7-4 奇蹟


 

カガリは移送機から降りると一直線に本邸へと向かった。

血を分けた、たったひとりの弟に
会いたくて会いたくて、
階段を1段飛ばしで駆け下りていく。

最後の4段は一気に飛び降りて踊り場に着地する。
中二階の踊り場の窓を開け、足を引っ掛けると
心地よい夜風にスカートが波打った。

――こんなところをマーナに見られたら、叱られるな。

そう心の中でつぶやくと
カガリはぐっと足に力を込め
眼下にひろ広がる生垣を一気に飛び越えた。

正規のルートを辿って、
時間を食うなんて御免だ。

でも本当は、駆けて行きたかっただけなのかもしれない。
この気持ちは、
抑えたくないから。
今は。



 

「マーナっ!!」

淑やかさとは無縁な程勢い良く扉を開け放ったカガリを、
今日ばかりはマーナは叱らなかった。

「姫様、おかえりなさいませ。
皆様はアネックスルームにお揃いでございます。」

今のカガリの気持ちを、大切にしたかったのだ。
自分のことを後回しにして、前だけを見て突き進む“オーブ連合首長国の代表”が、
今この時だけでも、“カガリ”でいることを許したくて。

「うん。」

大きく頷いたカガリの笑顔は大輪のひまわりのようで
そんな笑顔を見ることができて嬉しく思うのに、
全力疾走で廊下を駆けていくカガリの背中を見ながら
マーナは何処か苦い気持ちを抱いていた。

「マーナはいつだって、
姫様の幸せを願っているのですよ。」

マーナの呟いた声は、背中に届くこと無く
長い廊下に溶けていった。

 

 

 


心臓の限界を超えて
鼓動が胸を打っているのがわかる。
自分に流れる血液の熱さがわかる。
空気を渇望する呼吸の荒々しさがわかる。
揺れながら、白い建物が近づいていくのが見える。
全力疾走は小さい頃から得意だった。
疲れるよりも
ぐんぐんスピードが増して
身体が軽くなっていくのがわかる。
もうすぐ会える。
すぐそこに
いるんだ。
キラが。

きっと今、
自分は笑ってる。

「キラっ!」

思いがそのまま声になった。

 



カガリはアネックスルームのエントランスへ到着すると
迷わず裏手に回った。
それは勘だった。
キラはきっと、庭にいるのだと。

「キラーっ!!」

あの時、
白い世界で届かなかったこの声が
今度は届く。
それは確信だった。
そして、応えてくれる。
きっとキラは応えてくれる。
一緒に生きることを
選んでくれる。

 

この生垣のカーブを切った先に
カガリは見つけた。
命を分け合って生まれてきた
たったひとりの半身を。
人懐っこい笑顔を浮かべて
両手を広げてくれたのが見えた。

もう一度、
名前を呼びたいのに
なんでだろう
喉がカラカラに渇いて
潰れそうに痛くて
声にならないんだ。

あの笑顔が大好きなのに
なんでだろう
視界がむちゃくちゃに歪んで
見えなくなっていくんだ。

全部を飲み下すように
ぐっと目をつぶって、
腕を振って
地面を蹴って、
早く
もっと近くに
傍に
ここに。

 


「キラっ!!」

カガリは渾身の力で地面を蹴って
キラの胸に飛び込んだ。
そのあまりの勢いにバランスを崩したキラは
芝生に仰向けに倒れこんだ。
しっかりとカガリを抱きとめて。

 

 

 

 

キラが見上げた先には
満天の夜空があった。
自分の身体に半身の重みを感じ
それが生命の重みであるのだと悟った。
触れ合った胸から感じるカガリの鼓動はとても強くて、
肩に吹きかかる呼吸は苦しげで、
身体に感じる熱はあまりに熱くて、
全てが生命の輝きのように眩しくて
キラは薄く瞳を閉じた。
と、頬に感じていた金糸がふわりと揺れるのを感じ
柔らかく瞳を開くと
そこには涙で濡れたカガリがいた。
キラのリネンのシャツの胸ぐらを掴んだ手は震え、
射抜くような強い眼差しは篤い熱を帯びていた。

「勝手に死ぬなっ!バカヤロウっ!!」

その拍子に、
カガリの琥珀色の瞳から
大粒の涙が零れ落ちた。
堰を切ったように溢れ出す感情が涙になって、
まるで子どものように泣きじゃくるカガリを
キラは優しく抱きしめた。

一つの命を分け合った二つの命が
一つに重なっていく。
胸から漏れ聴こえるのは
言葉にならない声だけど、
キラはカガリの想いをそのままに感じていた。

「ごめんね。」

――死を選んで。

「ありがとう。」

――僕に会いにきてくれて。

カガリが流す涙がどんなにあたたかいか、
触れなくともわかる。
今、自分の頬を伝う涙が
君の涙と同じことが、
こんなに嬉しいなんて。

 

――きっとこれは
   奇跡なんだ。

 

「ただいま、カガリ。」

キラの声に顔を上げたカガリの涙が止まる。
キラの澄んだ微笑に、
生きることを
それを願うことを、
確かに感じたから。

 

「おかえり、キラっ。」

向けられたカガリの笑顔は陽の光のように眩しく、
キラは胸に光が燈されたような熱を感じた。

 

 

「さぁ、お食事にいたしましょう。」

――ラクスの歌うような声が聴こえる。
   僕にいつもくれる微笑を浮かべて。

「そういえば、お腹ペコペコだ。」

――カガリが、ここで笑ってる。
   僕を笑顔にする、光のような。

――アスランが、僕を待ってくれてる。
   昔から変わらずに、
   静かに穏やかに。

 


――きっと、
   愛する人と
   家族と
   友達と
   みんなと。
   共に生きることが
   出来ることは、
   きっと奇跡なんだ。


――当たり前の、
   尊い
   光のような。


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