9-6 優しい時間
辞令交付式を境に、
どうしようもなく、
自分を支える強さが頼りなく細まっていく。
それを止めることが出来なかった。
広がる不安の加速度に置いていかれるような気がして、
今夜はひとりで居たくなかった。違う、
本当は、
アスランに会いたかった。
ネクタイを緩めるアスランの仕草が妙に男っぽく見えて、
カガリは気持ちが溢れる前に声を出した。「それ、流行ってるらしいな。」
カガリが何を指しているのか分からなかったのであろう、
アスランはきょとんとした表情で瞬きを繰り返し、
今度は幼さを思わせる仕草を見せる彼にカガリは笑みを零した。「ジャケットの下にワイシャツとネクタイ。」
アスランは、戸惑いがちな笑みを浮かべて薄く頷いた。
「今日アンリに言われるまで、流行っているなんて気が付かなかった。
代表は、このような格好をどう思われますか。」わざと畏まって問うアスランに、
カガリはソファーから投げ出した足をパタパタさせて笑った。「あぁ、私は好きだ。
むしろ、私もネクタイしたいぞっ。」小さな手をきゅっと握った拳を作って力説するカガリに、
今度はアスランが笑い声を上げた。
「なぁ、そのネクタイって、お父様のだったりするのか?」
カガリの鋭い問いに、アスランは驚きを隠せなかった。
「アンリから聞いたのか?」
するとカガリは、想いを馳せるように遠くを見詰めて言葉を続けた。
「いや、キラとラクスの婚約レセプションの時に、アスランの思い出聴いてたからさ。
そうだったらいいなって。」誰かの思い出さえも大切にしようとするカガリの優しさに、
アスランは瞳を緩く細めた。「昔、父上に贈ったもので・・・。
オーブへ戻る前に拝借してきた。」そっか、と呟いて、カガリはアスランのネクタイに触れた。
まるで、思い出に寄り添うように。「きっと、お父様も天国で喜んでると思うぞ。
アスランが今も、思い出を大事にしてて、
こうして、ネクタイしてて、さ。」カガリはふわりと唇を結んでアスランを見上げた。
想いが重なるように視線が絡んで、
お互いの瞳の中にただ自分だけが映っていて。そして、2人同時に頬を染めると勢い良く視線を外した。
「わわっ、ごめんっ。
馴れ馴れしかったなっ。」「・・・いや・・・。」
不自然な沈黙が2人の間に落ちて、
アスランはたどたどしくも、至極優しい声で言葉を紡いだ。「父上も、覚えていて下さっていたらと、思う。
俺にとっては、大切な思い出だから。」アスランらしい控えめな言葉に、カガリは高ぶる想いそのままに力強く応えた。
「きっと覚えていらっしゃったと、私は信じるぞ。」
不思議だと、アスランは思った。
カガリが言葉にするだけで、それが自分の真実になっていくように感じた。「ありがとう。」
太陽の光で霧が晴れ渡るように、
不確かさや不安が消え去って自分の素直な想いが見えた気がした。
アスランは、うっかりカガリに癒されている自分に気付き
苦笑を誤魔化すようにマリューが用意したコーヒーに口に含んだ。――俺の方が、話を聴いてもらってしまったな・・・。
アスランは、辞令交付式の時に見たカガリの瞳が焼きついて離れなかった。
何か言いたげで、でもその何かを言葉に出来ないような、
感情が揺らめくような眼差しだった。先の戦争を境に、カガリは為政者としての威厳をより一層纏うようになった。
持ち前の感受性により、移り変わる季節のように表情が豊かであることは変わり無いが、
決して揺らめかず、その歩みがぶれることは無い。
それは、カガリの胸に決して絶えることのない信念の火を燈しているかのようだった。だからこそ、アスランは辞令交付式で垣間見たカガリの表情の機微を重く見たのだ。
抱えきれない程の感情を、独りで受け止めようとしているのではないかと。
今、カガリを独りにしてはいけないと、
気が付けばアスランはムゥに連絡を取っていた。
“カガリの話を聴いてほしい”と。
アスランはコーヒーをローテーブルに戻しながら、そっとカガリの様子を窺った。
先の会話の調子から、特に変わったところは見受けられない。
もしかしたら、既にムゥとマリューに打ち明けることで気持ちが晴れたのかもしれない。
思いやるように思考していたアスランが問うより先に、カガリが切り出した。あの頃の話をしよう、と。
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