7-8 誤報の裏に書かれたもの
アスハ邸から行政府へ向かう移送機の中で、
宇宙へ視線を馳せるカガリの表情は晴れやかだった。
秘書官のモエギは、
約束の時刻になってもアネックスルームから戻らないカガリにハラハラし通しだったが、
この表情を見られただけで、これまでの感情が霧散していった。
これから地球連合軍月基地へ赴く、
その前に仮眠の時間を無理矢理作ったのは秘書官らで、
その僅かな時間を全てキラとラクスに会うためにつぎ込んだのはカガリで、
――本当なら、休んで欲しかったんだけど・・・。
でも、カガリ様、幸せそう。
モエギは安堵の溜息をついた。再び、カガリの方へ視線を向ければ、
真摯ながらも何処か柔らかさを帯びた表情で
会談の次第と想定問答を確認するカガリとアスランの姿があり、
2人が同じ空気を纏っていることに
モエギは胸の内にくすぐったさを覚えた。
はちみつ色の優しい甘さの一雫が溶けたような空気に
水を射すことになることは十分承知していたが、
秘書官として伺わねばならないことがあった。
いつまでも、マスコミを抑えておくことなど出来ないのだから。
「あの、お忙しいところ申し訳ないのですが・・・。」
モエギの控えめな申し出に2人は揃って顔を上げた。
「一部のマスコミがこの様な報道をしようとしているのですが、
事実であれば正式に国民に知らせる必要があると思いましたので、
現在はマスコミに待ったをかけているのですが・・・。」
モエギの口ぶりから、
マスコミがキラとカガリの関係性について嗅ぎ付けたのではないだろうかと、
アスランはそんな自分の考えの暢気さに愕然とすることになる。
「何の話だ、一体。」
カガリは怪訝そうな表情で、モエギが提示するPCの画面を覗き込んだ。
そこ表示されたのは、未定稿の記事。“カガリ様、御懐妊! お相手は紅の騎士”
その見出しの文字に、アスランの思考は一気にフリーズしたが、
間髪入れずに完全否定を口にしていた。
「完全な誤報です。」
一方カガリは、堪えきれず笑い出した。
「ったく、この記事を書いたのは誰だ?
深読みしすぎだっ。」
カガリは笑いすぎて滲んだ瞳を手の甲で押さえながら
モエギに記事の内容が事実では無いことを伝えた。
「だいたい、私がこんな格好するから、
誤解されたんだな。」
と、カガリは膝上丈のワンピースの裾を手で遊ばせた。
記事がカガリの懐妊の根拠として挙げていたのは2点、
1点目はここ数日の静養、
そして2点目は今のカガリの格好にある。
カガリが今、身に纏っているのは確かに首長服ではあるが
それはいつものパンツスーツではなく
同じ配色のワンピースであった。
胸で切り替えされたAラインのワンピースは、
パフスリーブの袖口の控えめなレースや背中にあしらわれた編み上げのリボンなど
清楚ながら凝ったつくりとなっている。
「これ、旧世紀の頃のものをマーナがリメイクして届けてくれたんだ。
モエギも知ってるだろう?
病み上がりには、ワンピースの方が楽だろうってさ。
でも、私のこの姿がそんなに物珍しいかぁ。」
と、カガリは冗談めかしてモエギに笑いかけた。
「確かに、妊娠が原因で静養していたなら、
見舞いに来た准将が相手だって、勘違いするかもしれないな。
この写真、不思議と説得力あるぞ。」
「感心している場合か。」
アスランは米神に手を当てて溜息をついた。
記事に掲載されている写真には、
大輪の花束を抱え、疾走するアスランの姿が映っており、
以前カガリの病室でムゥから見せられたものと同一であった。
この花束はラクスから預かった見舞いの品であり
現にリボンには“ラクス・クライン”の文字が刺繍されているのだが、
マスコミにとっては幸運にも、
アスランにとっては不運にも、
写真ではその文字が判読できない。
「でも、」
と、続けた言葉に、
カガリの表情は、スッと代表のそれに戻っていた。
「どうして静養していたのか
私の口からきちんと国民に説明しないとな。
心配をかけてしまったからこそ、この記事があるんだろうし、さ。」そう言って、明日のスケジュールにその時間が組み込めるか
調整を開始したカガリに応対しながらも、
モエギは何処か寂しさを覚えていた。
1年前は一国民であったモエギは知っていたのだ、
国民が抱いていたのは心配だけではなかったのだと。
オーブの女神の幸せを、
願っているからこその誤報であったのだと。
セイランとの結婚を国民が喜んだのは、
それをカガリ自身が望んだ幸せな選択であったと
誰もが疑わなかったからだ。
しかし、戦中のセイランの執政と戦後明らかになった真実から、
あの結婚は、18歳の少女に強いられた政治的なものであったことに
オーブ国民は胸を痛めたのだ。
――だからこそ、
今度こそお幸せになってほしいと、
国民は切に願っているんですよ。――知っていますか、カガリ様。
国民は、
私たちは、
あなたの幸せを受け入れる準備を
とうに整えているんですよ。――あなたが心から望まれた方なら。
でも。
モエギはカガリのスケジュールを調整しながら
漏れそうになった溜息を飲み込んだ。
早朝から深夜まで、分刻みで組まれたスケジュールに
ロマンスが入り込む余地など残されておらず、
それは、カガリが自分の持てる力全てをオーブと世界に尽くすことを
心から望んでいることの現れであることを、
モエギは胸が痛む程知っていた。
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