8-13 この手の中の答え
指輪を外したのは 2年前。
左手の薬指に残った指輪の跡は数日を待たずに消えて、
この胸に残ったのは
言葉にならない寂しさと
永久を思わせる痛みと
そして一筋の光のような希望だった。
アスランに
夢をかなえるための力と自由を
与えることができるなら
この想いは二度と叶わなくていいと思った。
夢をかなえた先にアスランの笑顔があるのなら、
それを隣で見ることが出来なくても
いいと思った。
きっと、描く夢は同じなんだと
信じることが出来た。
夢で結ばれた絆がこの胸にあるから。
だから、私が望むことは
アスランの隣にいることではない。
アスランがアスランとして
あることだ。
だから、
私に出来ることは一つだけなんだ。
夢を叶える為の自由と力を護ること。
それを奪っていたのは他でも無い私の想いだった。
だから、私の想いは二度と伝えることが出来なくても
護りたいんだ、
護ることを許したいんだ。
アスランと繋ぐ糸は
それだけだから。
そう、確かに願うのに・・・
繰り返されるのは、あの問い。
石段の上に腰掛けたアスランの背中を見る度に、
開いた掌に残る爪痕を見る度に、
浮かんでは消えるんだ。
" 本当は、どうすれば良かったんだろう "
感情を抱えきれなくなった時
決まって私はお父様に会いに行った。
お父様の声が聴きたくて、
大きくてごつごつとした掌に触れたくて。
あの頃私はまだ幼くて、
お父様の言葉を素直に受け止められなくて、
頭を撫でられれば恥ずかしさにぎゅっと目を瞑った。
知らなかったんだ、
それを永久に失う日が来ることを。
『お久しぶりです、お父様。』
月明かりに照らされた墓石の前でどんなに耳を傾けても、
聴こえるのは静寂の潮騒で、
お父様の声を聴くことは一度も無かった。
髪を撫でる柔らかな海風にお父様の面影を追っても
あの掌に触れることは出来ない。
それでも、お父様の前という場所が
私の特別な場所であることはずっと変わらない。
たとえ、目の前にあるのが
硬く冷たい墓石であっても。
ここだけだった。
抱えきれない感情を零せる場所。
零した感情をひとつひとつ拾い集めては
大切に胸に抱きしめられる場所。
そんな自分を許せる場所は、
お父様の前だけだった。
ここだけになった。
指輪を外してから、ずっと。
私はひとりになることを選んだのだから。
涙が枯れる頃にはもう一度顔を上げて前を向くことが出来た。
そして、お父様に暫しの別れを告げる。
長居なんてすれば、
『化けて出てきたりしたら、大変だからな。』
お父様が心を痛めるだろうから。
『精一杯頑張ります。だから、どうか見守っていて下さい。』
そう言って私は世界に戻るんだ。
愛してやまない、この世界へ。
でも、踵を返した先に見える光景に
いつも胸が軋んで立ちすくむ。
遠い石段の一番上に腰掛けたアスランの背中が見えるから。
どうしてだろう、
いつもそこに感じるのは寂寞と
香るようなぬくもりなんだ。
――何で、そこにいるんだよ・・・。
こみ上げるのは胸の痛みだけじゃない、
ずっとひとりであたため続けてきた想いが震えて
胸が熱くなって
その熱が想いと一緒に瞳に立ち昇るんだ。
私には、抱えきれないものがある。
抱えきれるはずが無いんだ、
だってそれはひとりで抱えるものではないから。
だから、この瞬間だけ
アスランを想って泣くことを許すんだ。
アスランが決して振り向かないことを
知っているから。
それは、いつものことだった。
『アスラン。』
どんなに器用になっても、
それを誇らしく思えることなんて出来なかった。
こんなに器用になんて、
本当はなりたくなかったんだ。
『家出の癖は、飼い主にそっくりだな。』
冗談交じりにポポを返すアスランの掌には
あまりに鮮明に爪痕が残っていた。
拳を握り締めていた跡だと、
知っていた。
それを見る度に、
掌を両手で包みたくなった。
でも、私は
『どういう意味だ、それっ。』
優しさに伏せられた事実に触れず
頬を膨らましては冗談を返す。
それは、いつものことだった。
あの時、本当はどうすれば良かったんだろう。
違う、
そう思うのはこの手の中にある答えを、
答えとしたいからだ。
アスランの傷ついた掌を包めば良かったのだと、
ありのままの心でアスランに触れれば良かったのだと。
その答えを許したいからだ。
答えを許せば
アスランを護れなくなることを知っているのに。
なぁ、アスラン。
私はアスランを護ることが出来たかな。
どうすれば、
今のアスランを護ることが出来るのかな。
分からないんだ。
分かることが、
恐いんだ。