7-5 左頬



リビングに据えられた大きな時計は、既に真夜中を指していた。
しかし、繊細な彫刻が施された時計の文字盤から完全に自由に、
テーブルの上にはあたたかな食事が並び
和やかなディナータイムが繰り広げられていた。

 

同じタイミングでスプーンを口に運び
同じように目元を緩めるキラとカガリを見ながら、
アスランの手は止まっていた。
目の前に並んだクリームシチューからは柔らかな湯気が上がり
バスケットからは焼きたてのパンの香ばしい香が漂っており
誰もが食欲を掻きたてられるであろう。
現に、

「んまーいっ!」
「おいしいなぁ。」

キラとカガリは瞼を閉じてクリームシチューの美味しさに感嘆を洩らしている。
しかし、
キラもカガリも今日まで食事によって栄養を摂取してこなかった点を考慮すれば、
喩え消化に良いクリームシチューであろうと
身体に負担をかけるのではないかと
アスランの言葉と表情に現れない心配は尽きない。

「美味しいですわね。」

と言ったラクスの視線を感じ、
それに促されるようにアスランもスプーンを口に運んだ。
今の食事を心から楽しむこと、
それが最善であることはアスランも十分承知している。
カガリの容態を良く知るマーナが用意した料理であるのだから、
身体に優しいものである筈だ。
それでも、
アスランの視線は自ずとキラとカガリの方へ向かう。



「「ラクスっ、おかわりっ!!」」

揃って皿をラクスの前に出す二人は満面の笑みを浮かべ、
差し出された皿を受け取りながら
ラクスは鈴の音のような笑みをこぼした。

キッチンへ向かったラクスを待ちきれず、
キラとカガリはパンに手を伸ばし
ほくほくと焼きたてのパンを頬張った。

ラクスに続いて席を立ったアスランは
たっぷりのシチューが盛られた皿を受け取りながら
小さく笑った。

「本当に、良く食べるな。」
「はい、本当に。」

視線をリビングへ向ければ、
手に取ったパンが互いに違ったのであろうか、
半分を取替えっこしている2人の姿が見えた。

「変わらないな。」

ラクスは、アスランが思い描いている過去を汲み取り
言葉を加えた。

「懐かしいですわね。
子どもたちと一緒に、
こうして食事をしたあの頃が。」



先の戦争の前、
海に臨む孤児院で、
大きなテーブルに子どもたちと並んで食事をしたことが
何度かあった。
あの時も、
キラとカガリは
同じ台詞を同じタイミングで口にして、
パンくずやケチャップが付くのは必ず左頬で、
同じ仕草で笑いあって。
いつでも優しく穏やかな時間が流れていた
あの時、
あの場所。

 

「はい、お待たせいたしました。」

コトリ、とテーブルに並べられた2つの皿に
キラとカガリは文字通り目を輝かせて、
きゅっと握ったスプーンでシチューを一掬いしたその時
アスランとラクスの控えめな笑い声に気付き
同時に顔を上げた。

「何?どうしたの?」

きょとんとした顔で問うキラと
同じ表情で応えを待つカガリに
アスランとラクスは顔を合わせて笑った。

「変わりませんわね、お二人とも。」
「そうだな。」

そんなアスランとラクスの会話に益々謎は深まるばかりで
キラとカガリは首を傾けた。
ラクスは綻んだ口元にそっと手を当てて
「お二人とも、頬にパンくずが。」
ふわりと笑った。

「「えっ。」」

キラとカガリは同時に右頬を手の甲で擦ったが
パンくずが付いているのはあの頃と変わらず
左頬だった。





ラクスはさらに笑みを深めながら

「こっちですわ。」

キラの頬に触れて
細く白い指で取ったパンくずを
桜色の唇へと運んだ。
キラはそんなラクスの仕草に、

「ありがとう。」

はにかんだようにに微笑んだ。
それは
あの頃から変わらぬ
光に包まれたような風景だった。
その場にいる、
誰もを幸せにするような。



その隣で、
アスランのカガリの頬へ伸ばしかけた手が
止まる。

――何をしているんだ、俺は。

アスランの手を見て
カガリの身体は小さく震えた。

――何してるんだ私、
   アスランの手を待つなんて。

そのカガリを見てアスランの手は行き場が無くなる。

――触れることなんて、
   出来る筈が無いだろう。

そのアスランを見てカガリの瞳に影が射す。

――触れてくれる筈、
   無いじゃないか。

互いが抱いた
胸の内の言葉が重なっていたことを
2人は知らない。

――今はあの頃じゃ、
   無いのだから。

「反対、左側。」

そう言って、
カガリに示唆するように自分の左頬に触れたアスランの表情があまりに優しくて
カガリは溢れそうになる想いを閉じ込めようとしたら、
喉が詰まったように痛くなって
声が不自然に小さくなってしまって、

「あっ・・・うん・・・。」

それが恥ずかしくて視線を逸らしたくなるけど、
アスランに見透かされるのが恐いから
真直ぐに見詰めた。

――私の想いを知ったら、
   傷つくのはアスランだから。

 



光景は、
過去と重なっていた。
ここにいる2人の想いも
重なっていた。
キラとラクスも、
アスランとカガリも。

変わらないものは同じなのに、
どうして今が違うのだろう。

どうして今も
同じであれるのだろう。

 


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