9-16 ままごと
アスランの目の前で他の男の手を取ること。
それが公務の延長であることは分かっていても、胸が痛む。アスランへの罪悪感を抱くのはおかしい、
もう嘗てのような恋人の関係ではないのだから。じゃぁ、この胸の痛みはなんだろう。
それはきっと、自分の恋心を裏切ることになるからだ。
本当はずっと、アスランと手をつないでいたい。
でも私の恋心は、公務の前ではわがままに変わってしまう。
大切に出来ない自分の心が軋むから、だから胸が痛いんだ。
「ままごとを、しようか。」そう言いだしたのは、カミュの方だった。
カガリはきょとんと瞳を丸くして首をかしげた。
その反応はあまりに無防備で、カガリが完全に警戒心を解いていることを示していた。
そのことを一番分かっていたのは、
送りだしたアスランと、そして目の前のカミュであった。カミュは笑みをこぼしながら言葉を加えた。
「ままごとって、小さい頃にやらなかった?
みんなで役を決めてさ・・・、君がお父さん、君がお母さんって。」いつから、カミュの敬語が消えてフランクな話し方になったのか
カガリは気付かなかった。
まるで溶け込むように、距離が縮まっていく。
そう、ずっと昔からこの人を知っていたように。カガリはカミュが向ける微笑みにつられて、自然と笑みがこぼれた。
「知ってるぞ。
でも、今は私と2人だけしかいないじゃないか。」何気ないカガリの言葉は、そのままカガリが沢山の人に囲まれて育ってきたことを示していて、
カミュは目を細めた。
まるで、手の届かぬ太陽に憧憬を抱くように。2人だってできるさ、そう切り返したカミュは
カガリにこう告げた。「この庭を出るまで、
わたしが君の兄で、
君がわたしの妹だ。」カガリは不思議だと思った。
そんな唐突な提案も、当たり前のことのように心に入り込んでくる。
それは、キラと会話している時の感覚に近かった。
だからだろう、カガリは笑顔で頷いた。「いいぞ。ハルキアス大統領・・・じゃなかった。
お兄様。」
カガリとカミュの背中は、すぐに庭の木々に隠れて見えなくなって
しかしアスランはしばらくその場から動けなかった。
別の男の手にカガリの手が移る光景を、この2年間で何度も目にしてきた。
その度に、いい気持ちはしなかったことは確かだが、
公務と割り切り気持ちの余裕を持つことができた。
ユウナに肩を抱かれて遠のいていくカガリを見ていることしかできなかった、
当時のような感情を抱くことは無くなった、筈なのに。
どうしてだろう、カミュの存在が嫉妬と焦燥を呼び起こす。――キラとラクスのこともあるし、
神経質になっているだけだろうか・・・?胸の中で渦巻く感情を抑え込むように、アスランは小さく溜息をついた。
その時だった、瞳の端に見知った子どもが駆けて行った。――たしかあの子は、マルキオ様の孤児院にいた筈じゃ・・・。
そう思うと同時に、アスランは声をかけていた。
「ウィル。」
名前を呼ばれた小さな男の子は、ブロンドの髪を揺らして振り返った。
そして満面の笑みを浮かべると、飛び跳ねるようにアスランの方へ駆け来た。「アスランっ!来てたの?」
屈み込んだアスランにぎゅっと飛びついたウィルは、息を切らしながらアスランを仰ぎ見た。
無垢な笑顔に、自然と微笑みが浮かぶ。「ウィルは元気にしていたか。」
「うんっ!」
元気いっぱいに頷くウィルに笑みを深め、アスランは優しく髪をすいてやった。
よっぽど急いで走って来たのであろう、ウィルの髪はむちゃくちゃになっていた。
そう言えば、孤児院では動きやすい格好を好んでいたウィルが
今日は折り目のついたズボンに蝶ネクタイをつけている。
孤児であるはずのウィルがどうしてこの場所にいるのかと、
そんな問いがアスランの脳裏に浮かんだが、
必死で急いでいたウィルの気持ちを大切にしたかった。「そんなに急いで、何処へ行くんだ。」
アスランの問いかけに返ってきたウィルの答えは、アスランを驚かせるものだった。
「お父様とお母様をね、さがしてるんだ。」
――ウィルの両親は先の戦争で亡くなった筈、
なのにどうして・・・?驚いた瞳をさらしたままのアスランに、ウィルははにかんだような笑顔を見せた。
「一昨日ね、僕にお父様とお母様ができたんだよ。
ラクスおねえちゃんと、一緒にお仕事してるんだよ。」アスランはウィルの精一杯の説明から、
クライン派の者がウィルを養子として迎えたことを理解した。
ウィルの笑顔から、新しい家族が出来たことに幸せを感じていることが分かる。「そうか、よかったなウィル。」
そう言ってアスランはウィルの小さな頭を撫で、
ウィルはくすぐったそうに笑った。
と、アスランはウィルを抱きあげた。「じゃぁ、一緒に探そうか。」
本来であれば、カガリが戻るまでこの場に留まるべきであったが、
この広い会場の中をウィル一人で探させる訳にはいかない。
だが。「大丈夫!僕一人で見つけられるもん!」
じたばたと暴れだしたウィルの決意は固いようで、
アスランは降参とばかりにウィルをフロアに下ろした。「わかった。
それならせめて、手伝いくらいさせてくれないか。」「じゃぁ、アスラン。知ってたら教えて。
プラントから来てるガイコウカンで、ライヒヴァインって、聞かなかった?
それが僕のお父様とお母様なの。」アスランは残念そうに首を振り、応えた。
「すまない、お見かけしていない。
もし会ったら、ウィルが探していたことを伝えるよ。」約束だよ、そう言って駆けていくウィルの小さな背中を見送って、
再びアスランは庭の方へと視線を向けた。
カガリにウィルの話をしたら何と言うだろう、そう考えただけで穏やかな気持ちになれた。
隣を歩くカミュにそれとなく視線を向けて、カガリは小さく笑った。――いきなりできた“お兄様”に、ちょっと戸惑ったけど・・・。
「それで、この先にある博物館は半円形をしているから、ヴァームクーヘン博物館と言うんだ。」
と、真面目に言うカミュに
「嘘だろうっ?」
カガリは髪を揺らして笑って
「本当の話さ。
で、そこの名菓は何かわかる?」
「ヴァームクーヘン!」
「当たりっ。」
そして2人の笑い声が重なった。
ゆったりと花弁を綻ばせ、芳しい香りを漂わせる花々にカガリは瞳を細め、
そしてぽつりと呟いた。「まるで、ラクスの庭みたいだな。」
カガリの声色に微かな寂しさが滲む。
それを敏感に感じ取ったように、続いたカミュの声はカラリと明るく響いた。
寂しさを晴らすように。「カガリは、キラ・ヤマトと義姉弟の契りを交わしたんだろう?」
「え・・・。」
カガリは一瞬言葉を失った。
無防備になった心は、カミュに真実を告げようとしていた、
“血の繋がった姉弟”なのだと。――どうしてだろう、この人の前では何も隠せない、
キラと一緒に居る時みたいに。問われたら、自分の真実しか答えられなくなりそうで。
そんな自分に驚きを隠せず、カガリはつっかえながらも続けた。「あぁ・・・、そうだぞ。
キラがここに居たら、もっと楽しかっただろうな。
3人兄弟になれるぞ!。」カミュはたおやかな微笑みを浮かべて、隣の花に触れようと背を向けた。
続いた問いに、何故だろう寂寞が香る。「キラのことは、好き?」
「あぁ、大好きだぞっ!」
カガリが咲かせる、光の粒がはじけるような笑顔。
振り返ったカミュはカガリの笑顔を瞳に焼き付けるようににそっと瞼を閉じて、
さらに問うた。「ラクスのことは、好き?」
「大好きだっ!
大切な、親友だ。」カミュは微笑みを浮かべて、
でもその表情は儚くも歪んでいた。
まるで、哀しみを堪えるように。「お兄様?」
身を案じて寄り添ったカガリの肩に手を置いて、カミュは真直ぐに見詰めた。
そして、最後の問いを落とした。「アスランのことは、好き?」
「あ・・・」
カガリは口元を細い指で押さえた
その指は微かに震え、見開かれた瞳に透明な膜が張っていく、
いとも簡単に。
唇をふさいで、
息を止めて。
そうしなければ、決して言葉に出来ない真実を
告げてしまいそうだった。アスランが好きだと、
愛していると。胸の内であたため続けた想いの深さ、
その分だけ刺す胸の痛みに、ただ涙がこみ上げる。誰にも言えない真実が、この世界に音もなく零れ落ちた。
カガリの頬を伝う涙をぬぐおうと伸ばしたカミュの手が止まる。
この涙をぬぐうべき人は、他にいることを
カガリの涙が示している。カミュは瞼を伏せ寂しげに笑った。
「ごめん、泣かせたかった訳じゃない。」
静かに涙を落とし続けるカガリに、カミュは言葉を続けた。
「兄という存在は、妹に意地悪をしたくなってしまうものなんだろうか。
妹を、護りたいと思うのに、
この手は届かないのかな。」自己へ向けられた問いは、容赦なく彼に突き刺さっていく。
カミュは苦みを帯びた微笑みをカガリに向けた。
それが、自分に出来る精一杯であることをカミュは知っていた。「大丈夫だよ、カガリ。
きっと、アスランが迎えに来るから。」「君を護るから。」
最後の言葉は、地鳴りのような爆音にかき消された。
衝撃に閉じた瞳を開けば、ダンスホールの方から塵芥を巻きあげて煙が立ち上っていた。
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