7-17 蕾がほころぶ頃
爽やかなリンゴの香と、
カーテンを揺らす柔らかな夜風と、
月明かりの下の賭けの
小さな罰ゲーム。
『キラは、3日間は絶対安静っ!』
――そう言ったのは私で、
『え〜っ!!!!』
――キラは、半泣きみたいな顔して叫んだんだっけ。
『当然だろう?
昨日まで寝たきりみたいな状態だったって、
私知ってるんだからなっ!』
――ここは姉である自分が、ビシっと言ってやらなくちゃ、
そう思って、我ながらナイスアイディアだと思った。
『それはカガリだって同じじゃないか・・・。』
――あの時は、あんなに元気だったのに、
『3日後からは、沢山遊びましょう。』
――沢山遊ぶんだって
子どもみたいに約束したのに。
「キラ・・・。」
窓枠に手を伸ばしたカガリの視線の先には
今にも泣き出しそうな雲が立ち込めていた。
窓ガラスに手を這わせたその時、
大粒の雨がひとつ、ふたつ窓に落ちると
一気に叩きつけるようなスコールが降り出した。
キラは確かに、賭けに負けた罰ゲームを実行した。
本人の意識の無いままに、罰ゲームの3日はとうに過ぎていた。
キラの病状が安定することは無く、
プラントと協議中のカガリが足繁くキラを訪ねることは出来なかった。
プラントと地球連合の協議が思わしい結果を生まなかったことを受け、
何時どちらへ傾くかわからない政治的局面において、
カガリがキラとラクスを訪ねることは政治的意味を持ちすぎる。
例え、キラとラクスの滞在先がアスハ邸であろうと
積極的な接触は控えなければならない。
それは、アスランも同様であった。
そのアスランはMS格納庫で、暁のシステムチェックを行っていた。
以前から、現在のパイロットであるムゥから
一つだけ作動しないシステムがあるとの相談を受けていた。
暁の設計、製造を監督したコル爺に打診することが早道ではあったが、
『コル爺には内密にっ!たのむっ!』
そう懇願されてはアスランも断れなかった。
暁をいじるれることに電子工学の魂が疼かなかったと言えば嘘になる。
そうしてチェックを入れる予定が
メンデル再調査を受け引き伸ばされ、今に至る。
アスランが操作してもシステムは作動せず、
問題のシステムに関与すると思われるハードも開いて点検したが
異常は見当たらなかった。
むしろ、そのシステムは作動しないだけで
本体は搭載されていないのではないかと思わせる程だった。
再び問題のシステムを起動させたが、やはり結果が変わることは無く
アスランはコックピットの背もたれに身を預けた。
「もう一度、ムゥさんに何処を触ったのか確認するか。」
両手にコーヒーの入ったタンブラーを持ちながら
ムゥはキャットウォークを大きなストライドで歩いていった。
「悪いな、アスラン。
これでも飲んで・・・。」
と、コックピットを覗くと安らかな寝息を立てているアスランがいた。
ムゥは肩を竦めると、暁の隣に肩膝を立てて座り込んだ。
「お疲れ様。」
暁に向かってそう呟くと、
ムゥは乾杯をするように軽くタンブラーを持ち上げた。
政務室では外務大臣及び官僚を交えて
先日独立を果たしたソフィアへの訪問について打ち合わせが行われていた。
オーブ側からは早期の訪問及び会談を打診したが、
ソフィアからは建国に当たる混乱が続いており、
対外的な建国式典にて友好を結べないかと打診してきたのだった。
「建国式典の際に各国と共に友好を結べることは、
ソフィアにとってもオーブにとっても有益であろうと考えますが。」
との外務大臣の言葉に、
思案していたカガリは微笑みを浮かべながら頷いた。
新世紀になって以降、燻り続けた紛争や2度の大きな戦争を受け
各地域は自ら主権を執るのでは無く、併合や同盟を結ぶなど一つになる傾向が強かった。
それはもっぱら自衛に重きを置いたものであったため、
政治や思想、宗教等を事由とする内部での小さな紛争は地球の各地で絶えず、
それを各エリアの連合軍が抑えてきたそれは時に抑圧と非難されることもあった。
そんな中、大国のプラントから独立を果たした小さな国の存在は、
小国であっても他国と足並みを揃え協力関係を築くことが出来れば
地域が主権を執り自治を行う可能性を示している。
その新たな流れをオーブは静観する方向で進んでいた、
時代は変わろうとしているのかもしれない、と。
少し長いスコールが弱まり、
雲間から大地へ差し込んだ光は既に茜色を帯びていた。
雨水を含んで重たそうな黒ずんだ雲が遠のき
名残惜しげな雨粒が優しく降り注ぐ。
打ち合わせを終えたカガリは彼等が扉を出て行くまで見送ると、
窓から射した陽の光に誘われるように
窓を開け放って風を呼んだ。
大地にもたらされた恵みの潤みを感じる風に目を細め、
開いた先では光の筋が帯になり、
空が開けていくように大地が光輝きだす。
――世界って、本当に綺麗だ。
カガリがそう感じた時、窓からではなく室内から芳しい香がして振り返った。
すると、
「あっ。咲いたな。」
病床に伏せていた時アスランによって届けられたラクスからの花束に
一つだけ添えられていた蕾が綻び
誇らしげに花開いていた。
頬をなぞるように優しく花びらに触れれば
擽ったそうに揺れたその花に
カガリは何故かキラを思った。
今頃キラは、どうしているだろうかと。
真白なシーツに沈むように横たわっていたキラの
繊細な睫が微かに痙攣したように見えて、
ラクスはキラの手を包み込んだ掌に微かな力を込めた。
それは言語化されない呼び声のような
空気を揺さぶる想いのような
切なる祈りだった。
それに応える様に、
キラの瞳がゆっくりと開いていく。
まるで、陽の光に呼び覚まされて
蕾がほころぶように。
「キラ。」
澄んだ声が胸に響くのを感じた。
真白な光の世界から聴こえるのは
あの時と同じ君の声だった。
「・・・ラ・・・ク・・・。」
「はい。」
愛しい名前さえ、まともに言えないのに
君はいつでも僕を受け止め
応えてくれる。
「キラ。」
僕を、呼んでくれる。
僕に、触れてくれる。
「ラクス。」
キラは自分の頬に感じたラクスの手を引いて
胸に閉じ込めた。
身体中で
ラクスという存在を
この奇跡を
感じるように。
←Back Next→
Top Chapter 7