宇宙を仰ぐような格好となったカガリは、その瞳に過去を描いていた。

「あの時。
戦争が終わって、でも世界ではいくつも紛争が起きていて。
連合から、『紛争解決のための協力要請』って名前の圧力が掛かって・・・。」

当時、戦後の混乱によって誘発された各地の紛争を、
連合は武力によって鎮圧しようとしていた。
武力のひとつとしてオーブの軍事力を利用しようと、連合は何度もオーブに圧力をかけてきたのだ。
連合は国際平和の実現という大義名分の盾を持ち、
オーブを永世中立の城壁に閉じこもる利己的な国だと、痛烈に批判した。

カガリは深い溜息をついた。
アスランは続くであろうカガリの言葉を待った。

「オーブは戦勝国であっても、正直あの頃は体制が磐石ではなくて・・・
連合に屈することは無くても、何事も無く終わることは難しいだろうって、
私はそう思っていたんだ・・・。」

そして、アスランを真直ぐに見据えて、真実を告げた。
その瞳には、代表首長としての威光が宿っていた。

「オーブを信じていた。
決して屈することなく、理念を貫くのだと。
しかし私は、万が一の時も、覚悟していた。」

連合に屈して軍事同盟を結ばされた戦後の過ちを二度と犯さず、
オーブは永世中立を貫き、他国への干渉は行わないと。
そのために努力を惜しまず、あらゆる手を尽くし、人を尽くすのだと。
しかし、オーブの理念を貫くために、国際的な政治摩擦が発生し、
それが戦争へと引火する蓋然性は拭いきれなかった。
戦後という世界情勢が不安定な時期であり、さらに国家の基盤が磐石でなかった分、
その蓋然性は膨らむばかりだった。


そしてカガリは、か細い声で心を明かした。

「でも本当は、
恐かったんだ。」


その表情は代表首長のそれではなく、人として当たり前に抱くものだった。
カガリは震える掌を押さえ込むように、ぎゅっと両手を握り締めた。

「もう一度、オーブを戦火に巻き込んでしまうのではないか、と。
オーブの理念が戦争の引き金となるのではないか、と。」

そして、小さく首を振って言葉を改めた。
その拍子に肩で跳ねた金糸が揺れて、儚さが薫った。

「今回は無事に治めることができても、次はどうなるかわからない。
ずっとオーブは、この問題の危険性を孕み続けるのか、と。」

ぎゅっと唇と噛み、カガリは言葉をくぎった。
言葉を重ねれば重ねるほど、当時のカガリのありのままの感情が溢れてくる。
アスランは、当時カガリがたった独りで抱え続けた恐怖と不安を打ち明けられ、
締め付けられるような痛みを覚えた。
どれほど辛かったであろうか、と。

そして、あの時も今も、カガリに寄り添うことが叶わない
自分自身に憤りを感じずには居られなかった。


「カガリ・・・。」


静かに響くアスランの声に耳を澄ませて、カガリは切なさに視界が揺らめくのを感じた。
こんな時に泣くなんて、おかしい。
でも、どうしてだろう、泣き出したいような衝動が喉元までこみ上げてくる。
カガリはチュニックの裾をぎゅっと握り締めて、
全てを鎮めるように深呼吸して、カガリは懸命にアスランに伝えようとした。


「だからな、アスラン。
アスランがDDR部隊の提案をして、実働化へむけて組織化してくれて。
オーブの理念と正義が、世界の平和に資するものなんだって、示してくれて。
私は、すごく嬉しかったし、
どんなに心強く思ったことか。
アスランを、誇りに思うんだ。それから・・・。」


しかし、どんなに懸命に言葉を紡ごうとしても、声は溢れる感情に塞き止められて、
ただ涙が滲む。

こんな時に泣くなんて、おかしい。
アスランを、困らせる。
そんなの、嫌だ。

カガリは血の気が引くような感覚に襲われ、握り締めた手に力を込めて、
でも感情までは消せなくて。


「カガリ・・・。」


アスランが名前を呼ぶ声があまりに優しくて、
静かに待っていてくれることが分かる。
だからカガリは決壊する想いのまま、言葉を止めることが出来なかった。

「今回の紛争のDDR部隊の指揮を執るのに、アスラン以上にふさわしい人材は居ないって、分かってる。
資質も能力も問題無い、きっと任務を遂行して、あの地に平和をもたらすと信じてる、でもっ。
でも・・・。」

――行かないで・・・。
   傍にいて・・・。

そう言ってしまいそうで、カガリは想いを飲み込むように俯いた。


その拍子に跳ねた髪がむき出しの肩の上を滑り、アスランは眼を奪われる。
カガリの肩があまりに細く儚いから、この手を伸ばして抱きたくなる。


――君を護りたい、
   触れられる程、君の傍で。

それは胸の内でずっと抱き続けた切望だった。
しかし、今この世界で、それは叶わない。
嘗て、君の傍に居ても、君を護り抜くことは出来なかった。
そして今、君を護ることは出来ても、君の傍には居られない。

だから。

アスランは、そっとやさしくカガリの右手を包んだ。
言葉にすることは叶わない、ありったけの想いを込めて。

「必ず還ってくる。
オーブへ。」


カガリは俯いたまま、小さく頷いた。
その拍子に零れ落ちそうになる涙を、堪えるので精一杯で、
顔を上げることが出来なかった。

だから。

重なるアスランの掌にそっと指を絡めた。
信じてる、そう呟いて。

 

 

アスランがオーブを離れたのは、その3日後だった。
全てを終えてもう一度戻って来られるのだと、信じていた。

 


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