8-25 ラクスの幸せ



「お腹に、触れてもよろしいでしょうか。」

ラクスの鈴の音のような声に、マリューはたおやかな微笑みを浮かべた。

「もちろん。きっと、この子も喜ぶわ。」

ラクスは、命が宿る場所へそっと手をあてた。
想像していた以上に感じる熱に、確かに息づく命を思う。
鼓動に重なる小さな音色に耳を澄ませる様に、クスは瞳を閉じた。

マリューはラクスの様子をつぶさに見詰めていた。
いつもと変わらぬ微笑を浮かべてはいるが、
今までとは決定的に異なる何かを、ラクスから感じ取っていたからだ。

――まるで、何かを乗り越えたような・・・
   そして、何かを覚悟したような・・・

今しがた、同じ感覚をカガリからも看取していたマリューは思う。
これは偶然なのであろうか、と。
そしてまた、あまりに若すぎる彼等に、世界は何かを託そうとしているのか、と。
そこまで考えが及んで、マリューはそっと本を閉じるように思考を結んだ。
彼等が何も告げようとしないのは、きっと何も告げられないからでは無いのだと、
信じようと思ったのだ。



「赤ちゃんは、好き?」

マリューの言葉のままの問いに、ラクスは微かに頬を上気させて頷いた。

「はい、とても。」

私は詳しいことは分からないけど、そう前置いたマリューは希望の響く声で続けた。

「キラ君との間に、子どもを望むことは不可能ではないんでしょう。」

ラクスは瞼を閉じて、開いた瞳をガラスの向こう側へ馳せた。
そこには、暁の周りを飛び回る2羽の機会鳥と、
コックピットから見え隠れする愛する人が見えた。
表情は見えずとも伝わる楽しげな雰囲気がここまで伝わってくる。

――きっとキラは今、笑っているのでしょう。

「諦めてはならないと、
マルキオ様がおっしゃっておりました。」

ラクスの言葉からマリューは、キラとラクスの間に子どもを授かることの可能性が極めて低いことを読み取り、
ラクスの視線の先に意識を向けた。
ラクスは曇り無き春の青空のように澄んだ声で続けた。

「キラは第一世代、つまりファーストですわ。
ですから、セカンドである私との間に子どもを授かる可能性は、セカンド同士よりも高くなります。
理論上は。」

最後の単語が、夢を絶つように冷たく響いたようにマリューは感じた。

「しかし、わたくしの遺伝子は、セカンドでは考えられない程操作が加えられているそうです。」

「え?」

マリューはゆったりとラクスへ視線を向ければ、
そこには変わらぬ微笑を浮かべたラクスが静かにキラを見詰めていた。

「ですから、アスランなのです。」

「対になる・・・遺伝子ってこと?」

幾分言い難そうにマリューが言葉を添えれば、ラクスは穏やかに続けた。

「わたくしの遺伝子が、特殊なのです。
ですから、わたくしは、アスラン以外に子どもを授かることは
無いのでしょう。」

まるで、泉のように澄んだ声でラクスが告げるから、
マリューはあまりに哀しい事実に瞳を伏せた。

しかし、ラクスは微笑みを浮かべたまま続けた。

「わたくしの一番の幸せは、
キラと共にあることですわ。
それが、わたくしの全てなのです。」

と、暁のコックピットから大きく手を振るキラが見えて、
ラクスはくすくすと笑みを零して、花が揺れるように小さな手を振った。

「わたくしは、幸せですわ。」

マリューは溢れそうになる涙を飲み込んで、ラクスの手を包んだ。
小首を傾げて顔を向けたラクスの瞳は、清らかに今を見据えていた。

澄み渡る春の空を思わせる瞳に、
哀しみも、
諦めも、
絶望も、
何も斑むことは無い。

あるのは今、この幸せな時だけであるとそう告げている。

マリューは胸に支えそうになる言葉を懸命に紡ぎだしたが、
応えられたのはたった一言だけだった。

「そうね。幸せだわ。」

「はい。」

この時のラクスの微笑みは、
まるで桜が舞うようであったと
マリューは思った。
 


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Chapter 8   blog(物語の舞台裏)
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