8-23 命の雫



施設内のコンファレンスルームの一番窓際のソファーに
マリューとムゥはゆったりと座っていた。
一面ガラス張りのその部屋は、正面に暁のコックピットが見えるが、
既に作業を開始しているコル爺の表情は遠く感じる距離にあった。

マリューがゆったりとした仕草で時計を見遣れば、間もなく約束の時刻を指そうとしていた。



「マリューさんっ!!」

カガリはマリューと視界に捉えると文字通り一目散で駆け出した。
が、減速しようと緩めた足が躓いて前進がつんのめった。

「おわっ。」

このままではお腹に衝撃を与えてしまうかもしれない、
咄嗟にカガリは身体をひねって、転倒による衝撃を緩和さえようとキサカ仕込の受身に備えた。
が、衝撃は何時までたっても訪れず、
代わりに身を包んだのは不可思議な浮遊感。
そうして気付いた、
転倒する寸前に誰かが自分を持ち上げてくれたのだと。
そして、それが誰だか気付かないカガリではない。
何故なら、そのぬくもりに包まれたのは
今朝のことだったから。

「代表・・・、ウズミ様に笑われますよ。」

溜息交じりに聞こえたアスランの声はあまりに近くて、
振り向かなくとも視線を後方へ向ければ、そこには笑いを喉元で抑えたアスランがいた。

「スマン・・・。」

ばつが悪そうに呟くカガリを、アスランが丁重に降ろしたところで
ムゥの爆笑が室内に響いた。
カガリは、"う〜"と子猫が唸るような声をあげて頬を染め、
そんなカガリの表情に堪えきれず、アスランもマリューも笑った。
そして、ムゥとマリューは視線を合わせて微笑みあった。
カガリが元気を取り戻したことに、心から安堵を覚えたのだ。




カガリは改めて、マリューを抱きしめた。
マリューは微かに驚いたが、そのまま抱擁に優しく応えた。
もともと、カガリがストレートに感情を表すことは知っていたが、
それでも会って早々抱きしめることなど、何時振りであろうとマリューは思う。
そして思い当たるのだ、
決戦が終わり地球へ帰還した時も、カガリがこうして抱きしめてくれたことを。

「もう身体は大丈夫?」

たおやかに微笑むマリューに、カガリは陽の光のような笑顔で応えた。

「あぁ、バッチリだっ!
マリューさんは?順調か?」

マリューは慈愛に満ちた瞳を細め、そのままお腹に視線を向け、大切そうに手をあてた。
そこには、小さな命が宿っている。

――命は、同じなんだ・・・。

フリーダム・トレイルで生み出され廃棄され続けた無数の命と、
今目の前で、ムゥとマリューに育まれるひとつの命は、
等しい。

――命は、等しく尊いと
   教えてくれたのは、お父様だった。

等しく尊い命の今が、どうして異なるのだろう。
どうして人は、その尊さを見失うのだろう。

カガリは震えそうになる手を叱咤するように握り締め、
マリューに問うた。

「赤ちゃんの声、聴いてみてもいいか?」

それに応えたのはムゥだった。

「チビちゃんも、すこぶる元気だぜ。」

カガリはマーナがリメイクしたワンピース型の首長服の裾が乱れるのも厭わず、膝をついてマリューのお腹に耳を当てた。
そこから聴こえる生命の音色に、静かに瞳を閉じた。

――命は、なんてあたたかいのだろう・・・。

命の尊さを教えるのは
命である。
連綿と続いてきた奇跡に触れて、
浮かぶのは泣きたい程安らかな微笑だった。






カガリの様子が普段と異なることをムゥもマリューも気付いていた。
生死の境を彷徨い、半身であるキラが自損事故を起こし、
泉に一石を投じたように世界に波紋が広がった、
それはたった数日の出来事だった。
故に、カガリの変化はごく自然なことであり、
反対に元の陽の光のような笑顔を取り戻せたことが奇跡のように思われて、
ムゥとマリューはありのままのカガリを受け止めた。
と、ムゥは横へ視線を滑らせた。
そこには、カガリを静かに見詰めるアスランがいた。
病室で眠り続けるカガリに向けたように、
言葉は無くとも多くを語る眼差し。
しかし、並外れた観察眼を持つムゥであるからこそ気付いた、
その眼差しに微かな熱が溶け合っていることを。
そしてそれは、カガリと同じ熱であることを。

――何か、あったって訳ね・・・。

ムゥは気付かれない程そっと、安堵の溜息を漏らした。
不器用な程誠実に、不自然な程自然な距離を保ち続けたアスランとカガリが、
もう一度心を通わせたのだと、そう思ったのだ。

そして一方で、その何かにメンデルが絡んでいるのだと、
不確実な確信を覚えた。
それは静かに凝固し、
胸の奥に深く沈んでいった。






技術協力としてキラを迎えるために、アスランとカガリは一足先に暁の元へと向かった。
硬質な足音を響かせる廊下で、並んで歩く。
呟いたカガリの声は、隣で歩むアスランだけに届いた。

「あの命を護ることが、私の使命なんだ・・・。」

カガリは小さな命の燈し火の眩さに瞳を細めた。

「それを私は誇りに思う。」
と、瞼を薄く閉じて視線を落とした。
「戦争を止められず、今も力が足りない私が偉そうなことはいえないけど・・・。」

「だから、みんながいるんだろ。」

続いたアスランの言葉に、カガリは瞼を弾かれアスランを仰ぎ見た。
瞳の翡翠の色彩が帯びる灼熱に、心強さを覚えた。

「個人の力はあまりに小さい。
だから、人は手を繋いで力をあわせていくんだ。
そうやって、君はずっと護ってきたんだ。
命を。」

アスランの言葉がどうしてこんなに胸に響くのか、カガリは知っている。
それは、アスランの言葉が少ない分だけ沢山
心を通り抜けてきたからだ。
言葉に応えたくて、カガリはアスランの手を強く握った。

「アスランもだぞっ。」

胸の高鳴りと共に、声が強くなる。
瞳を見開いたアスランに、カガリは眼光鋭く詰め寄った。

――やっぱり、コイツ分かってないなっ!

「アスランも、護ってきたんだっ。」

案の定、と言うべきなのであろうか、アスランは瞼に視線を伏せて困ったような微笑を浮かべた。
自分の事になると、行き過ぎる程謙虚になって、
過去への責任を人一倍重く受け止める、
そんなアスランであるからこそカガリは握った手に力を込めた。

「私は、信じてるからなっ。」

真実を射抜くような眼差しに照らされて、
アスランは自然と心が安らいでいくのを感じた。

――多分、今、俺はカガリに叱られていて
   無茶苦茶に励まされていて・・・。
   そして、きっと信じてくれていたんだ、カガリは。
   だから。

「ありがとう。」

だたそれだけで、
頷いた瞬間に光の粒が散るような君の笑顔に思う。
護りたいと、思える人がいるということは、
どれほど幸せなことなのだろう。

そして、護りたい人が、
場所が、
増えていくということは、
どれほど幸せなことなのだろう。


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Chapter 8   blog(物語の舞台裏)
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