9-23 ホットミルク




「ウィル。
アスランと遊ぶ前に、髪乾かすぞ。
アスランはゴメンな、ちょっと待っててくれ。」

カガリはそう言って、3人掛けのソファーの上でウィルを膝に抱いた。
カガリが“准将”ではなく“アスラン”と言ったことから、
この部屋には“准将”の職務としてではなく、プライベートで呼ばれたのだろう。
アスランはふわりと浮きたつ心を胸の奥に留め、
ドライヤーを当てながらウィルの髪に指を通していくカガリを横目に、
備え付けの給湯室へ向かった。

冷蔵庫からミルクを取り出し大き目のマグに注いでレンジにかけ、
ミルクが温まるのを待つ間に小さめのカップ2つを取り出し熱湯を注いで温めた。
視線をソファーの方へ向ければ、じゃれあうようにカガリがウィルの髪を乾かしているのが見える。
アスランは穏やかな微笑みを浮かべながら、カップの湯を捨て、
温まったミルクを濾しながらカップに注ぎ、最後にスプーン1杯のはちみつを溶かした。

ウィルは一昨日ライヒヴァイン夫妻の養子となったため、
オーブ国籍を除籍しプラント国籍を取得しているものと思われた。
そのためプラント政府へ保護を要請したところ
養子縁組に伴う戸籍処理が完了していないことが判明した。
つまり、戸籍上ウィルはオーブ国民のままだったのだ。
原因は、ソフィア建国に伴い、プラントではソフィア国籍取得を申請する国民が予想をはるかに超え
戸籍事務処理が遅滞していたことにあり、
さらにライヒヴァイン夫妻がソフィア建国式典へ随行することから
夫妻の対応も間に合わなかったのであろう。
そのため、ウィルはプラントではなくオーブで保護されることになり
時が来ればカガリ達と共にオーブへ帰国する手筈となっている。

ドライヤーの音にまぎれて聴こえてくるウィルの笑い声に耳を傾けてアスランは思う。
プラントの戸籍事務処理が適正に行われていれば、
今頃ウィルはどうなっていたのだろうかと。
小さな心に消えることの無い傷を負ったまま、
誰も知らない施設へ送られていたのかもしれないのだから。

 


カガリはドライヤーのスイッチを切ると、最後にウィルの柔らかな猫っ毛を梳いた。
ウィルは後ろを振り返り、カガリの表情を覗きこんだ。
その仕草にカガリは笑みを深めると、ぽんっとウィルの両肩を叩いた。

「はい、終わり。」

ウィルはぎこちなくも笑顔をみせてはにかんだ。
その表情に、カガリは胸の痛みを覚える。
孤児院に居た頃は笑って走って泣いて、元気いっぱいだったウィルは
今は口数が少なく、笑顔はひきつったようにぎこちない。
あのテロで新しく出来た両親は奪われ、手にした幸福は打ち砕かれたのだ。
今こうしてぎこちなくも笑顔でいられることだけでも、奇跡なのだろう。
それでも。

何も言わないカガリを不思議に思ったウィルは、ちょこんと首を傾けた。
その仕草でカガリはウィルに要らぬ心配をさせてしまったことに肩をすくめた時、

「どうぞ。」

アスランが2つのカップを差し出した。

「ありがと・・・。」

ウィルはたどたどしくもお礼を言ってカップを両手で受け取り
ほわりと香るホットミルクの優しい香に、ふにゃりと瞳を緩めた。
そんなウィルとアスランを眺めながら、カガリは心が澄んでいくように穏やかな気持ちになった。

「カガリも、ほら。」

いつもそうなんだ。

「ありがとな。」

アスランが傍にいてくれるだけで、こんなにあたたかい気持ちになるんだ。

カガリはアスランから受け取ったカップに視線を落とした。
戦前の、まだ恋人という関係にあった頃、
眠れない時はいつもアスランがホットミルクを作ってくれた。
これを飲めば、どんなに辛い“今”でも“明日”が見えなくても、
安らかに眠ることができた、あの頃――。
カップに唇をよせて、
あの頃と変わらない優しい味はふわりとカガリの体をあたためて
まるでアスランが抱きしめてくれた時のように穏やかな気持ちになるから、
カガリは切なく瞳を閉じた。

 

 

「ぷはっ。」

ウィルはアスランのホットミルクが余程気に入ったのであろう、
ごくごくと飲み干してしまった。
と、隣を向けば大切そうに味わうカガリがいて、
その隣に優しいまなざしを向けるアスランがいた。

「カガリも乾かさないと、風邪をひく。」

そう言ってアスランはカガリの髪にドライヤーを当て始めて、

「あっ!自分でやるってっ!」

そんな風に慌てたカガリの頬はほのかに染まっていて、
ウィルは幼い心で気付いたのだ、2人の言葉に出来ない関係に。
目に見えない、心の糸に。

アスランからドライヤーと取り返そうとじたばたするカガリに、ウィルは告げた。

「あのね、今度は僕がやってあげるね。」

そう言ってウィルはカガリとアスランの間に入り、
アスランに向かって“ドライヤーはアスラン持っててね”と言って、
カガリの髪を手櫛でとかしはじめた。
ウィルはなんとなく知っていたのだ、
そうすればカガリが落ち着くことも、アスランが笑うことも。

ドライヤーを持ったアスラン、
その前でカガリの髪をとかすウィル、
そして気持ちよさそうに瞳を閉じたカガリ。

背後のアスランが時折囁くように髪のとかし方を教えてくれて、
気持ちよさそうにカガリが体を揺らして、
ウィルは思わずつぶやいた。

「なんだか、楽しい。」

無邪気に笑うウィルに、アスランとカガリの胸は軋む。
きっとこの楽しさは、新しい家族と共に抱く筈のものであったのだと。
しかしその夢は銃声と共に永久に消えてしまったから。

だからせめて
ウィルが楽しいと言った今を
いとおしむように大切にしよう。

「そうだな、楽しいな。」

カガリはウィルに背を向けたまま頷いて、
滲みそうになる涙を懸命に飲み込んだ。

 

アスランがドライヤーの電源を切って、
ウィルはくるりと振り返りアスランの表情を覗いた。
微笑むようにアスランが頷くと、ウィルはぱっと表情を明るくして
カガリの肩をぽんっと叩いた。
さっきカガリがそうしてくれたように。

「“はい、終わりっ!”」

そう言って、くすぐったそうに笑うウィルが可愛くて可愛くて
カガリはウィルをぎゅーっと抱きしめ、

「ありがとな、ウィル。
アスランも。」

アスランはそっとウィルの頭を撫でた。

「ウィル、頑張ったな。」

そんな2人の優しさに包まれてウィルは泣きたいような衝動に駆られて
カガリに抱きついた。
ウィルは知っていたのだ、
ずっとほしかったものが今ここにあって、
でもそれは朝になったら消えてしまうことを。

それは儚い夢。

それでも。
意を決したウィルは瞳に涙を溜めながら、カガリとアスランを仰ぎ見た。

「お願いがあるの。」

小さな決意を湛えたウィルの瞳に驚き、
アスランとカガリは真っすぐにウィルを見つめた。

「アスラン、カガリ。
僕のパパとママになって。」
 


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