8-2 不器用なまでの器用さ




テーブル横のワゴンには
今日のメインディッシュであるアップルパイと
マーナ特性ポトフが柔らかな湯気を揺らしていた。

サラダを盛った器をそれぞれの席に置きながら、アスランが時計へ目をやれば
約束の時刻を指していた。
と、両開きの重厚な扉が開く音がして
そこにはラクス一人だけが立っていた。
「お待たせいたしました。」
「ラクス。」
キラは直ぐにラクスの手を取り
その拍子にキャミソールワンピースの肩で結われたリボンが可憐に揺れた。
「すごく良く似合ってるよ。」
「ありがとうございます。」
ふわふわの綿菓子のような甘い光景を他所に
アスランは姿を見せないカガリを探した。

開け放たれた扉から微かにはみ出したスカートの裾を見つけると
自然と笑みが零れた。
アスランは廊下に出ると同時に、後手で扉を閉めた。
それは、キラとラクスの時間を作るためだったのか
それとも、それを理由に可愛い人を独り占めするためだったのか
当のアスランにも分からなかった。

「相変わらず着慣れない、か。」
そう静かに問えば、
壁に寄りかかり俯いているカガリが小さく応えた。
「恥ずかしいだけだ・・・。」

そのまま、
2人の間に小さな沈黙が落ちた。

確かにカガリは、外交の場で何度もドレスを着る機会はあるが
プライベートでこういう格好をすることには
未だ抵抗があった。
だいたい、こんなワンピースを自発的に選ばない。

真白なワンピース。
大きく開いた背中に
項で結ったリボンが掛かって、こそばゆい。

時々アスランは思う、
こういうシチュエーションはラクスの挑発なのではないかと。
無意識に、ふわりと浮き立ちそうになる気持ちを理性で押さえ込んで
アスランも隣に立ち壁に背を預けた。
一人分の空間を空けて。
そんなアスランの仕草にカガリはきょとんと首をかしげた。
「入らないのかよ。」
「あー、うん。もう少ししたら。」
とアスランが、静かになった室内に視線を投げると
「あ、そっか。」
と、カガリは笑った。
耳を澄ませても、声ひとつ聴こえない。
キラとラクスの2人きりの部屋の空気が何色か、
想像に難くなかった。


「綺麗だ。」
「ふぇ?」
「だから、綺麗だ。」
「からかうなってっ。」
「真面目に言っている。」
「そっちの方が性質悪いぞ。」
「そうか。」

そんなやり取りも、
何処かくすぐったい。

そしてまた、
2人の隙間を埋めるような沈黙が落ちる。

それでも、
この静けささえも心地よいと思うのは何故だろう。

素直な気持ちでいられる。
互いを傷つけない、
境界線ぎりぎりの。



と、控えめに扉が開いて
わざとであろう、一拍置いてキラが顔を出した。
そういう気遣いは無用だと言わんばかりにアスランの眉間に皺が寄った事に
キラは気が付いたが、そ知らぬふりでカガリに問うた。
「カガリ、まだ恥ずかしがってるの?」
「恥ずかしいに決まってるだろっ!」
小さな手で拳を作ってぶんぶん振るカガリにキラは笑って、
「さっ、早く食べよう。
今日のメインディッシュはアップルパイだよ。」
「えっ!ラクスのアップルパイかっ?」
と、カガリがラクスのもとへと駆けていくのを見ながら
キラはアスランに声を掛けた。
「手、出した?」
「だから、出さないと言っただろう。
そういう関係じゃ無いんだ。」
アスランは呆れたような溜息を小さくついたが
それはまるで自分の感情を鎮めるようにも見えた。
アスランは話を切り上げるように
開け放たれたままの扉へ手を掛けた。

「前から思ってたんだけど、
アスランって、いつからそんなに器用になったの。」
キラの声に振り返ったアスランは、
何処までも優しい表情を浮かべていた。
「そうしないと、カガリを傷つける。」
言葉さえも優しく包むようで、
キラは胸が詰まった。

――どうして、君たちは・・・。

楽しげにポトフをよそうカガリから皿を受け取るアスランの仕草も
他愛無い話で笑いあう時も
カガリが左頬にアップルパイの欠片をつけた時も。
アスランとカガリは、
自然な距離感を寸分の狂い無く等しく刻んでいく。

決して相手を傷つける深さに踏み込まず
寂しさを覚える距離より近く
思いが伝わるより遠く。

感情が揺れれば直ぐに色彩を帯びてしまう空気は
何時までも透明なままだった。
どうして2人は不器用なまでに器用になってしまったんだろう。



「じゃ、カガリはこっちね。」
「え?あっ、キラっ!」
アスランの用意したタピオカ入りのアイスミルクティーを飲み干して
満腹の幸福感と友に囲まれたあたたかさを胸いっぱいに感じていた時だった。
カガリはキラに腕を引かれて立ち上がったが、
その行動の訳が分からずキラの腕を掴んだ。
「何処行くんだ、キラっ。」
「カガリの部屋だよ。」
「私の?どうして・・・」
「さぁ、参りましょう。」
と、反対側の腕をラクスが優しい手付きで取れば
「えっ?何だぁ?」
訳が分からなくともとにかく部屋へ行かなければならないことだけは理解し
2人に従順に足が進みそうになった時に振り返った。
「アスラン、お前は?」

その時、カガリの胸を鼓動が強く打った。
アスランの静けさを帯びた瞳が揺らめいたように見えて、

――アスラン・・・。

どうしてだろう、縛めの約束も理由も
全部飛び越えて抱きしめたくなった。

「ウズミ様の書斎に入ってもいいか。」
カガリの胸に不意に湧き上がった思いは
言葉になることも空気を染めることも無く
痛みと共に胸にしまわれる。
「あぁ、机の上に用意しておいたから。
あれで、全部だ。」
そして、いつもの“自然な距離”を取り戻す。
「ありがとう。」
そう言ってアスランが微笑んだのが見えたが、
あの瞳が焼きついて離れなかった。



キラとラクスに付き添われてカガリが出て行った扉の前で
アスランは立ち尽くしていた。

『いつからそんなに器用になったの。』

不意に思い出したキラの言葉に、
アスランは自嘲ぎみに笑った。
精一杯頑張って、
器用になったと思っていた。
もう二度と、
カガリを泣かせないために、
傷つけないために。
それなのに、
これからカガリは
自らに刻印された宿命と
残酷な事実を突きつけられることになると
分かっていたのに。

――掛ける言葉が、見つからなかった。

アスランはぐしゃりと前髪を握りつぶした。

――本当は、君を抱きしめたかった・・・。 

 


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