9-10 幸せの音色





クライン邸の庭に咲き乱れる花々と、
自由に駆け回る孤児院の子どもたち。
そんな平和なひと時をラクスは瞳に映していた。

と、人形を抱いたまま駆けていた女の子が躓いて、
「あらあら。」
今にも泣き出しそうなその子へのもとへ、ラクスが腰を上げた時、
「だいじょうぶ?」
金髪の小さな男の子が手を差し伸べた。

ラクスは小さな優しさに包まれた光景に微笑んだ。
「ウィルは、とても優しい子です。
きっと、新しい家族と共に幸せになることでしょう。」

戦争で家族を喪ったウィルは、マルキオの孤児院で育った。
そのウィルを引き取りたいと、コーディネーターの夫婦から申し出があった。
それは、ラクスが議長に就任してからずっと支えてくれた外交官とその妻であった。
彼らは互いに引かれあって結ばれたが、遺伝子の交配上子どもを授かる望みは無かったのである。

マルキオとその子どもたちがクライン邸を訪れていた理由は、
ウィルの門出を見守るためと、もうひとつ。

カシャンッ。

ティーカップとソーサーが擦れる音に、子どもたちは一斉に視線を向け、
苦しげに米神に手を這わすラクスの姿を捉えると、一目散に駆け出した。
「ラクスおねぇちゃん、だいじょーぶ?」
「いたいの?」
「びょーき?」
潤んだ小さな瞳で見上げてくる子どもたち1人ひとりに諭すように、
ラクスは微笑んで応えた。
「大丈夫、ですわ。」

ラクスの体調不良は今に始まったことではなかった。
数日前から公務に支障をきたすほどの眩暈に見舞われ、
時折腹部に鈍い痛みを感じることもあった。
バルティカ紛争勃発に伴う対応は予断を許さず、
プラントの独立自治区であったソフィアの建国記念式典への出立を明日に控えていた。
議長として今すべきことが山積している状況下で、
ラクスの症状は休養を取らざるを得ない程に悪化していた。
ラクスは子どもたちに気付かれぬようにそっと、体内にこもった熱を放出するように溜息をついた。

「あー、マルキオさま、きたー。」
1人の子が声を上げれば、輪唱するように声が連なって、
子どもたちはマルキオを取り囲み、せかすように手を引っ張った。
「はやくっ、はやくっ。」
「ラクスさま、びょーきだよっ。」

「マルキオ様。」
ラクスが椅子から立ち上がった拍子に、肩に掛けていたショールが儚く落ちた。
立ち上がるだけで視界が霞がかり、ラクスは潤んだ瞳を瞬かせる。
そんなラクスの身体をいたわるように、マルキオはラクスの肩に触れ椅子に腰掛けるように促した。
そして、ゆったりとした手付きでラクスの細い手を取り、静かに告げた。
それはまるで、神からの預言のように。

「ラクス様。
あなたは、命を授かったのです。」

瞬間、ラクスの頬を涙が伝った。
それは澄んだ泉のように煌いて、
音も無く溢れる喜びが光となって満ちていく。

叶うことは無いと知りながら信じ続けた願いに
ラクスは迷わず手を伸ばし、命が宿るその場所へ触れた。
小さく眩い奇跡が、この身体の中で息づいている。

声にして伝える最初の言葉は、微笑みと共に生まれた。

「ありがとう・・・ございます。」

 

無垢な瞳で見詰めていた子どもたちには、マルキオの言葉は難しかったはずだ。
それでも、ラクスの悦びと慈愛に満ちた姿から真実を知ったのであろう。
「わーっ!ラクスおねぇちゃんに赤ちゃ・・・。」
子どもたちがそう言いかけた時、マルキオは口元に人差し指を当てて、
それを見た子どもたちは意図を解せずとも言葉を仕舞った。
マルキオは優しい微笑みを浮かべると、子どもたちを諭した。
「いいですか、このことはキラ様がお知りになるまでは、秘密ですよ。
何故なら、ラクス様が最初にお伝えしなければならない人は、キラ様だからです。」
そしてラクスへ面差しを向け、告げた言葉は導くような響きを持っていた。

「行きなさい、愛する人のもとへ。
喜びを、分かち合うために。」

ラクスは深く頷いた。
「はい。」
その拍子に、溢れる喜びの雫が頬を濡らした。

別れを嗅ぎ取ったウィルはラクスに駆け寄ると、
無垢な瞳を真直ぐに向けてラクスに告げた。
「ラクスおねえちゃん、おしあわせに。」

ラクスは小さな小さな祝福に歓喜に満ちた微笑を返した。
「ウィルも、おしあわせに。」

そしてラクスは真直ぐに歩み始めた。
キラのもとへ。

 

 




同時刻。
アスランはコロニー・ウイング内のEPU本部で、
バルティカ紛争におけるDDRの施行状況について報告を行っていた。

「プラント側が、バルティカより和解条件として提示された
食糧・エネルギー援助と一件に関する賠償金を全面的に受諾したことが大きく働き、
現在武装解除が完了している・・・。」

アスランのたゆまぬ報告を遮ったのは、マイペースすぎるひと声。

「このコーヒー豆は最高だ、そう思わないかい?
というか君も、とりあえず一口飲んでみたまえ。」

「バルトフェルドさん・・・。」

アスランは溜息まじりに首を振った。
EPUでバルティカ紛争を統括しているのは平和構築委員会で、
オーブは委員会からの委任を受けてDDR部隊を派遣したのであり、
従ってアスランにとっては
目の前でコーヒーの香りに酔いしれているバルトフェルドが上司ということになるのである。
アスランはその事実にもう一度溜息を漏らした。
生真面目なアスランの気質にニヒルな笑みを浮かべたバルドトフェルドは、
コーヒーを回すようにカップを傾けた。

「報告は随時もらっているし、
DDRが予想以上のスピードで成果を出していることは分かっているつもりだ。
もっとも、だからこそ隊長である君が現地を離れることも可能な訳だしな。
だから、」

バルドフェルドは一度言葉を切ったのではない、
鋭さを増した眼光によって言葉が切断されたと言った方が適切だった。

「俺が知りたいのは、アスラン、君のことだ。
何があった、この短期間で。」

真実を一突きで捉える、バルトフェルドの視線に対して
アスランは沈黙を貫いた。
応えられる言葉など、今は無い。
予想通り一筋縄ではいかなアスランを前に、バルトフェルドはわざとらしく肩を竦めて
組んでいた足を解いた。

「では、質問を変えよう。
何処で、何が動いている。」

それはまるで獲物の急所を一瞬で突く獣ように、

「何時からそれは始まった。」

真実に向かって砂漠の虎の爪が打ち込まれていく、

「何が起きようとしている。」

しかし、真実を包むベールが悪戯に揺れるばかりで、空を滑る。

アスランは沈黙を護りながら、沈黙にのせて伝えようとしていた。
今は、何も言えないと。
何も言えない、何かがうごめいているのだと。
そしてそれは、沈黙を余儀なくさせる程強大なものであると。

それを読み取ったバルトフェルドは思考を転換させるように息を吐き出すと、
再度アスランと向き合った。

「また、質問を変えよう。
その時、」

アスランはバルトフェルドが声色で示した“時”に、微かに身体を震わせた。
それは恐怖とも、武者震いとも違った。

「アスラン、君は何処にいる。
オーブか、それとも――。」

暗にほのめかされたEPUへの道。
アスランが応えたのは、最後の問いだけだった。

「夢を叶える為の場所に。」

重要なことは場所ではない、目的である。
バルトフェルドに問われた短期間に
自分自身で抱き続けた夢は、
世界で一番大切な人と共に叶える夢に変わった。
そして今、夢を叶える為の場所はオーブである。
しかし、真実を知りえないバルドフェルドの眼差しは真実を透かし見たように深く、
アスランの心に留まった。



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