8-5 信じて待つ人




針を落とせば音がする程の静けさの中で
時計の秒針が、空気を震わすように鋭く響く。

キラとラクスは寄り添うように手を繋いで
唯静かに祈るように口を噤んでいた。
アスランは、黙々とウズミの手記に目を落とし
ページを繰る乾いた音は途絶えること無く続いていく。

カツ、カツ。

突然紛れ込んだ、窓ガラスに小石が当たるような音の方へ視線をやれば、
カガリの機械鳥のポポがいた。
アスランが窓を開ければ、ポポは書斎を旋回するように羽ばたいた。
「どうして外に・・・、
カガリの部屋にいた筈なのに。」
と、キラが呟いた。
アスランが手を伸ばせば、ポポはおとなしくそこに止まった。
「カガリは部屋を出たのかもしれない。
恐らく、窓から・・・。」
誰にも気付かれないように、そっと。
「ポポッ、ポポッ。」
そうポポが鳴けば、ラクスの足元でハロが跳ねた。
「カガリ、イエデッ!カガリ、イエデッ!」
ラクスは鞠のように弾んだハロを両手で受け止め、優しく問うた。
「ポポがそうおっしゃっているのですか?」
「ハロッ!!」
ハロは肯定を表すように小さく跳ねた。

アスランは窓の外へ視線を馳せながら、
小さく溜息をついた。
「やっぱり・・・。」
溜息混じりに漏れた言葉を、キラは聞き逃さなかった。
「やっぱりって、どういうこと?」
アスランは苦笑しながらポポのくちばしを突いた。
「カガリがいなくなると、決まってポポが俺のところに来るんだ。
カガリの元を離れるなと、何度も言っているのに聞かなくて・・・。」



同じことが何度かあった。
二ヶ月前もそうだった。
公務を終えて退庁したはずのカガリが邸宅に戻らなかった。
その時、アスランはモルゲンレーテの地下格納庫にいたにも関わらず
ポポは何処からともなくやってきて、
アスランが、幾らポポにカガリの元へ還る様に命じても
主に似たのか、ポポは頑として動かなかった。
そうして結局いつも、アスランがカガリの元へ向かうことになる。

それは決まって抑えきれない感情を抱えた時、
カガリは一人、いなくなる。
誰にも悟られないようにそっと、感情を抱きしめるために。
瞳を閉じて俯いたまま
握り締めた両手を胸に押し当てて。

その姿を見る度にアスランは痛いほど思い知らされる、
“俺は、カガリを失ったんだ”、と。
感情に寄り添うように手を繋ぐことも、
頬を伝う涙を拭うことも、
潰れそうな胸の痛みを抱える君を抱きしめることも、
出来ないのだから。



「どちらへ向かわれたのでしょう。」
ラクスの透明感のある声に陰りは無く、
カガリは無事であることを信じていることが伺えた。
それはキラも同様で、カガリを探すように窓の外へと視線を向けていた。
「恐らく、ウズミ様の墓前だろう。」
アスランは静かに応え、冷たい焦燥を抑えて真直ぐにキラを見据えた。
その視線の意味を悟ったキラは、安らかな表情のまま深く頷いた。
「大丈夫、カガリは死を選ばないよ、絶対に。」
どんなに論理的に根拠を列挙されるよりもずっと
キラの真実を貫くような瞳は説得力を持っていた。
キラとアスランのやり取りを見守っていたラクスは
ゆったりとした手付きでお茶の用意を始めた。

信じて待つこと、
今の自分に出来ることはそれだけであることをラクスは分かっていた。
そして、他に出来ること持つのは、
アスランだけだということも。




それから、時計の長針と短針が何度か重なっては追い越していった。
アスランは時計を見たところで仕方が無いことは分かっていたが
無意識に向いてしまう目をどうすることも出来なかった。
読み終えた何冊目かの手記を閉じ、
今度はそのまま窓の外へと視線を向ければ、
星の位置がまた少し地平線へ向かって傾いていた。
「もうすぐ夜明けだね。」
キラの声は、アスランの心の声をそのまま読み上げたようだった。
「カガリ、大丈夫かな。」
恐らく、精神的な距離で一番カガリに近い位置にいるキラの
カガリの身を案ずるような言葉に、アスランは息を呑んだ。
「何・・が・・・?」
「ちょっと、遅すぎると思わない?」
カガリが部屋を出て行ってから、
もう随分と時間が経っていることはこの部屋にいる誰もが知っていた。
アスランは一瞬にして冷えた鼓動を抑えるように思考を一つひとつ確認していった。

――キラは、カガリは“大丈夫だ”と言っていた。
   それに、事実と向き合うには時間が必要で・・・
   きっとカガリは今頃、ウズミ様の声に耳を澄ましているはずだ。
   今の俺に出来ることは、信じて待つことの他無い・・・。

アスランは導き出した自らの結論に、拳を握り締めた。
カガリの隣に立てない自分には、
それ以上踏み込む権利など無いのだと
結論の行間は物語っている。

キラはさらに続けた。
「心は壊れて無くても、」
“壊れる”という脆さを帯びた言葉をキラが口にすると
自ら死を選んだ経緯から、恐いほどのリアリティが滲み出る。
「体は、動かなくなってるかも。」
「そうですわね。キラもあの時・・・。」
ラクスの言葉が結ばれるのを待たずに、アスランは弾かれたように駆け出した。
理屈無く、体が勝手に動いていた。
衝動のままカガリの元へ行っても、
過去にカガリの手を離した自分に何が出来るか分からない。
それでも、

――君を護りたい。

「アスランっ!」
書斎の扉を開けたアスランをキラが呼び止め、
振り返ったアスランにジャケットを投げた。
「カガリのこと、頼むね。
君にしか、出来ないんだ。」
キラの言葉が、風のように背中を押すのを感じ
アスランは凛とした眼差しを返した。
「必ず、連れ戻す。」



長い廊下の先に、既にアスランの姿は無く
それでもキラとラクスは面影を追うように立ち尽くしていた。
「僕たちに出来ることは、
“2人を”、信じて待つことだけだから・・・。」
キラとラクスが書斎で待っていたのは、
カガリだけではなかった。
アスランが、自分の想いを縛める約束を越えて
カガリの元へ向かうことも、待っていた。

そしてアスランとカガリが真実を見つけることを、
今もここで待っている。

ラクスはキラを繋いだ手に微かに力を込めた。
「間に合いますわ、きっと。」
「そうだね。」
応えるようにキラは微笑んだ。 


 


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