8-4 伝えるということ



現在は、ウズミの書斎はカガリの書斎である。

アスハ家では代々、
頭首の交代と同時に書斎も引き継がれる慣わしとなっている。
しかし、カガリはウズミの書斎をそのままに残していた。
天井まで届く本棚に整然と並ぶ書籍はもちろんのこと、
その並びさえもそのままだった。
書斎の扉を開けばそこに、
ウズミの気配がする程に。

しかし、今の書斎にはいつもそこに無いものがあった。
何代も引き継がれてきた歴史を思わせる木製の机の上の古ぼけた革製のトランクは
別の場所から持ち込んだものであるのに何故か、
ずっと前からこの書斎の一部であったように佇んでいた。
アスランが横に置かれた鍵でトランクを開くと
そこには数冊の本が無造作に入っていた。
質素な装丁の本は、使い古した辞書のように所々くたびれ
何かで濡らしたのであろうか一部は色を変えて波打っていた。
そこから感じられるのは、
持ち主と過ごした時間の長さと深い愛着であった。



暁が納められていたその場所からウズミの遺品が見つかったと
アスランが知ったのはカガリの口からではなく、
コル爺からだった。
『見つかったボロのトランクの中にはの、
ウズミの手記が入っていたそうじゃ。』
その話を聴いた時、アスランは素朴な疑問を覚えた。
手記を遺すならば、わざわざこんな場所を選ぶ必要など無いのではないか、と。
書斎でも、自室でも、信頼している人物に預けることだって出来た筈だ。
そんなアスランの疑問を、コル爺は笑い飛ばした。
『ここはウズミの隠れ家みたいなもんじゃったからのぉ。
遺そうとしたのか、残ってしまったのか、わからんぞ。』
しかし、アスランはコル爺の言葉にも遺された手記の存在にも、
何処か引っかかるものを覚えていた。
ウズミが死を覚悟していたということは近い将来、
政治的に未熟なカガリがオーブの代表の座に着くことも分かっていた筈だ。

――それならば直のこと、
   手記を目に見える形でカガリに遺すべきだったのではないか・・・。

現に、アスランは幾度と無く
カガリが必死でウズミの声に耳を澄ませるように思いを馳せている姿を見てきた。

――何故、手記を隠した・・・、
   いや、直接遺さなかったのだろうか・・・。

その疑問が、カガリの出生の秘密と
つまりフリーダム・トレイルと結びつけば 1本の筋道が出来上がる。
故にアスランは、メンデルの再調査から帰国した際には
ウズミの手記を拝読したいと考えていた。



トランクの中から無作為に1冊手に取り
表紙を開いてページを繰る。
そこには、癖字のウズミの生きた言葉が綴られていた。
本を持つ手が震えて、
アスランは振り切るように頭を振った。
今頃、カガリはメンデルで行われていた事実を伝えられているのであろう。
キラが傍にいるのだ、
何も心配することは無いと分かっていても、
鼓動が重く響くのは何故だろう。
アスランは自らを落ち着かせるように深く呼吸をした。
呼吸と鼓動を乱さないことが思考を一定に保つという事、
それはパトリックに授けられた
遺伝子によらない遺伝であった。

控えめなノックが書斎に響いて
迎えるようにアスランが扉を開けば
茶道具を持ったラクスがそこに居た。
「お茶に、いたしましょう。」

ページを繰る乾いた音と陶器が触れ合う音が
本で囲まれた書斎に吸い込まれていく。
その様が、全てを受容するように感じさせて
不思議と心を穏やかにさせていく。
「お尋ねにならないのですね。」
ラクスの問いに、アスランはウズミの手記から顔を上げた。
すると、ラクスは優雅な手付きで紅茶を差し出した。
アスランは礼を言ってそれを受け取ると、
遠くにある何かを見詰めるように応えた。
「キラなら、きっと大丈夫だろう。」
カガリにメンデルの事実と、
キラの見付け出した真実をきちんと伝えてくれるだろう。
「そうですわね。」
そう言って、ラクスは穏やかに目を細めた。
「カガリはお強い方です。
きっと、真実を見つけますわ。」

受け取った紅茶からたゆたうように立ち上る湯気が
遺伝子の二重螺旋のように見える。
アスランが微かにカップを揺らせば
それは水泡のように儚く消える。

「何を、読んでいらっしゃったのですか?」
歌うようなラクスの声に、アスランは手元の手記に目を落として応えた。
「ウズミ様が遺された手記だ。
暁が納められていた場所から見つかったんだ。」ラ
クスは言葉を受け止めるように、ゆっくりと復唱した。
「手記・・・。」
「ずっと、不思議だったんだ。
何故、ウズミ様は“カガリ”を自ら引き取ったのか。」
アスランの言葉の奥行きから、ラクスは同時に立つ命題を読み取った。
何故、“キラ”はヤマト夫妻に預けられたのか。
そして、そもそも何故、
2人を助け出したのか、
2人を生かしたのか。
「ウズミ様はアスハの名を持つ。
メンデルで生まれた子どもを匿うのは普通に考えて、
相当なリスクを負うことになる。
それでも、カガリを誰かに託すのでは無く
自らお育てになったのは、理由があるのか、と。」
アスランはがさがさに荒れた紙の表面に丁寧に書かれたウズミの癖字を指でなぞった。
ウズミの言葉に耳を澄ませる様に。
「アスランは、どうお考えなのですか。」
ラクスはアスランの脳裏に描かれている仮説を捉えるような眼差しで問うた。
アスランはラクスから視線を一つ外すと柔らかく微笑んだ。
「ウズミ様のお気持ちが、
カガリに伝わればそれでいいんだ。」



それから、どれ位の時間が経ったのであろう。
アスランは黙ってウズミの手記を読み進め、
ラクスは真直ぐに宇宙を見上げていた。
そして、書斎の扉が静かに開いた。
「キラっ。」
ラクスはソファーから立ち上がるとキラの元へ駆けた。
いくら、キラがフリーダム・トレイルの真実を見出していても、
もう一度それを目の前にすることに痛みを覚えないはずが無い。
ラクスはキラの無事を感じるように、
戻ってきたキラの痛みを癒すように抱きしめた。
アスランは、キラの隣にカガリがいないことに瞬時に気付き、
確かめるように問うた。
「キラ、カガリは・・・。」
キラの表情は至極安らかであることからカガリが無事であることは読み取れたが、
それでもここにカガリがいないことが
アスランに冷たい焦燥をもたらした。
キラはアスランとラクスを安心させるように、
柔らかな微笑みを浮かべた。
「カガリは、大丈夫。
きっと、真実を見つけるから。」
「カガリを部屋に残してきたのか。」
アスランの声は、感情と走り出しそうになる思考を抑えたようだった。
「うん。一人で考えたいって。」ラ
クスはキラの胸に手を這わせながら、
キラの表情を映したように安らかに微笑んだ。
「今は、向き合う時間なのですね。」
「うん。」
キラは胸にあるラクスの細い手を
そっと包み、握り締めた。
ラクスは指先から、
キラの感情が流れ込むのを感じ愛おしさに目元がゆるんだ。

一方、アスランは全身が冷え切っていくような感覚を覚え
無意識に拳に力を入れていた。
事実と、
感情と、
向き合うこと無しに、真実を導き出す事は出来ないことは分かっている。
しかし、受け入れなければならないそれらは
決して綺麗なものでは無い。

――むしろ・・・

「大丈夫だよ。」
顔を上げたアスランの先には、
変わらずに安らかな表情のキラがいた。
「カガリは、大丈夫だよ。
僕たちがいるから。
僕たちは、僕たちの真実を伝えることが出来るから。」



『真実は、もう僕の胸にあるから。』
そう言ったのはキラだった。
真実とは、自己の胸の内にある燈し火のようなものだ。
それは、自ら薪をくべ燃やし続けなければならない。
他者がそれを担うことは出来ない。
その意味で、真実とは極めて私的なものである。

しかし、火は移すことが出来るように
光は照らすことができるように、
真実を他者と分かち合い
真実を光指すことは出来る。
それを、受け止める他者が存在するのなら。

わたしの真実を
あなたが受け止めてくれるなら。
そうしてわたしの真実は
わたしたちの真実へと変わる。
一つの小さな燈し火が
2つの燈し火になって、
光はより強くなり
わたしたちを照らしあたためる。

人は、伝えることが出来る。
伝えることとは、光を分かち合う尊いことだ。


「だからね、アスラン。
カガリに伝えてほしいんだ、
“君の真実”を。」

キラの澄んだ瞳も安らかな表情も
1本道に帯びるような厳しさを持っていた。 
 


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