7-14 ポテンシャル




レースのカーテンを通した朝日が柔らかく踊るベッドの上で
抱きしめあうように眠るキラとラクス。
閉じた瞼には同じものが映っている、その筈だった。
ラクスは長い睫を2,3瞬かせると顔を上げて、
その先に続くのは共に朝を迎えた喜びを伝える言葉、
その筈だった。



ラクスはむき出しのキラの胸に当てた掌が異常な程熱を持っていることに気付いた。

「キラ・・・?」

素肌越しに感じるのは早鐘のように打つ鼓動と荒々しい息遣いだった。
顔を上げたラクスの髪が、汗でキラの肌とつながったまま離れない。

「キラっ、どうなさいましたっ。」

ラクスはキラの熱をうつしたように熱くなった掌をキラの額、次いで頬に当て
素肌にガウンだけ羽織ると急いで秘書官に通信を入れた。



 

画面に映し出されたラクスのリラックスした身なりにエレノワは面食らった。
「ラクス様、胸元を整えてくださいっ!」
普段ラクスは、可憐で清楚な格好をしているからであろうか、
胸元がはだけただけで色気に当てられそうになった。

「エレノワさん、お願いがございます。
至急、ドクターをお呼び下さい。」

エレノワは瞬時に状況を推測してサイドPCで手配を整えていく。
「キラ様が、いかがなかさいましたか?」
恐らく、ラクスがここまで慌てるのはキラが原因であろうから、
エレノワは至極落ちつた声で問うた。

「高熱を・・・。」

そう言ったラクスの気丈なまでに真直ぐな瞳の奥に揺らめいた何かに
エレノワは感性を凝らせた。
「ドクターがすぐにそちらへ向かいますので、そのままお待ちください。
私もすぐに。」

「ありがとうございます。」
そう言って頭を垂れる様に瞳を閉じたラクスを見届けて
エレノワは通信を切った。

暗転したモニターに映るのは自分の顔であるのに、
ラクスの瞳の奥の揺らめきが焼きついて離れなかった。

 



カガリが政務室へ戻った頃には陽が高く上がっていた。
扉を開ければそこには決裁待ちの電子文書が山のように詰まれていることを
PCを起動させなくともカガリには判りきっていた。
その中から緊急を要するものから優先順位をつけて回してくれる
秘書官の腕にいつも助けられている。
その合間を縫ってスケジュールが組まれると言うよりも
その合間に事務作業をこなさなければならないのが実状であった。

色とりどりの薬味が散らされた中華粥を食べているカガリの横で
モエギは容赦なく今後のスケジュールを伝えていった。
と、カガリの蓮華が唇を前にして止まる。

「クライン議長の出席は未定とは、どういうことだ。」

「はい、プラントの委員会の方からはクライン議長は欠席する可能性を示唆されまして。
クライン議長の秘書官へ確認を行っておりますが、
回答は“未定”、と。」

モエギの言葉にカガリは表情を曇らせ、静かに蓮華を器に戻した。

カチ。
陶器の音が冷たく響く。

「キラは、熱でもあるのか。」

オーブに帰還するシャトルの中で感じた、体の内側から焼けるような熱は
ひょっとしたらキラから来ているのではないかと予感していた。
メンデルの再調査を契機として、
カガリはキラをまるで自分の一部のように感じていから。

「はい。何でも容態は思わしくない、と。」

そうか、とカガリは小さく応えると蓮華を口に運んだ。
自分がキラを感じているなら、
キラも自分を感じて欲しいと思ったのだ。
自分が元気であれば、きっとキラも元気になるのだと、
そう信じてカガリは中華粥を飲み下しが、
舌は痺れたように味覚を感受しなかった。

「ですから、委員会は場合によってはクライン議長に代行すると、おっしゃっております。」

カガリの琥珀色の瞳は、オーブの蒼い空を映し出していた。

「交渉は、上手くいっているといいんだが・・・。」

現在、月基地で行われているであろう地球連合とプラントの協議に
カガリは思いを馳せた。

 




月基地から帰還したアスランを待ち受けていたのは、
カガリと同様、決裁待ちの電子文書の山であったが

「遅いわいっ、全くっ!」
それよりも真っ先に
「そうよ〜、こっちは早く聞きたいんだから。」
報告をしなければならない2人が待ち構えていた。

「コル爺、シモンズ主幹・・・。」

アスランは思わず漏れそうになった溜息を飲み込んだ。

「少しだけお待ちいただけますか。」

アスランの思考を先回りして、エリカは的確に指示を出していく。
もちろん、エリカにそんな権限など無いのだが。

「文書は全部後閲で回してしまってちょうだい。
月基地での報告についてはシャトル内で終えたって聞いてるわ、
プラントとの協議は夕刻からに変更になったそうですし?
後やることって言ったら、ねぇ。」

その有無を言わせぬ強力な圧力を加えているのは、
ぶっちょう面で腕を組んだまま仁王立ちしているコル爺だった。
アスランは眉根を下げて、小さく笑った。

――本当、敵わないな、この人たちには。

アスランのその表情を承諾と受け取ったコル爺はアスランの腕をむんずと掴むと

「あっ、コル爺、何処へっ。」

黙って歩き出した。





「はい、どうぞ。」
「ありがとうございます。」

部屋に入って直ぐにエリカから渡されたタンブラーの蓋を開けると
香ばしいコーヒーの香が立ち上った。

「あなた、寝てないんでしょ。
何時からって、計算するのも面倒な位。」

冗談混じりの言葉に、アスランは苦笑いしか返せなかった。
最後に睡眠を摂ったのはプラントであったことは覚えていたが、
その時間は今の自分の遙か後方に位置するように思えてならない。

――長い、一日だった。

そのアスランの思考を先回りしたエリカは、

「長い一日でしたわね、
あ、まだまだこれからですけど。」

チラリと時計に視線を向け、にっこりと微笑んだ。
やはり苦笑いしか返せないアスランは
徐にタンブラーに手を伸ばし、コーヒーを口に含んだ。
嗅覚と味覚を刺激する少し強めのアロマが、
心地よい位に頭に響き思考がクリアになっていくような気がした。

「で、どうじゃった、リミッターを外して。」

コル爺の鋭い眼光を受け止めながら、
アスランは宇宙を駆けた時の視界を思い起こした。
それは、超高速艦であるエターナルで見た視界と重なる光景だった。
それが示すこととは、

「リミッターを解除した場合、紅の速度は恐らく国際法定速度の限界、
もしくはそれ以上になる可能性があります。」
そして、
「戦闘中にもリミッターを解除しましたが、
数秒だけでしたのでパワーにおいて法定基準を超過するかは不明です。
ですが・・・。」

これらの事実からアスランが抱いた懸念を言葉にしたのは、コル爺であった。

「ジャスティスより、上を行く、か。」

ストライクとの交戦時、避けきれない切先をいなすことができたのは
リミッターを解除しスピードレベルをストライクと同等に設定したからであった。
しかし、それは
モルゲンレーテで開発された新型エネルギーであるプロミネンスのポテンシャルの
ごく一部を解き放っただけであった。
それでも、法定基準限界値である最速のMS、ストライクよりも速く駆動していたように感じたのは、

「要因はプロミネンスにあるのか、
それとも紅そのものにあるのか、判断し兼ねます。」

それが、アスランの本心であった。
平和条約を締結した後に、軍縮を目的としてプラントから提案されたのは、
MSの性能を制限することだった。
フリーダムとジャスティスの8割を超える性能を持つMSの製造は、
国際社会上からは完全に禁止された。
この実現を担保するために公開された2機の性能は一方で、
EPUの抑止としての効果をもたらした。
平和秩序を乱せば、この2機の剣が舞い降りるのであるから。

「フリーダムとは異なり、ジャスティスの構造は基本に忠実で、
パイロットを選ばない機体だと思います。
しかし、紅はパイロットを自分に設定して、
その・・・好き勝手に造ったので・・・、
体に全てがなじむんです。
だから、プロミネンスを解放してジャスティスを越えるとすれば、
それはエネルギーそのものが原因なのか
機体の性能が自分により適合しているからなのか、
判断できません。」





コル爺のマッチを擦る音が、妙に大きく部屋に響いた。
煙草の煙の淡い影がたゆたうように立ち昇る。
エリカが思考を整理するようにアスランの言葉を引き継いだ。

「でも、それはあなたが紅とプロミネンスの性能を最大限引き出す状況にならなければ
判断できないんじゃないかしら。」

アスランは思考のひとつひとつを丁寧に積み上げていった。

――確かに、実戦しなければ紅が法定基準に抵触するかどうか
   明確な判断は下せない。
   この前までなら、それで静観することも可能だった。
   だが、もしこれで抵触する場合は、オーブは紅を放棄しなければならない。
   そうなれば、兵力を削がれることになる・・・。

メンデルで明らかになった事実、そして組織の存在と
プラントと地球連合の政治摩擦が勃発する蓋然性を考慮すれば、
このタイミングで兵力を減少させることは出来る限り避けたい、
それがアスランの結論であった。

「ま、その時は。」

コル爺の低くしわがれた声は、
そんなアスランの思考も背景さえも全て受け止めたような奥行きを持っていた。

「紅なんぞ、EPUにくれてやるわい。」

むはーっと鼻から煙を吐き出したコル爺は、
一瞬強い眼差しでアスランを捉えると
ふいと視線を外してエリカに向き直った。

「念のため、プロミネンスを搭載したMSを設計しておこうかの。
紅が無くとも、影響なんぞこれっぽぉぉっちも無いように、な。」

一瞬向けられただけのコル爺の眼差しは
灼熱の突風のようにアスランの胸を吹き抜けた。
言葉を奪う程のそれに、
瞠った瞳を離さずにいることしか出来なかった。

 



慌しく入室してきた部下に緊急参集を告げられ、
アスランはコル爺とエリカの前から辞した。
涼やかな表情を湛えながらも、
燃えるような眼光を揺らめかせるアスランを見送って
エリカは指先がちりつくような刺激を覚えていた。
技術者の嗅覚が、何かに反応しているのが分かる。

「紅無しでも、十分に戦えるだけの戦力を整えますわ。
どっちにしろ、紅はアスラン君しか使いこなせないんですし。」

エリカの言葉は、近い未来そのどちらをも手放すような言い振りで、
コル爺はすっ呆けたような声を出して応えた。

「妙なことを言いおる。」

エリカは、コル爺がわざと知らぬ振りをしていることを見透かして
くすりと小さく笑った。

「女の勘、ですわ。」

エリカの細めた瞳に映ったのは
武者震いを噛み締めた師匠の姿だった。


←Back  Next→  

Top   Chapter 7