9-27 月光
「アスランってさ、
今もこういうの夢だったりするのか。」ウィルを間に挟んでカガリは問うた。
「こういうのって、家族みんなで横になることか。」
アスランの問いにカガリは素直に頷いた。
アスランは視線を流して思考していたが、
カガリは笑いながら先手を打った。「“現実的に考えたことは無かった”なんて答えは
無しだからなっ。」アスランは同じ言葉を言おうとしていたため、眉尻を下げて笑うしかなかった。
その仕草にカガリは頬を膨らましたが、“あ”っと息を飲んだ後控えめに尋ねた。「アスランって、ラクス以外とは子どもを望めないのか?
2人は対になる遺伝子を持っているから・・・。」その事実を思い起こして、カガリは切なさを押してウィルに視線を移した。
もしもアスランが子どもを望んでも、相手がラクス以外では叶わないのならば
アスランは望まないだろう。――それなのにあんなことを聴いて、無神経だったかな。
カガリの胸にあった感情はそれだけではない。
心がざわめくのは今も、きっとこれからもずっと、アスランとの未来を見ていたいからだ。
それが叶うのかも、望めるのかも分からないのに。そんなカガリの胸の内とは裏腹に、
返ってきたアスランの声は思いの他淡々としたものだった。「確かに“対になる遺伝子”を持っているけれど、
“対になれる遺伝子”とも言えるから。」カガリはアスランが言っている意味が分からず、ぱちぱちと瞬きを繰り返し
そんな仕草がツボだったのであろう、アスランはくすくすと笑みを零して続けた。「問題になるのは遺伝子の配列と、操作数なんだ。
対になる遺伝子の配列を持っていれば、子孫を残すことができる可能性が高まる。
しかしパートナーが“対になる遺伝子”を持たない場合、
互いの遺伝子操作数に左右されることになる。
遺伝子の操作回数に比例して、子孫を残すことが出来ない可能性が高くなるから。」「俺の場合、他のコーディネーターに比べて遺伝子を操作した回数が少ないんだ。
その証拠に、アレルギーがあるコーディネーターは珍しい。」カガリは、アスランは青魚が苦手だったことを思い出して頷いた。
「俺は確かに、ラクスと“対になる遺伝子”を持っているけれど、
遺伝子操作数が少ない点から
“対になれる遺伝子”を持っているとも言えるんだ。」
現実的に考えて、対になる遺伝子を持つ相手が一人だけであれば、
それこそ種の反映に支障をきたすであろう。
片方が不慮の事故で亡くなれば、もう片方は子孫を残すことが出来なくなる。
そんな非効率的かつ現実味を欠けた政策をプラントが打ち出すはずはない。
そこまで考えれば、「対になる遺伝子」という言葉は
「運命の赤い糸」と同じ、“言葉”であるだけなのかもしれない。
そしてカガリはふと思うのだ、
ずっと前からラクスはそれを知っていたのではないか、と。
さらにアスランは続けた。「遺伝子の操作数が多いのはラクスだ。
母方の血統は遺伝性の疾患を持っていたようで・・・、
それを改善するために手を尽くされたそうだ。」“そっか”、そう呟いたカガリは言葉をつづけた。
「キラとラクスは、アスランとラクスが“対になる遺伝子”を持っているから
子どもを望めないのだと思っていたけど、そうじゃないんだな。」カガリは微かな希望を見出そうとしたが、
続くアスランの言葉は厳しいものだった。「同じ理由で、ラクスのパートナーがキラの場合
2人の間に子どもを望むことは難しい。」「どうしてだ?
だってキラは第一世代、ファーストなんだろう?」「キラの遺伝子の操作回数はラクスが比にならない程、
それこそ不可能な程多いんだ。」人類の能力を最大限に拡張したスーパーコーディネーターとして創られたキラは、
ラクス以上に遺伝子を操作されている。
事実、アスランはfreedom trailに記された研究成果を見て、
その回数の多さと複雑さに愕然とした程だ。「じゃぁ、無理・・・なのかな。」
「いや、可能性はある。」
その言葉は希望を抱いている筈なのに厳格な響きを持っていた。
「freedom torailが本当に完成されていれば、
いくらラクスの遺伝子が特殊であろうと子どもを授かることは不可能ではない。」「それってっ・・・。」
思わずカガリは半身を起した。
アスランを見詰めるカガリの脳裏に、ヴィアの研究日誌のデータが蘇る。
暁内部にウズミが遺したデータの内のヴィアの研究日誌から
理論上はfreedom trailの完全なる完成が記されていた。
しかし、freedom trailの研究でまだ証明されていないことがある。
それは、スーパーコーディネーターの生殖能力だ。アスランはゆっくりとウィルの頭を持ち上げ腕を抜くと、
射抜くようにカガリを見詰めながら、事実をたんたんと述べた。「キラとラクスの間に子どもを授かる可能性はゼロではない。
しかし、子どもを授かれば、同時にキラは証明することになる、
freedom trailの完全なる完成を。」カガリは息を飲み、そのまま部屋に沈黙が落ちた。
ベッドカバーにカガリの細い影がくっきりと浮かび上がる。
キラとラクスが子どもを授かること、それは2人に喜びをもたらす筈なのに。
どうしてキラは、あまりに重い宿命を負うのだろう。
「カガリ・・・。」アスランに名を呼ばれても、カガリは定まらぬ視線を彷徨わせたまま動かなかった。
そっとカガリの肩に手を置いた。
薄手のネグリジェからむき出しになっている肩は
宵の空気に染まるように冷たくなっていた。「カガリ、風邪をひくだろ。」
アスランが優しく声をかければ、カガリは繊細な睫を震わせてぎこちなくも頷いた。
しかしまだショックから抜けきれないのであろう。
カガリはベッドカバーをぎゅっと握りしめた。「どうしてキラだけが、そんな宿命を負わなくちゃいけないんだっ・・・。
私にも半分背負わせろ。」潤んだ瞳を細めて緩く首をふるカガリに、アスランは分かり切ったことを思う。
君は優しすぎると。
誰の気持ちにも寄り添って、自分のことのように一生懸命になって。「カガリがそんな顔をしては、キラが哀しむ。」
アスランの言葉にカガリは唇を噛んで俯いた。
「キラならきっとこう言うだろう。
“君は君を大切にして、笑っていてほしい”と。」そのアスランの声にキラの声が重なるように聴こえた。
“アイツは優しい奴だから”、そう言って過去を描いた瞳を細めたアスランに
カガリは詰め寄った。「でもっ。」
「カガリが納得しなくても、キラは君の夢を大切にするだろう。
俺も同じように思うから。」
コーディネーターという人種が、
ガラスの天井によって未来を遮られる宿命を負っていても。――俺は君の夢を大切に思う。
同じようにキラも、スーパーコーディネーターとしての自分の宿命を受け止めて
きっと君の夢を願うだろう。――君が誰かの哀しみに振り返り、立ち止り、
夢から手を離すことを望まないだろう。でも。
アスランは困ったように微笑んだ。――きっと君のことだ。
自分のことを後回しにして、誰かの哀しみに寄り添って
同じ涙を流してくれるんだろうな。誰よりも篤く優しい君だから。
アスランはカガリの肩に置いた手を滑らせて、
ベッドカバーを強く握りしめるカガリの手を掬い上げた。
ふわり、片手に突然の浮遊感を覚え、カガリは驚いた瞳をアスランにさらした。「君の夢は?」
アスランの突然の問いに意識がついて行けず、カガリは瞬きを繰り返す。
アスランは繋いだ手を軽く揺らして問いかけた。「君も、こんな風に
家族と共にあることが夢なのか。」「・・・え、わ、私は・・・。」
アスランは戸惑いを隠せないカガリの心を落ち着かせるように
穏やかな微笑みを浮かべた。「俺は、憧れるよ。
いつか、こんな風に・・・。」そう言って優しい眼差しをウィルに向けるアスランに、カガリの胸は熱くなる。
アスランといると心が静かに安らいでいくから、
優しさに包まれたまま本当の想いが溢れてしまう。
カガリはアスランの手を握り返し、想いのままの言葉を口にしていた。「私も憧れてる。
いつか、愛する人と――」無意識に、
それが自然なことのように、
アスランとカガリの眼差しが重なる。
まるで2人の未来を重ねるように。
あなたと。
君と。
いつか。
深海のような静けさと、香るようなぬくもりの中、
柔らかな月明かりが2人に等しく降り注ぐ。
月の光が照らすのはずっと描き続けてきた、夢。
繋いだままの手が熱を持ちだしても、
2人は重ねた眼差しを引きはがすことが出来なくて、
淡やかな月明かりでも分かるほど頬に朱が差していった。
鼓動は痛い程に胸を打ち、
どうしたらいいのか分からないから何か言わなくちゃと、そう思うのに
吸い込んだ息が胸に届く前に渇いた喉元で止まってしまう。どうしよう。
そう思うは、繋いだ手にある答えを
答えとすることが出来ないからだ。
今はまだ、この手を引き寄せて抱きしめることは出来ない。
重ねた未来を確かめあうことは、出来ない。どうしよう。
そう思うたびに、カガリの瞳に涙が溜まっていった。
未来が欲しいと、心から思う。
あなたと共にある未来が、
欲しい。
←Back Next→
Top Blog(物語の舞台裏)