9-11 戻れない今日





「姫様っ!こちらもご入用でございましょうにっ!」

数日後のソフィア建国式典へ出席するためオーブ出立を数時間後に控えたカガリは、
アスハ邸で押し問答を繰り返していた。
マーナが差し出した大きなキャリーケースをやんわりと退け、
「マーナ、そんなに持っていっても使わないんだから、
これでいいだろう。」
カガリは小さなボストンバックをひらひらと揺らした。

「それに、そんな大きなキャリーケースに一体何が入っているんだよ。」
笑い混じりでカガリが問えば、マーナはふんっと鼻息荒く応えた。
「姫様の夜会のドレスでございますよ!」

文字通りカガリの目が点になり、そして盛大な溜息が落ちた。

「マーナ、言っただろう?
今回は、レセプション用のドレスは向こうが用意してくれたってさ。」

それは、ソフィアからの提案だった、“衣装はお任せいただけないか”と。
通常であれば丁重にお断りするところであったが、
詳しく話を聴けば、ソフィアが抱えるデザイナーと
熟練のテイラー、ドレスメイカーを総動員して準備を進めている様はまるでお祭のようであると。
外相から相談を持ちかけられたカガリは
これがソフィアなりの歓迎のカタチの一つなのであろうと解釈し、快諾したのだった。
現に、キラとラクスもソフィアが用意した衣装を着用する予定である。
しかし、マーナは大きなキャリーケースを抱えながら食い下がった。

「ですが、万が一ということがございます!」
ドレスの繊維に毒が盛られていたり、靴の中に細工がされていたり・・・、
ぶつぶつぼやきだしたマーナに、カガリは笑い声を上げた。
「まさか、そんな事ある訳無いであろう?
そんなことしたら、ソフィアと世界は戦争になるぞ。」

さらにカガリは言葉を付け加えた。
何故なら、マーナがこれほどまでに神経質になっているのは
自分の身を案じているからこそなのだと分かっていたから。

「安全は確保されている。
護衛としてムゥが付いてくれるし。」

護衛とは名ばかりで、ムゥとマリューの夫婦水入らずでソフィア観光を楽しんでもらうためであることは
カガリだけの秘密だ。
それに、と続いたカガリの声が微かに揺らめいたように聴こえたのは、
マーナの気のせいでは無かっただろう。

「現地で、准将と合流するし、な。」

カガリはふわりと口元を結んで瞳を流した、その仕草にマーナは切なさに溜息を漏らした。
マーナの仕草を敏感に嗅ぎ取ったカガリは慌てて言葉を付け足した。

「カミュ・ハルキアス大統領のご指名なんだよ、
准将を呼んでくれってさ。」

しかし、全てお見通しのマーナは、はいはいと軽く返事をしながらカガリの背中をぽんぽんと叩いた。

「准将にいろいろ聞きたいことがあるんだ。
DDRが順調に進んで、最悪の事態を回避できそうなことは知ってるけどさ。」

マーナはカガリの言葉に耳を傾けながら、思う。

「紛争下で何が起きているのか、
民の暮らしはどうであるのか、
テロ行為の社会的背景は何か、」

言葉の文字だけには現れなくても、
声が空に溶ける響きの端に、仕草の後に、薫る想いに。

「あの地のコーディネーターとバルティカの民は何を想い、
どうすれば共に生きられるのか。」

その深さに。

「准将が見てきたこととか、感じたこととか、
いっぱい聴きたいんだ。」

「きっと沢山お話できますよ、姫様。」

マーナは慈愛に満ちた微笑を浮かべて頷いた。

 

 



同時刻。
キラは数日後に控えたソフィア建国式典への出席に伴いスペイス駐屯地を離れようとしていた。

キラは白い軍服を翻して、留守にする間に駐屯地の責任者となる者に告げた。
「僕とアスランがいなくても
これだけ状況が落ち着けばテロの心配は無いと思いますから、気負わないで下さいね。」
その声には歳相応の明朗さがあって、
プラントにいる最愛の人との再会を心待ちにしていたことが読み取れた。
「じゃ、よろしくお願いしますね。」
そう言って駐屯地を後にしようとした時だった、
ラクスがプラントを発ち、地球とプラントを結ぶシャトルが発着する基地へと向かっているとの知らせが届いたのは。
それを聴いた者たちは、このところ体調を崩し公務を休んでいたラクスの身を案じた、
何かあったのではないか、と。
しかし周囲の声を置き去りにして、キラは駆け出した。

「ごめん、僕急ぐね。
ラクスに、会いに行くんだ。」

その表情は晴れ渡った春の空のようであった。

キラには分かっていたのだ、
遠く離れても、心は誰よりも側にあるから。
ラクスが何かを伝えに来たのだと。
そしてそれはきっと、福音であると。

 

手を伸ばせば、手を繋ぐことができること。
手を繋げば、抱きしめることができること。
瞳を重ねれば、想いも重ね合わせることができること。

離れても、心は傍にあること。

そう、当たり前に信じることが出来た。

ラクスのもとへ駆け出した、この時は。

 

 






「本当に、いいの。」

カミュは琥珀色の瞳を優しく細めて、そっとケイの鳶色の髪に触れた。
心に寄り添うような手付きで頭を撫でた手は、続いたケイの言葉で動きを止めた。

「いいよ。
僕が、キラになるんだ。」

ケイの声は、まるで重力を帯びたように格納庫の床に落ちて、
沈殿する言葉を踏み潰すように床を蹴って、コックピットへと向かった。
カミュは、ブロンドブラウンの髪を掻き揚げて、遠ざかる小さな背中を見上げた。
無垢な光を湛えていたケイの瞳は紫黒に染まっていた。
その色彩が示すケイの心を想いに、カミュは苦味に表情を歪めて背を向けた。

「ケイ。エレウテリアー、行きます。」

ソフィアから漆黒の翼を持つMSが飛び立った。
鈍色の鋼の輝きは、宇宙の闇に溶けた。



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