9-12 沈黙の演説
独立自治区ソフィアのプラントからの完全なる独立を果たしたソフィアの初代大統領、
カミュ・ハルキアスによって行われた建国式典演説は、
後に沈黙の演説として語り継がれることになる。もっとも、その意味は激動の時の重ねによって色彩を変えていった。
それこそ、始まりの色を誰も知ることが叶わぬ程に。
議事堂の前に広がる広大な国立公園には建国を祝う民衆で溢れ、
見上げた空には白い鳩が自由に翼を広げていた。
各国からの来賓席として特別に設けられた場所から、
カガリは躍動するような光景を瞳に焼き付けていた。
これが、国が誕生する瞬間であると。カガリは斜め後ろを振り返り、アスランを見詰めた。
オーブ軍入隊と共にプラントから除籍したアスランが、今何を思うのか知りたかったのだ。
アスランはただ、静謐な眼差しを向けていた。「准将は」
そう声を掛けるのに、少しだけ勇気が必要だった程。
「ソフィアに訪れたことはあったのか。」カガリの唐突な問いに応えようと、アスランが瞬きをして向き直った時には
何時もの穏やかな表情を取り戻していた。「はい、幼少の頃・・・。
まだ、発展途上の状態でしたから、正直驚いています。」ソフィアが経済的発展を遂げたのは
ナチュラル・プラント間の戦争による特需景気があったからである。
争いによって蓄積された英知と、築かれた富という歴史的背景をぬぐうことは叶わない。それきりアスランが押し黙ったのを見て、
カガリはその理由が分かるからこそ、そっと周囲の来賓に目を向けた。
しかし、見つかるはずの姿がカガリの瞳に映ることは無かった。可視化されない不安に押しつぶされないように、カガリはしっかりと前を見据えたまま呟いた。
「きっと、大丈夫だよな・・・。」
「2人は強いから。」
応えたアスランの声は低く掠れていた。
建国式典開会を告げるファンファーレが鳴り響いても、
キラとラクスは姿を見せなかった。
カガリは2人の身を案じるように宇宙を見上げた。
見上げた先で翼を広げる白い鳥に、半身の姿を重ねた。
議事堂のバルコニーに姿を現したカミュ・ハルキアス大統領に、
地鳴りのような喝采が贈られた。
プラントからの独立を果たした英雄の言葉を待つ民衆の熱気は
既に最高潮に達していた。
拳を大空へ突き上げ国の名を呼ぶ声が折り重なり、うねりのように響き渡る。カミュは、その美しい中世的な面立ちで微笑みを浮かべると
静かに瞼を閉じた。まるで、天使が瞳を閉じるように。
降り出した粉雪が大地を白く染めていくように、
ひとつ、またひとつと沈黙が落ちていく。時代を切り取った絵画のような光景に民衆は言葉を失い、
想いを馳せるようにバルコニーを仰いだ。
そしてカミュの声が、遠く強く響いた。
その声色は中世的な面立ちに重なるように、どこまでも透明であった。
「聴こえるだろう。
幾重もの声が。
遠く響く鐘の音が。
羽ばたくような拍手が。」「それは、この国の産声であり、
讃歌であり、
祝福である。」カミュは微笑むように瞳を開いた。
琥珀色の瞳に柔らかな威光が煌めいた。「見えるだろう。
拳を高らかに掲げ
熱い抱擁を交わす同胞たちが。
慈悲深い微笑みと共に祝福する、世界が。」「それは、この国の誕生がもたらした
喜びであり、
希望であり、
願いである。」言葉をこの瞬間に現実にするように、
割れんばかりの拍手に包まれた。「私にできることは、ただ問うことである。
何を願い、
何を望み、
どんな未来を描くのか。」「そして、私が捧げることができるものは、
ただ血と汗と、涙と労苦だけである。」「従って、独立という自由を果たしたのは私ではない。
それは国民である。
国民一人一人が、我々の英雄である。」「故に、絶えなき精励によって切り開かれた世界で
自由を前に臆することは何も無い。」
「歩みを遮ることができるものなど何も無い。」
「英雄たちよ、共に歩もう、
自由へと続く道を。」この時、宇宙が震えた。
カガリは地鳴りのような歓声と、スコールのような拍手に宇宙を見上げた。
それがこの国の歓喜なのであると、思った。
躍動する熱気に包まれながら、建国式典は厳粛に進行していった。
そしてプログラムに従えば、プラント最高評議会議長による祝辞の時となったが
ラクスは姿を見せなかった。
空席となっているクライン議長のために用意された座席に視線を向け、カガリは眉をひそめた。
何故と。
その時だった、巨大なスクリーンにラクス・クラインが映し出されたのは。「どういうことだ・・・。」
アスランがそう漏らすのも無理はなかった。
ラクスの背後に映るのは見慣れた光景、クライン邸の一室であり
ラクスは議長服に身を包んでいるものの、公では結いあげる髪を下ろしている。
困惑を含んだざわめきは会場全体に広がり、どよめきに変わる。
それを静めるように、副議長が弁明した。「クライン議長はご静養中につき、映像にてご建国の祝辞を述べさせていただきます。」
カガリはすぐに斜め後ろに控えていたアスランに耳打ちをした。
「准将、キラから聞いていたか?」
「いえ・・・、何も。」そう言って、アスランは苦々しく瞼を伏せた。
先日まで、バルティカ紛争のDDR部隊としてキラと交渉を行っていたが、
バルティカ政府および軍閥に、プラントとの中立性を確保するために
交渉から休憩時間の雑談まで全てを公開してきた。
裏を返せば、アスランはキラとのプライベートな会話は殆ど不可能であった。
しかし、親友の仕草や表情に落ちる影は微塵もなく
むしろ再びラクスと共に歩みだした幸せさえも感じられたのに。――キラが伏せていた?まさか・・・。
言い知れぬ嫌な予感に、アスランは万が一を考えカガリの傍に身を寄せて警戒を強める。
そして、スクリーンの中のラクスが口を開いた。「ソフィアの皆さま、ご建国おめでとうございます。」
最初にアスランが疑ったのは、この映像が合成である可能性だ。
しかし、淀みなく語るスクリーンの中のラクスをアスランが注視しても不自然な点は見当たらず
何よりカガリが違和感を抱かずに映像を見つめていることから、
可能性はゼロに等しいと結論付けた。「お祝いにこの歌を、捧げます。
ソフィアの平和と発展を祈念して。」そう言葉を結んだ後に画面が切り替わった。
クライン邸の庭を背景にしてピアノの前に立つラクス。軽やかに滑り出すピアノの旋律。
そして、癒しの風のように響く、
ラクスの歌声。澄んだ泉のように清らかな。
――どうして、この歌を・・・。
そのカガリの問いは、旋律に飲み込まれていく。
旋律に心が癒されていく分だけ、不安になる。
癒しの歌を、何故建国の祝いに捧げるのか、と。
何を癒そうとしているのか、
それとも誰を。
同じ問いを、アスランも抱いていた。
この歌を、ラクスが公で歌ったことなど無かったからだ。
癒しの歌はいつも、心に傷を負った子どもたちへ、
そして心を閉ざしたキラへ、捧げられていた。――何故、ラクスは。
いや、ラクスに何があった・・・?
結ばれた旋律に鳴りやまぬ拍手の中で
カガリは言い知れぬ不安に眩暈を覚えた。
その時誰かに腕を支えられて、礼を言う名目で振り向いた。「准将、すまない。」
「いえ。」本当は、アスランが傍にいることを確かめたかった。
優しく、だけど力強い掌が支えてくれなければ、
可視化されずに迫る予感に震えそうになる心を
きっとどうすることも出来なかった。
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