8-16 約束を重ねよう
子どものように肩を震わせて泣くカガリの髪に
アスランは指を通しながら優しく撫でた。
宇宙と地球が触れ合う地平線から射す
眩い暁の光のように
心が澄んでいくのがわかる。
緩やかな丘陵を登る海風に視線を滑らせれば
広がる豊かな大地と海原に
抱かれていることを知る。
見上げた宇宙に浮かぶ雲に差した淡紅の色彩は藍と共に消え
常夏の蒼が広がっていた。
果てが結ばれた地平線を見れば
暁の光の踊る波が寄せては返し、
その数だけ大空を映したように鮮やかな蒼が息吹く。
「世界って、本当に綺麗だ。」
腕の中から聴こえた声に
アスランは頷くように微笑んだ。
「あぁ、本当に綺麗だ。」
ありふれた言葉でも、
感動を余す事無くのせた声に耳を傾けて
そっとアスランは瞳を閉じた。
全身で、
今この時を感じるように。
それはカガリも同じだった。
瞳を閉じれば、
目に映らない感覚が澄み渡る。
朝露を含んだ木々の香りも
翼に抱かれるようなそよ風も
安らかな波音も
淡い海鳥の声も
あなたの息遣いも
鼓動も、
分け合うようなぬくもりも、
心に響く。
「世界で一番好きな音・・・、
アスランの鼓動だ。」
ふいに強くなったアスランの腕に
カガリは無垢な瞳を丸くした。
「アスラン・・・?」
広い背中にまわしていた腕でそっとなでようとした時、
アスランが微かに震えていることに気が付いた。
「ど・・・したっ・・・?」
カガリがアスランの表情を覗こうと顔を上げようとして、
それを制するようにアスランはカガリの顔を自身の胸に押し当てた。
苦しいほどの掌の力に困惑を覚えながら
それでも、カガリは今自分に出来ることを知っていた。
だから、ただ静かにアスランを抱きしめていた。
そしてぽつりぽつりと落とされる
低く掠れた声に耳を澄ませた。
「恐かったんだ・・・。」
「うん。」
「カガリを、失うと思った・・・。」
「うん。」
「でも、事実を伝えなければいけないと思った・・・。」
「うん。」
「真実を伝えることしか、
俺には出来ないけどそれでも・・・。」
カガリは勢い良く顔を上げて
面食らったアスランの頬を両手で包んだ。
琥珀色の瞳を真直ぐに重ねられ、
アスランは、ゆっくりと瞬きを繰り返すことしかできなかった。
「私には、アスランがいるんだぞっ。」
「・・・あぁ。」
「キラも、ラクスもいるんだぞ。」
「あぁ。」
「マリューさんもムゥもキサカもマーナもアンリもロイもエリカもコル爺もミリィもバルトフェルドさんも、
もっともっとみんなも、
このオーブも、
お父様だっているんだぞっ。」
「あぁ。」
「それ以上に、
強いものなんてあるのか?」
ずいっと顔を近づけたカガリの問いに
アスランは真実を射抜くような琥珀色の瞳から視線を逸らさずに
思考をめぐらせた。
そうして思考が一つの答えにたどり着く。
思考せずとも、
既にここに答えはあったことに。
「・・・ない・・・。」
アスランの答えに満足したのか、
カガリは頷いた。
「だろっ?
だから私は大丈夫だっ!。」
その表情は、オーブの常夏の太陽のように煌いていて
綺麗だと
焦がれるように思った。
「そうだな。」
「わかったなら、良しっ!」
そう言い放った言葉があまりにカガリらしくて、
自然と笑みが零れた。
それに重なるように、
カガリも肩で跳ねた髪を揺らして笑った。
2人の間を
夜明けと共に生まれた風が
薫る様に吹き抜ける。
「でも。」
そう言ってカガリは、
蝋燭の灯が消えるように微笑を落として、
アスランの胸に手を這わせた。
「やっぱり、
私は無かったことには出来ないから・・・。」
何を、と問わずともカガリが指している事実を、アスランは読み取った。
生まれる前から負わされた宿命を
そこでなされた忌まわしい事実を
消すことなど出来ない。
たとえ、カガリ自身が生まれてきたことを、
生きていくことを肯定したとしても。
「・・・カガリ。」
想いを差し出すようなアスランの声に応えて顔を上げたカガリの瞳は
暁のような威光を宿していた。
「それでも、
こうして生まれてきた私だからこそ、
すべき事があると思うんだ。」
言葉が強く響いた。
――君は、
本当に強い人だ。
カガリは真直ぐに未来を射抜くような眼差しで
言葉を紡いだ。
「今は、何をすべきか分からない。
でも、もしその時が来たら・・・。」
アスランは胸に当てられたカガリの手を包んで
真直ぐな眼差しを返した。
「俺も闘う。
全力で。」
アスランの翡翠を思わせる冷涼な色彩の瞳の奥に
焔のような灼熱を感じ、
カガリはそれがアスランの覚悟であると知った。
――なんて、心強いんだろう。
宿命を負っているのは私で、
あなたではない。
それでも、共にそれに立ち向かう意志を示すあなたの存在に
気が付けば、たおやかな微笑みを浮かべた。
私の背中に翼をくれるのは、いつもアスランなんだ。
だから私は顔を上げて前を向ける。
何度でも。
「ありがとう、アスラン。」
アスランとカガリは
約束を結ぶように
重ねた手を強く握り締めた。