9-24 小さな願い





「アスラン、カガリ。
僕のパパとママになって。」

――え・・・。

ウィルの声から切実さが伝わって、
しかしアスランは“Yes”以外の伝えられる言葉を探した。
何故なら、
2人は恋人でも、婚約者でも、夫婦でも無い、
それ以前に想いを伝えあうことさえ叶わない。
アスランはなにげなさを装ってカガリの方へ視線を向ければ、言葉に詰まっているようだった。
自分に出来ることであるならウィルの願いを叶えたいと想う気持ちに嘘は無かった。
しかし、叶えられない願いであることをどうやって告げればいい。

――こういう時、嘘はつきたくない。

柔らかな嘘も大人の言い訳も、最後に子どもを哀しませることにつながるだろう。
アスランは苦味を帯びた表情でウィルの肩に手を乗せた。

「ごめんな。
俺とカガリは――。」

その言葉をウィルが遮った。

「わかってる。」

アスランは言葉を失った。
ウィルの丸っこい瞳はしっかりと真実を捉えているように感じられたから。
ウィルはアスランとカガリの手をきゅっと握って、続けた。

「僕の本当のお父さんとお母さんは、
戦争で死んじゃったんだ。」

それは、ウィルと血がつながった両親で、

「本当のお父様とお母様は、
今日死んじゃったんだ。」

それは、新しい家族で、

「僕の本当の家族は、
みんな死んじゃったんだって、わかってる。」

その全てが、ウィルの本当の家族だった。

「アスランとカガリは、僕の本当のお父さんとあ母さんじゃないって、
僕は知ってる。
本当のお父さんとお母さんになれないことも、知ってる。
でもね。」

感情は、音もなく心から溢れて
ウィルの丸みをおびた頬を、涙が滑って行く。

「僕ね、何も出来なかったんだ。
お父さんとお母さんのことは、覚えてないんだ。
お父様とお母様とは、これから・・・、いっぱい・・・。」

嗚咽で歪んだ口元一生懸命引き結び、ウィルはカガリとつないだままの手の甲で涙をぬぐった。

「いっぱいね・・・、お手伝いしようと思ってたんだ。
いっぱい、遊ぼうと思ってたんだ・・・。」

ウィルはあの3日間で、ライヒヴァイン夫妻を大好きになったのだろう。
描き続けた夢が叶って、しかし夢の中で生きる前に手が届かない場所へと奪われた。

ウィルは大きな瞳にたまった涙を瞬きで落として
両手でつないだアスランとカガリの手を握りなおした。

込められた力は、小さくとも熱く強かった。

「だからお願い。
今日だけでいいから・・・僕のパパとママになって。」

ウィルは知っている。
家族は蘇らないことも、
夢を亡くしたことも、
“今”という時が“明日”には消えてしまうことも。
あまりに残酷な現実を澄んだ瞳で見つめ
小さな胸で受け止め続けてきた。

アスランは顔を上げウィルからカガリへ視線を移すと、
同じようにカガリもこちらを見ていた。
重ねた視線に、答えはひとつだった。
アスランとカガリは互いの意思を重ねるように頷いて、
ウィルへあたたかな面差しを向けた。

「わかった。
今から俺がウィルのパパで。」

「私がウィルのママだ。」

ウィルは顔を上げると、驚いた瞳でアスランとカガリを見上げた。
その先には穏やかな微笑みがあって、
心を無条件の安堵が満たしていって、
喜びに湧き上がった笑顔はそのまま泣き顔に変わった。
ウィルは堰を切ったように泣き出した。
喉が枯れる程声を上げて、子どものままに。

アスランとカガリは顔を合わせると眉尻を下げて笑って、
カガリはウィルを抱きしめ、アスランは頭を撫でた。
幼いころ、家族がそうしてくれたように。

 



 

「落ち着いたか。」

穏やかな声でアスランが問えば、カガリの腕の中から顔を上げたウィルは
照れくさそうに目元をこすって頷いた。
カガリが壁にかかったアンティーク調の時計に目をやれば、既に深夜を指していた。

――ママだったら子どもたちを寝かせる時間なんだろうけど。
   でも、特別な夜だもんな。

ウィルが望むようにしようと決めたカガリは、しっかりと瞳を合わせてウィルに問うた。

「さ、ウィル。どうする?
遊ぶか?探検でも、木登りでもいいぞ!」

カガリの提示した遊びがあまりに彼女らしくて、アスランはくすくすと笑みを零した。
きっと探検も木登りも、カガリが幼い頃に気に入っていた遊びなのだろう。

――カガリが母親だったら、きっと子どもは毎日楽しいだろうな。

おっとりとそんなことを考えていたアスランは、
カガリと自分の間で腕を組んで考え込んでいるウィルの小さな仕草を見逃さなかった。

「ふわぁ・・・。」

ウィルは小さなあくびをし、首を振っては懸命に考え込んでいる。

――ウィルはひょっとして・・・。

アスランはウィルの顔を覗きこんで、ゆっくりと問うた。

「眠たいか?」

ウィルはピクリと肩をゆらして、ちょこんと頷いた。
するとカガリは笑みを零して、ウィルの背中をぽんぽんと叩いた。

「今日はいろんなことがあったからな。
ゆっくり休もう。」

ウィルにとっては大人が思う以上に長い一日だった筈だ。
アスランがウィルを抱き上げると、
カガリはパタパタと駆けだして先回りをし、寝室の扉を開いた。

一国の代表が宿泊する部屋はさすがに最高級の造りになっており、
それは家具ひとつをとってもそうだった。
寝室に据えられたキングサイズのベッドに施された装飾は美しさの中にぬくもりを持ち
自然と安らかな気持ちにさせる。
アスランがウィルを下ろすと、カガリはウィルを包むようにやわらかなキルトを掛けた。

「枕の高さはこれで平気か?」

カガリが床に膝をついてウィルの枕もとを整えていると、
ウィルは手を伸ばしてカガリのそれを捕まえた。

「ママも、一緒に寝てくれる?」

ウィルの体の何倍もあるベッドで一人きりでは心細いのであろう、
カガリは笑みを深めるとウィルの手を握りなおして応えた。

「もちろん、一緒に寝ような。」

そんな2人のやり取りと見守っていたアスランは、
寝室の窓のロックを確認するとカガリに告げた。

「じゃぁ、俺は戸締りをしてくる。」

「あ、私も手伝うぞっ。」

ぱっと顔を上げて振り返ったカガリに、アスランは穏やかな声で応えた。

「いい、直ぐに終わる。
それよりも、君はウィルの傍に。
俺はリビングに居るから。」

当然のことながら、アスランはカガリと同じベッドで寝る訳にはいかない。
この寝室にはエキストラベッドは無く、あったとしても同じ部屋で寝ることも憚られるだろう。
しかし、今夜アスランはウィルのパパなのだから少しでも近くに居いたいと思うし、
リビングに居れば万が一の場合は2人を護ることができる。

アスランは手を伸ばしてウィルの髪をくしゃっと撫でた。

「ウィル、おやすみ。」

そう言って立ち上がったアスランは、シャツの裾が引っ張られる感覚に振り返る。
視線の先で、ウィルが両手で裾をつかんでいた。

「パパも、一緒に寝るでしょ?」

思いもよらないウィルの言葉に
アスランの時が止まる。

――え・・・?
   今何て言った・・・?

ウィルの大きな瞳は真っすぐにアスランを捉え、裾をくいくいと引っ張っては応えを求めた。

「ね、パパも一緒に寝るでしょ?」

二度目の言葉に、アスランはこれが現実であること、
さらにウィルが裾を掴んで離さないように、この小さな願いは聴き届けねばならないことを知る。
しかし、息が止まったまま無意識に体は熱を持ち始めて、
瞬きをするのがやっとだった。

――まずいだろっ、カガリと一緒に寝るなんて。

思考のままにカガリへ視線を向ければ、
気のせいだろうか、カガリはほのかに頬を染めているように見えた。
アスランの視線に気づいたカガリはピクっと肩を揺らすと、
何故か握りこぶしをぶんぶんと振りながら告げた。

「私はいいぞっ!」

その声は思いの他強くて、カガリの頬がさっと染まったが
一方のアスランはそれを気に留める余裕も無く、掌で口元を覆っていた。
それがアスランの照れ隠しであることに、カガリは気付けないほど胸が高鳴っていた。
アスランはウィルに気付かれないようにそっと深呼吸をし、覚悟を決めた。

「わかった。
一緒に・・・寝ようか。」

その声はひどく掠れていて、
アスランは余裕なんて無い筈なのにそんな自分を何処かで客観視し、苦笑する。
今は“ウィルのパパ”なのだから、一緒に寝たって何らおかしなことは無いだろう、
そう無理やり結論付けたアスランはあることに気づいて、息が止まる。

――待てよ。
   俺が“ウィルのパパ”で、カガリが“ウィルのママ”なら、
   俺とカガリは・・・。

思考のままに翡翠色の瞳がカガリを捕まえて、
ふとカガリと視線が重なった。

今夜2人は夫婦になる。

アスランは今更ながらに事の重大さに気付いて赤面し、ごまかすように頬を手の甲で擦った。
そして両手を叩いて喜ぶウィルを背に、戸締りをするために寝室を後にした。




各部屋のロックを確認し、
リビングのローテーブルに置きっぱなしであったカップを手に給湯室へ戻り、
無心でカップを洗った。
いや、正確にはこれから起きることを何も考えられなかったのだ。
普段は理性的に行動できているとは思う、
でも、カガリのことになれば簡単に箍が外れてしまう。
そんな自分が恨めしい。

アスランはカップを布巾で拭き終えると、長い溜息をついた。

「父親になるって、大変だな・・・。」

そんな見当違いなことを呟いて。
 


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