8-1 真綿



それは、数回にわたる両国の協議がまとまった後のことだった。

あと数日でキラとラクスは委員会と共にプラントへ帰国する。
『その前に、どうしても遊びたいんだ。』
と、キラにいきなり通信で言われたカガリは、一体何をして遊ぼうかとわくわくしたが
そんな急に休暇など取れるものかとしぼむような思いも胸を過った。
秘書官のモエギに休暇を取れないかとそれとなく尋ねれば、
『カガリ様は病み上がりですから、お休みは大歓迎ですよっ!』
と、あっさりと休暇が取れてしまった。



「本当に良かったですわ。」
ラクスは鏡越しに、カガリに微笑みを浮かべた。
「まさか明日一日休みが取れるなんて、
正直びっくりした。
今日は定時に退庁できたしな。」
窓の外を見れば宵の藍色に、
名残惜しげに茜色が差していた。
何時もであれば、
この時間は政務室の自席で決裁待ちの電子文書を読み込んでいるか
それとも会議に出席しているか、
簡易的な打ち合わせを行っているか・・・。
未だに実感が湧かないカガリは、鏡の前の自分をじっと見詰めた。
瞳も
唇も
頬も
表情も
何時もと変わったところが見つからない。
違うことと言えば、
至極楽しそうに箱を開けているラクスが映っていること、
そして、
「う〜、ラクス、まだか?」
何故か下着姿で鏡の前で立たされていること位であった。
「お待ちくださいな、
特別に取り寄せましたの。」
恥ずかしさに熱を帯びた頬を
それとなく手の甲で擦りながらカガリは首をかしげた。
「何のことだ?」
「ふふ、これですわ。」
と、カガリの前に真白なワンピースがふわりと宛がわれた。
その拍子に揺れたラクスの髪からバラの香が香る。
「どうして・・・。」
――これから思う存分遊ぶなら、スカートよりもパンツの方がいいだろう。
   それもこんなひらひらしたもの、
   何処かへ引っ掛けて破きそうだぞ。
そんなカガリの心の声が聴こえてきそうで、
ラクスはふわりと笑みを深め
――カガリの心の声は、聴かなかったことにいたしましょう。
と、素知らぬ振りで話を続けた。



「ご存知ですか、
人が最初に触れる繊維が、何か。」
「え?」
ラクスに突然投げかけられた問題に、
カガリは天井を見詰めて考えた。
その間にも、ラクスは慣れた手付きでカガリを着替えさせていく。
背中のファスナーがシュッと閉まった瞬間、
「あっ!」
と、カガリはワンピースに触れた。
ラクスは花が綻んだような微笑を浮かべた。
「そう、コットンですわ。
生まれたばかりの赤ちゃんを包むのは、
柔らかなコットンが一番なのだそうです。」

肌にふれる優しい滑らかさに、
思わずカガリの目元が緩んだ。
気持ちまで優しくやわらかくなっていく気がするのは
コットンの肌触りのせいだろうか、
それともラクスと一緒にいるからだろうか。

「きっと、ラクスも私も同じだったんだろうな。」
この世に生を受けてこの世界で産声を上げて
家族に抱きしめられて。
「はい、きっと、同じですわ。」
そう言って、
ラクスはホルターネックのリボンを結った。



本邸の広々としたキッチンに立つ男が2人。
キラはじっとオーブンに目を瞠っていた。
「定刻になったらアラームが鳴るんじゃないか。」
と、アスランは笑ったが、
キラは真剣な眼差しをオーブンの中のアップルパイへ向けたまま答えた。
「ラクスはいつもアラームをセットしないから、
こうしてタイミングを見てないと。」
アスランは、そういうものかと疑問に思ったが、
それがキラとラクスのやり方なのだろうとほのぼのとした気持ちを覚えた。

戸棚を開けると紅茶の入ったキャニスターがずらりと並んでいた。
アスランはシャツの袖を軽くまくりながら一つひとつを確認していく。
ダージリン、アッサム、カモミール、ミント、アップル、バニラ、ハイビスカス・・・。
――これかな。
アスランが手に取ったキャニスターのラベルを見て
キラはぱっと笑顔になった。
「アールグレイにミルクを入れると美味しいもんね。」
アスランは黙って微笑みを返すと、
ミルクパンに薄くはった湯に茶葉を加えた。
さらさらと、ティースプーンを滑る茶葉の音からも香がするようで、
オーブンを見詰めるキラの目元が自然と和らいだ。


鍋の中の茶葉が葉を広げれば、
芳しい香が芽吹いていく。
そこへあたためたミルクをたっぷりと注げば、
紅茶の香がやわらかく蕩けていく。


「アスラン、悪いんだけどさ、」
キラは相変わらずオーブンに真剣な眼差しを向けながら続けた。
「カガリには、僕から伝えるよ。」
アスランの手が止まり、
ミルクパンの淵に小さな気泡がリング状に浮かび上がってくる。

「そうか。」
そう言って火から下ろし、
ミルクパンの淵を一周させるように柄を傾けた。
「ごめん、
でも、
僕たちは一つの命を分け合って生まれてきたから。」
キラは引く気は無いのであろう、
真直ぐな声色で告げた。
アスランは、ゆっくりとした手付きでミルクパンの蓋を閉じた。

「始めからそのつもりだった。」
アスランの意外な言葉に、キラは思わず顔を向けた。
「え?」
「キラの言う通り、これはキラとカガリの出生に関わることだから、
キラから話す方がいいだろう。それに、」
アスランは砂糖を計量スプーンで量りながら淡々と続けた。
「俺は、フリーダム・トレイルという事実を飲み込んだようなものだから。
キラの様に、乗り越える前に。
だから、カガリに伝えるならキラの方が適していると思う。」

キラは言葉を失った。
メンデルの研究室を出てから今まで
アスランがどんな思いであったのかを考え、愕然とした。
メンデルの事実を浴びても
仲間が次々に命を絶っても
意識を取り戻さなくても
それでも自分を保ち続けることはどれだけ辛かっただろう。
調査隊を指揮して
メンデル事実をみんなに伏せて
失いそうになる自分を奮い立たせて。

――アスランに全部背負わせたのは
   僕じゃないか・・・。

「キラもカガリも、
砂糖2杯とハチミツでいいんだよな。」
常と変わらぬ穏やかな表情で問うアスランに
キラは瞳を滲ませて応えた。
「ありがとう、アスラン。」
アスランは、突然のキラの感情の変化に思考が追いつかず問い返した。
「キラ・・・?」
「僕は、もう大丈夫。
大丈夫だから。」
目覚めてから、ずっと言いたかったこと。
アスランに、カガリに。

――生きていきたいという願いも、
   生きていくという覚悟も、
   今この胸にあるから。

「そうか。良かった。」
キラが何を指して大丈夫だと言っているのは、
明確なことはアスランには分からなかった。
それでも、
澄み渡った青い空のようなキラの表情が全てを物語っているように思えて、
アスランは頷くように微笑を返した。 
 


← Chapter 7     Next →                    


Chapter 8    Text Top  Home