9-21 innocence




セントラルロビーを満たす混乱に、疲労が沈殿していく。
瞳を閉じれば恐怖がフラッシュバックし、
耳を塞いでも哀しみが聴こえる。
時計が止まったまま取り残されたように、
混乱がいつまでも続いていく。

その中で小さな光たちは、ひたむきに輝き続けていた。

「おばさん、泣かないで。」
「おじいさん、ここが痛いの?」

子どもたちは今自分に出来ることに駆け回っていた。
カガリは子どもたちを見詰めながら、心があたたかくなるのを感じていた。

――子どもは希望なんだ。

小さな光に照らされて、少しずつではあるが希望の火が連なろうとしていた。

 

その時カガリの瞳に、小さな男の子を抱いたアスランが映った。
見覚えのあるブロンドの髪に、カガリは息を飲む間もなく駆けだした。

「ウィルは、無事なのかっ。」

アスランの腕の中のウィルはぐったりと脱力しており、
瞳は何も捉えていないようにうつろだった。

「あぁ、救急に診てもらったが外傷は無い。
おそらく、精神的ショックが大きかったんだろう。」

カガリはアスランに代わりウィルを抱くと、気のせいだろうか体温が異常に低く感じた。
まるでウィルの心が凍りついてしまったかのように。
カガリはその場に座り、ウィルの体勢を楽にしてやりながらアスランに問うた。

「一体、何があったんだ・・・?」

カガリの問いに返らぬアスランの声に不安が過り、カガリはアスランを仰ぎ見た。
しかしアスランは苦渋に歪んだ表情で首を振るだけで、何も言葉にしなかった。

「あ・・・。」

そのアスランの仕草から、カガリは分かってしまった。
ウィルには聴かせることが出来ない程の事が、起きてしまったのだと。

カガリとウィルのブロンドの髪が混ざり合うように寄り添う2人の光景に、
アスランは拳を握りしめた。
後悔していた。
ウィルを見つけたあの時、
あのまま自分の傍に留めておけばダンスホールの惨劇に居合わせることは無かったのに。
せめてもと、アスランはセントラルロビーを見渡しライヒヴァイン夫妻の姿を探した。
新しい家族のもとへウィルを帰してやりたかった。

すると、顔をあげたカガリはアスランに申し訳なさそうに告げた。

「ごめん、ライヒヴァイン夫妻には会って無いんだ。
このセントラルロビーの何処かに避難したのかもしれないけど。」

そうか、そうつぶやいたアスランは遠く視線を馳せた。
しかし、その視線は直ぐに引き戻されることになる。
それまで言葉を発することはおろか、何の反応を見せなかったウィルの声が聴こえてきたから。

「お父様とお母様は、ここには居ないよ・・・。」

カガリの腕の中のウィルの声は、喧騒にかき消されそうな程細かった。
アスランは身を屈めると、ウィルの心に寄り添うように名前を呼んだ。

「ウィル、どうした。」

ブロンドの髪をやさしく梳いてやれば、
ウィルはゆっくりと呼吸するように瞬きを繰り返し、
ぽつりぽつりと言葉を落とした。
眼光を失った瞳に残酷すぎる過去を映し出して。

「おっきな音がしたら、
銃を持った人たちが沢山来たんだ。」

「“お母様のスカートの中に隠れなさい”って、お父様が言って。
それからお母様の足にくっついて歩いて、
“ここに隠れてなさい”って、お父様が言って。
僕はずっとね、棚の中に居たの。」

音もなく滑る水のように、ウィルの言葉が静かに落とされていく。

「そしたらね、バンって音がしてね。
バン、バン、バンってずーっと。」

「僕ね、何してたのか知ってる・・・。」

ウィルの大きな瞳に涙がたまる。

「お父様とお母様はね、ダンスホールに居るんだよ。
今も。」

笑えばえくぼができる頬を、
涙が伝っていった。

「お父様とお母様はね、死んじゃ・・・。」

言葉が結ばれるより前に、カガリはウィルを強く抱きしめた。
この小さな胸に抱く哀しみは、一体どれ程のものだろう。
カガリは哀しみを分け合うように抱く腕に力を込めてウィルの頭に顔を寄せた。

「ごめんな、ウィル・・・。」

こんな世界を作って。
哀しみを、止めることが出来なくて。

カガリに抱かれながら歯を食いしばって涙を落とし続けるウィルに
アスランはそっと優しく触れた。
ウィルの小さな心をあたためられたら、と願って。

 

 

程無くして、セントラルロビー中央に映像が映し出された。
周囲のざわめきにつられるようにカガリとアスランは顔を上げ、そして驚愕に瞳を見開いた。

「どうし・・・て・・・。」

何故ならその映像には、たおやかな微笑みを浮かべたラクスが映っていたから。
画面左上には緊急国際放送を示すマークが表示されており、
この映像がプラントやソフィアによって事前に用意されたものではなく、
ライヴで放送されていることを示している。

公には、ラクスは静養中であると発表されていた。
しかし、画面のラクスは静養とはあまりにかけ離れた無垢な空気を纏い、
桜色の唇を綻ばせた。

『皆さん、ごきげんよう。
わたくしは、ラクス・クラインです。』

知らずカガリはアスランの手を求め、そっと手をつないだ。
映し出された人物がまぎれもなくラクスであることを、直観的に感じ取っていた。
だからこそ底知れぬ不安を感じたのだ。
何かが、きっともう起きてしまったのだと。
眼前にあるのは、決して手が届かぬ現実であるのだと。

画面の中のラクスは、花のような微笑みのまま言葉を紡いでいく。
それは全てを置き去りにするように、冷酷に見えた。

『今日も、平和の歌を届けます。』

するとラクスは祈るように瞳を閉じた。

 

画面から流れる清らかな旋律が、セントラルホールに響き渡る。
それまで混乱に満たされていたその場所は凪いだように静まり返っていた。
カガリは画面上のラクスから瞳を離せず、瞬きさえも出来なかった。

――ラクスは、静養中なんじゃないか・・・。

いやもっと、根本的な問いがカガリを襲う。

「ラクスがこんなこと、する筈無い・・・。」

既に、ソフィアでテロが勃発したことは既にメディアを通して全世界に知れ渡っている筈である。
ラクスの言葉は、テロの脅威が降りかかった世界情勢にそぐわないものだ。
“皆さん、ごきげんよう。”
“今日も、平和の歌を届けます。”
偽りの無い心で、このようなことを言うであろうか。
ラクスであればテロによる犠牲者を悼み、平和を訴えるのではないだろうか。
しかし、今目の前にいるのはラクス以外の誰でも無いのだと、カガリは確信していた。

ラクスの歌にはいつもラクスの願いが込められている。
その願いこそがラクス歌を、響きを生み出す。
故に、ラクスの願いと歌は目的においてひとつである。
しかし、この瞳に映るラクスの願いは何であろう、
この響きに込められる願いとは何であろう。
この純粋すぎる平和への希求に、ラクスは何を想っているのだろう。

そして何故、緊急国際放送を使って現れたのであろう、
あまりに清らかな微笑みを浮かべて。

 

返ることの無い問いが折り重なり、堕ちるような浮遊感が意識を奪っていく。
だからカガリは繋ぎ止めるようにアスランの手に指をからめた。

 

アスランはカガリの手を握り返し、そっとカガリへ視線を向けた。
カガリは琥珀色の瞳に言葉にならない不安を映しながらも、眼前のラクスから逸らさずにいた。
カガリの強さを信じて、アスランは状況を確認するために視線を流した。
涙を流しながらラクスを仰ぎ見るコーディネーターたちが、アスランの瞳に映っていく。
その姿はまるで、宗教画に祈りを捧げているようだ。
しかしその中で憂色を滲ませる一団がいた。

――副議長と・・・その秘書官か・・・?

人々の波を越えるように、アスランは瞳を凝らした。
すると、彼らは声を抑えながらも何かを激しく言い合い、頻りに携帯用端末で通信をしている。
副議長は厳格な表情のまま構えてはいるが、やはり焦りの色が見え、
秘書官や補佐官に至っては顔面蒼白で場違いな汗までかいている。

――事実確認をしているのか・・・?

もし事実確認をしているとすれば、その内容はおそらくこの緊急国際放送についてであろう。
さらに、彼らに人目を気にする余裕さえ見えないことから、
緊急国際放送がなされることを事前に知らされていなかった可能性が高くなる。

――だが、それだけでこれ程憂色を示すだろうか・・・?
  一体何に焦燥している?

一団は、ラクスの奏でる旋律が結ばれる前に、副議長が浅く頷いたのを契機に移動を始めた。
方向から言ってセントラルロビーの非常用通路のひとつであろうか、
そんなことをアスランが思考していた時、ふと副議長と視線がぶつかった。
副議長は驚きと苦渋を混ぜたような表情をさらした後、眼光鋭くアスランを捉えた。
それは一瞬ではあったけれど、アスランの体を硬直される程の強さがあった。

「アスラン・・・。」

それが繋いだ手を通してカガリにも伝わったのであろう。
カガリは寄り添うような声でアスランの名前を呼び、そっと手を引き寄せた。
絡めた指を追うように視線を向ければそこにカガリがいて、
アスランは無条件の安堵を感じた。

――ここに、カガリがいるんだ。

ただそう想うだけで心が安らいでいく。

と、小さな手がアスランのジャケットを弱々しくも引っ張った。
ウィルが一生懸命心配してくれている、
だからアスランは笑みを深めてウィルの頭に手を置いた。
かつて父がそうしてくれたように。

「大丈夫だ。
ありがとう。」

 

 

その時、ラクスの旋律が結ばれた。
ラクスのまとう空気はあまりに無垢で、まるで天使のように微笑んでいた。

そして画面が暗転し、
天使が飛び立つように、ラクスは姿を消した。
 


←Back  Next→  

Top    Blog(物語の舞台裏)