8-20 明日のはじまり



太陽と戯れるように閃く木々の先に
キラとラクスの待つ庭が見えた。

芝生の上にテーブルを据えて
大きなテーブルクロスを広げるキラと
芳しい花々を抱えたラクスが見える。

風にのって花の香が微かに届いた気がして
花びらがゆれるように優しく心が震えた。

その時、カガリは羽が掠めるようにそっと
背中を押された気がした。
振り返るより先に駆け出した足に、
涙が滲んだ。
振り返らないこと
それが背中を押してくれたアスランの優しさへの、
カガリの応えだった。




「キーラーーーーっ!!!!」

力の限りに地面を蹴ってカガリはキラに飛び込み、
キラはいつかのように、そのまま倒れこんだ。
キラは背中にあたたかな大地を感じ
腕の中にかけがえのない半身を抱いて
奇跡を刻むように瞳を閉じた。

「おかえり、カガリ。」

ふわりと陽だまりの薫りがした気がして瞳を開けば
そこには陽の光のような笑顔があった。

「ただいま、キラっ。」

それだけで、キラは無条件に信じることができた。
カガリは真実を見つけたのだと、
その真実は分け合った命と等しくひとつであると。

目の前にある安らかなキラの微笑みに
カガリは無条件に信じることができた。
アスランと共にみつけた真実が
この世界の中に息づいていることを。
その息吹きの中にずっと
自分はいたことを。

「私は、キラと一緒に
この世界に生まれてきて良かったっ。
キラに出会えて良かったっ。」

「うん、僕もそう思う。
それが、嬉しいんだ。」



重なる喜びに光が広がるような光景に
ラクスは慈愛に満ちた眼差しを向けた。

「良かったですわ。」
「あぁ、本当に。」

穏やかな表情で頷くアスランに、
ラクスは滑らかに視線を馳せて向き直った。

「アスラン、あなたも。」

その言葉に微かに目を瞠ったアスランに、ラクスは笑みを零した。

「あなたも、良かったのです。
そう、思いませんか。」

アスランはラクスの澄んだ響きの言葉が胸に染込むような感覚を覚えて、
そうして漸く気が付いた。

「そうだな。良かったんだ。」

キラと真実を結んだ時、
今アスランを静かに満たしていく感情を
ラクスも抱いたのだろうと。

と、
視線の先のカガリが向日葵のような笑顔をこちらへ向けた。
カガリはラクスの名を呼びながら駆けてきて
翼のように両手を広げて抱きしめた。

「ラクス、大好きだっ。」
「わたくしも、
カガリをとても大切に思います。」

そう言葉を結んでラクスは
春の空のように澄んだ瞳を閉じた。
瞳を閉じてもぬくもりで感じる陽の光のように
この笑顔を今もこれからも見れることに
幸せを抱きしめた。



「さぁ、朝食にいたしましょう。」

歌うようなラクスの声に、

「そういえばお腹ぺこぺこだ。」

向日葵のようなカガリの笑顔が揺れて、

「姫様っ!!!」

マーナの雷のような声が落ちた。
大きな瞳を瞬かせながら振り向いたカガリの先には、
バスケットいっぱいにパンを入れたマーナが眉を吊り上げていた。
しかしカガリは跳ねるように駆け出し

「マーナーーーっ!!!」

マーナに抱きついた。
まるで幼い頃そのままの仕草で。
その拍子にバスケットが揺れて、香ばしい焼きたてのパンの香りが広がった。

「まぁまぁ。いつまでもおてんばでございますねぇ。
こんなにお召し物を汚されて。」

いつものお小言をもらしたマーナの瞳には無私の愛が滲み、
そっとカガリの髪を撫でる手付きには時の深さの優しさがあった。
時の雫が心まで染込んだ、ほっとするようなあたたかさを一心に感じるように、
カガリはマーナの肩口に額を押し付け、
マーナは擽ったそうに目尻の皺を深めた。
いくら一国を背負い、凛々しく背筋を伸ばす代表という姿を見ても、
マーナにとってカガリはいつまでも
"小さな姫様"であった。

「さぁ、姫様は母屋へお戻りください。」

そのマーナの厳しい口調に、カガリはがばっと顔を上げた。
マーナは、大きく開かれた琥珀色の瞳が迷子の子猫のように潤むのを見て、
カガリが急務のためにこの場を辞さなければならない予感に駆られているのを見て取り、
眉尻を下げて笑みを浮かべた。

――マーナはいつでも、
   姫様のお見方でございますよ。

「先ず、お風呂へお入りくださいまし。
お着替えも。」
その言葉の後に見せた、光の粒が散るようなカガリの表情に
マーナは心の底から優しい気持ちになった。





「良かったね。」

母屋の方へ歩いていくラクスとカガリの後姿を見詰めて、キラは言った。

「ありがとう、
キラがカガリに、ちゃんと伝えてくれたから・・・。」

そのアスランの言葉にキラは澄んだ声で事実を伝える。

「僕は何も言ってないよ。」

キラの言葉に、アスランは思わず瞬きを落とした。

「だって、カガリは・・・。」

アスランがカガリを追いかけて向かったウズミの墓前で、
カガリはまるで胎児のように身体をまるめて眠っていた。
あの時、安らかな寝息と共に無垢な微笑みを浮かべていたのは、

――キラがちゃんと伝えてくれたからだと思っていたが・・・

本のページを繰るようにひとつひとつ思考していくアスランに
キラはオーブの常夏の風のように笑った。

「僕は何も言ってない。
だって、カガリはもう真実を知ってたから。」

”でしょ?”、と問うように滑るキラの視線に
アスランは時の奥行きを感じさせる微笑みを返した。

今日よりも、
フリーダム・トレイルを知るよりも、
もっとずっと前に、

――俺に真実を教えてくれたのは
   カガリだった・・・。

――いつも、
   君なんだ。

横に立つアスランの空気が微かに揺れた気がして、
キラは微かな違和感を抱いた。
アスランの眼差しは、昨日までとは明らかに異なる熱を確かに持ち
それでも昨日から一続きの何かを孕んだ奥行きを、
キラの琴線が直感的に看取した。

「アスランは、伝えたの?」

問いが指すものを読み解けないアスランでは無いことを
キラは知っている。

「伝えた。」

そう言葉を紡ぐアスランの表情は深海のような静けさを持ち、
眼差しは柔らかくあたたかい。
しかし、そこに一筋の糸のように切なさが薫るのは何故だろう。
2人は真実を交わして重ねたはずで
だからこそカガリの笑顔が見ることが出来たのだと
思考はそう判断するのに、
何故か心はそう結論付けることを躊躇う。
何故――。

――え・・・。

こういう時に、キラは自らの勘の良さを恨めしく思う。
この感覚が過った時
杞憂に終わったことなど無かった。

「ねぇ、聞いていい?」

「あぁ。」

「アスランとカガリの真実って、何?」

キラらしい、過程を全部省いて核心をつくような問いに、
アスランはカガリの姿が見えなくなっても真直ぐに、
遠く強く前を見据えながら答えた。
キラはアスランの言葉を形作る唇を追うように
真実を聴いた。





母屋のバスルームの扉越しにラクスは呼びかけた。

「お湯加減はいかがですか。」

返事より先に浴槽に飛び込んだような水音が聴こえて、
ラクスはくすくすと笑みを零した。

「ぷはー。きもちいい〜。」

扉の向こう側からまあるい湯気のような吐息が聴こえてきて、
ラクスは鈴の音のような笑みを零した。
カガリは猫足のバスタブにたっぷりと注がれた湯に浸かり、
ふと窓に視線をやった。
いつもは、湯気で曇った窓の先に宇宙を想った。
しかし、今はそこに常夏の蒼の空が映り
湯船には太陽の光が木漏れ日のように踊っていた。
光の粒を捕まえるように両手で湯を掬っては
指の隙間から逃げていくそれに目を細めた。





「キラ、シャワー借りるな。」

そう言ったアスランの言葉が
" 頭を冷やすから " そう聴こえた気がした。

「あ、うん。
タオル、使って。」

唇が勝手に動いて、
会話が成立していって、

「悪いな。」

アスランの姿が離れに消えていく姿を見詰める視線さえ動かせず、立ち尽くしていた。
アスランが語ったカガリとの真実は、
あまりに2人らしくて、キラの胸を締め付けた。
それを真実として生きていく強さに、
2人が抱き続けなければならない胸の痛みに、
キラは想いを馳せずにはいられなかった。
2人が夢を叶えた先、
その未来へ。






カガリの髪に櫛を通せば
細いねこっ毛がさらさらと指の隙間を通り抜け
ふわりとシャンプーの香りが舞った。
ラクスは鏡越しにカガリに問うた。

「お話は、できましたか。」

鏡に映るカガリの瞳が優しく潤むのを見て
ラクスはそれが全てを語っていると思った。
それでも、カガリの言葉で聴きたかったのだ、
アスランとカガリが迎えた幸せの時を。

「うん。沢山。」

言葉を結んで微笑むように瞼を伏せたカガリに、
ラクスは見えない糸のような違和感を抱いた。
そして繊細な心が告げている、
その糸はアスランとカガリがこの場所へ戻ってきた時からずっと
引かれていたのではないかと。

見えない程透明な色彩に染められた
強く細い糸。

カガリ、そう名を呼ぼうとしたラクスの唇より先に、
カガリが告げた。

「約束したんだ。
夢を叶えたら、聴いてくれるって。」

――あぁ、どうしてお2人は・・・

ラクスはカガリの微笑みが幸せに満ちている分だけ
締め付けられるような胸の痛みに駆られた。

「だからな、
夢を叶えたら、伝えようと思うんだ。
私の、想い。」

くるりと振り向いて光の粒がはじけたような笑顔を向けて

「あっ、あいつには内緒、な。」

悪戯っぽく唇に人差し指を立てたカガリを
ラクスは抱きしめた。
ふわりと舞った桜色の髪から香るバラの香に
カガリはそっと瞳を閉じてラクスの背中を優しくなでた。

「ありがとう、ラクス。」




キラとラクスの真実は
互いを愛し合うことである。
しかし、その真実が
すべての人の真実となり得るとは限らない。
何故なら真実とは人の数だけ
異なるから。

だからこそ
伝える勇気の先に
真実を分け合い
重ね
一つにする喜びがある。

それもまた
真実である。
幸せを生む、
真実である。
 


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Chapter 8   blog(物語の舞台裏)
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