9-13 君の傍に
ルナはすっと息を吸い込むと、艦長室の扉のベルを鳴らした。
緊張しているからでは、断じて無い。
艦長室にいると、酸素欠乏症のように息苦しくなるからだ。
扉を開く前の深呼吸は、いわば海へもぐる前の息継ぎのようなものだ、
ルナはそう自分に言い聞かせていた。「失礼します。」
「よぉ、どした?
シンは一緒じゃねーの?」艦長室のデスクに鎮座するイザークの前にいたディアッカに声をかけられ、
ルナは内心好都合だと思った。ソフィア建国式典の中継を見ていて、ふと抱いた違和感、
そしてこの手の中にある奇妙な一致を確かめるために、
怖いくらいの洞察力を持つディアッカがいてくれるほうが、心強い。「あら、目の前でいちゃいちゃしてほしいですか?」
ルナは最近では、ディアッカの軽口にイヤミの一つも返せるようになった。
それは、メイリンが眠り続けることになったあの事件をルナが乗り越えようとしていることを示していた。「要件をさっさと言わんか。」
と、イザークの鋭利な声が飛び、ルナの眉がピクリと反応する。
この人は、もっとソフトに物を言えないのだろうか、と。
しかし、ここで腹を立てては本題へたどりつくまでに時間を要するため、
ルナはすっと息をすいこんで、上官2人に向かって問うた。「お二人は、以前からラクス様と交流があったんですよね?」
突然のルナの問いの真意を確かめるように、ディアッカはゆっくりと答えた。
「あぁ。つっても、アスランよか深くないぜ?」
ルナが小さく溜息をついた仕草から、
ディアッカは苦笑いを浮かべた。
――ルナのやつ、“役立たず”って思いやがったな。「とりあえず、聞きますね。
ラクス様は、誰かに贈った歌を使いまわすお人では、ありませんよね。」とりあえず、というトゲのあるクッション言葉は無視して、
ディアッカはイザークとアイコンタクトで確認し、ルナの問いに答えた。
「あぁ、そんなことはしねぇだろうな。」するとルナは、掌の中のメモリーをイザークとディアッカの前に差し出した。
「この中に、一昨日、ラクス様からメイリン宛てに贈られた歌が入っています。
その映像と、ソフィア建国式典で放映されたものが、同一なんです。」
カガリは溜息と共に、通信を切断した。
建国式典からホテルへ戻り、レセプション用のドレスの着付けやヘアメイクの途中にも
カガリは何度もラクスへプライベート回線をつないだが、
繰り返されるのは留守のメッセージだった。
レセプションの前の最後の1回、そう思って回線をつないだが結果は同じだった。――話ができない程、重い病なのか・・・?
しかし、カガリはその背後にある何かを感じ取っていた。
クライン議長の代理として出席した副議長の“静養中”との言葉に嘘は無かったと思う。
数日前から、ラクスは体調不良を理由に公務を休んでいると報道されていた。
しかし――暗転したディスプレイに映る自らの姿に、カガリはラクスの微笑みを思い浮かべた。
――ラクスは大丈夫だ。
必ずキラが、護るから。信じるように瞳を閉じたとき、控えめなノックの音が響いた。
「失礼します。」
カガリは声に耳を傾け、今日ほどアスランのエスコートが心強いと思うことは無いかもしれないと思った。
アスランの出席はハルキアス大統領直々のリクエストであり、
胸の内でカガリは大統領へ礼を述べた。カガリは正装したアスランに右手を差し出し、握手を促した。
「今日はよろしくな。」
飾らぬ華やかさを持つ笑顔に、アスランの心がほぐされていく。
「こちらこそ。」
手短で、ずっと奥行きを持つアスランの応えにカガリは頷き、
会場へ向かおうと進めた歩をアスランに遮られた。「レセプションについて、少々打ち合わせを行いたいのですが、
お時間をいただけますか。」その声と共にカガリに仕えていた者達が部屋を後にし、カガリは小首を傾げた。
今さら打ち合わせをする必要があるのであろうか、と。
アスランは部屋から誰もいなくなったことを確認すると
カガリの手を取り直した。
その力が思いの他強くアスランの意思を感じて、無条件に鼓動が胸を打つ。「今日は、俺から離れないと約束してほしい。」
言葉と共にまっすぐに下ろされた眼差しに射抜かれて、息がとまる。
しかし、翡翠を思わせるアスランの瞳に過る焦燥を、カガリは見逃さなかった。
それは一種のトラウマなのかもしれない、
嘗てアスランが抱いた苦悩を見逃して、傷つけてしまったあの頃の。「アスラン、何かあった・・・のか?」
アスランは一度視線を外すと、苦みを帯びた表情で続けた。
「キラとも連絡がつかなくて・・・、
おかしいだろう、静養中なのはラクスで、
なのにどうしてキラまで連絡がつかないのか。」カガリは唇を噛んで視線を下げた。
――本当に、どうしてしまったのだろう。“それで、イザークと連絡を取って”
そう続いたアスランの言葉に、再びカガリは顔をあげた。「ラクスの容体とキラの行方を聞いた。
そしたら、“広報部へ問い合わせるように”と、上から指示を受けていると。」カガリは眉をひそめ、小さく首を振った。
「それじゃ、まるでプラントが何かを隠しているみたいじゃないかっ。」
「それだけじゃない。」
アスランの続くであろう言葉に不吉な何かを感じて、無意識に喉が鳴った。
「建国式典で流れたラクスの歌と同じ映像が、メイリンへ贈られていたんだ、
見舞いの歌として。」カガリは驚愕に瞳を見開き、アスランに詰め寄った。
「そんな、使いまわしみたいなこと、
ラクスがする訳無いだろうっ。」アスランはカガリの気持ちを引き受けるように頷いた。
「あぁ、俺もそう思う。」
心を閉ざした人には、癒しの歌を。
建国の祝いの席では、祝福の歌を。
目的の、ただそのために心をこめて歌う、ラクスはそういう人だ。
同じ歌を歌うことはあっても、ラクスが込める願いが違えば、響きが変わる。
その意味で、ラクスの歌は唯一なのである。「あの映像が建国式典で使われたのは、
おそらくラクスとキラ、どちらの本意でも無いだろう。」ラクスとキラがやむを得ずあの映像を使用したのか、
もしくは行政府がそう判断せざるを得なかったのか。
そのどちらの仮説からも導き出される答えは、
眩暈を覚えるほど残酷だった。「キラとラクスの身に、“何か”が起きた可能性が高い。。
プラント行政府が秘匿しなければならい程の事が。」みるみる血色を失っていくカガリの手を、アスランはもう一度握りなおした。
「だからカガリ、
今日は俺の傍から離れないでほしい。」カガリは小さくうなずいたままうつむいて、その拍子に髪飾りが儚げに揺れた。
「じゃぁ・・・、今日は脱走できないな。
みんなを巻いて、裏庭へ行ったり、さ。」顔をあげた次の瞬間に見せた笑顔は、
カガリが力づくで取り戻したものであることを、アスランは知っていた。
精一杯の冗談、それをカラ元気という言葉で片付けたくは無い。
なぜなら、たわいない言葉に込められたカガリの気遣いを大切にしたいから。
だからアスランは片眉を下げて、カガリの冗談に応えた。「その格好で、逃げ切れると思っていたのか。」
ソフィアのデザイナーが用意したドレスは、体のラインに沿ったマーメイドドレスで、
膝上できゅっと絞られている。
カガリのスタイルの良さを艶やかに引き出しているが、当人にとっては違うようである。「う・・・、走りずらいぞっ、これ。」
くっそぅ、そう呟きながらドレスのすそを睨むカガリらしい反応に、
アスランの張りつめた空気が和らぐように、笑みが深まった。
アスランは窓際で外を眺めていた機械鳥のポポを呼び寄せた。
まるで脱走を試みていたようなポポの様子に、こうも主に似るものかと苦笑する。
そしてポポをカガリの肩へと導き、今日はカガリから離れないようにと念を押した。
アスランは当初、ソフィアから衣装の用意を提案された時に、万が一の場合を憂慮したが――むしろ、感謝すべき・・・か?
マーメイドラインのドレスにより、カガリの脱走対策が軽くなり、
その分安全を確保できるのだと、思っていた。この時抱いた感謝にも近い念を覆されることになるとは、知らずに。
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