8-7 二重螺旋
幼い日の夢を見た。
お父様と見る世界には
人の掌のようなあたたかさを感じた。
友達と手を繋いで世界を見れば
胸が高鳴って、
大好きな人たちと世界を見れば
肩を並べて歩みたくなった。
一人で世界を見れば
自分の矮小さに潰れそうになった。
それでも、
顔を上げて前を向くことが出来た。
――私は
この世界を愛しているから。
“ 本当に? ”
ふいに過ったその問いに、
カガリは振り返った。
無の世界に浮かび上がる曲がりくねった足跡に
愛おしく瞳を細めた。
その瞬間、記憶が流星雨のように降り注ぎ胸を通り抜けていった。
記憶の全てが美しい訳ではない。
今でも、心に描くだけで涙が滲み
震える程の痛みを覚え
憤りに拳を握るものもある。
それと等しく、
包み込むような優しさや
空に舞い上がるような喜びや
煌きのような尊さを感じる。
――その全てが、
私の胸の中の
燈し火だ。
“ 本当に? ”
可視化されず
音も無く
しかし実体を持って迫るそれに
問いは繰り返される。
その声に呼応するように
カガリは記憶の先へと視線を馳せる。
浮かび上がるのは真紅の足跡。
そのおびただしい数の血痕は
永久に乾くことが無い。
自分が息を呑んだ音がした。
それだけで、
今、自分が肉体を伴ってここに存在することを
残酷に知らしめる。
この皮膚の下を脈打つ血潮には
この軌跡が刻まれている。
メンデルで生まれた奇跡の子どもとしての刻印が。
過去は現在の自己を規定し
未来を志向する夢の礎となる。
しかし、現在も未来も全て過去によって敷かれるのでは無く、
その過去を規定し、未来を志向する主体としての自己によって選択される。
どんな過去を持っていようとも
未来を開く自由を
人は等しく持っているということを
カガリは信じている。
しかし。
喉を鳴らし
口内が冷たく乾ききっていることに気付く。
視線は引力に囚われたまま
無数の足跡から逸らせない。
そう、
自己自身に刻まれた事実に抗うことは叶わないと、
それを抹消し
現在と未来から排除することなど不可能であると、
軌跡が告げている。
何故なら、
フリーダム・トレイルは
この身体の中で二重螺旋を描いているのだから。
それは、哀しい真実。
絶望を前に
瞳に宿る暁の光は闇に侵されていく。
どんな未来を描いても
全てが砂塵のように消えうせる。
自由への軌跡を辿るように
カガリの右頬を凍てついた涙が伝う。
痛みと共に甦るその温度にカガリは目を瞠った。
この涙は、キラの涙と同じであることを知った。
引き寄せられるように呼び寄せるように
白い闇の世界が無限の速さで広がっていった。
舞い落ちる粉雪は、
塵灰のように足元を埋めていく。
今なら分かる。
あの時のキラの言葉が。
『僕は、生まれてきちゃいけなかったんだ・・・。』
無数の命に犠牲を強いたのはこの存在だから。
『この世界にいちゃいけないんだ。
生きていちゃ、いけないんだ・・・。』
罪はもう生まれる前からこの身体に刻まれている。
それなのに、
何も知らず生きながらえてきた。
『でもっ!!!
僕はっ!!!
人間じゃないっ!!』
この存在は許されない。
奪われ続けた命が許す筈が無い。
未来を砕かれ
歴史からも排除された無数の命の上に、
自分だけが未来を描くことは
許される筈がない。
『僕が、ここにいるから・・・
世界を、僕が、壊したんだ!!!』
許される筈が無い、
生まれてきたことを。
今も直生きていることを。
あの研究室が破壊されても
誰の記憶からも消去されても
歴史として世界に遺されなくても。
この血の中で、
憎しみと哀しみの二重螺旋を
永久に描き続ける存在を、
誰が許すというのだろう。