5-9 過去を呼び起こす今
「わたくしたちは、ここで。」
そう言って、ラクスはアスランに花束を渡した。
花束を受け取るアスランの手から離れた車椅子のハンドルに手を掛け、
車椅子をくるりと転回させながら見せたラクスの微笑みは
“ごゆっくり”と物語っていた。
アスランはその場に立ち尽くしキラとラクスの姿を見送った。
ラクスの桜色の髪が大きくたなびく度に、
口ずさまれる旋律がアスランの耳元へ届いた。
振り子のように近づいては遠のく旋律は海の波のようで、
何処までも穏やかに
何処か懐かしさを思わせた。
キラは此処に、
この場所に、
この時に、
眼前で実存しているにも関わらず、
キラは闇の果てにいるのだと確信させる。
目の前にいるという物理的な距離感が
皮肉にも闇の遠さを突きつける。
――それでも・・・。
キラとラクスのシルエットは重なりあい、
桜色と鳶色が溶け合うような幻想性さえ帯びていた。
――キラの内側も
そこから見た世界も
闇であるはずなのに。
キラは、光に包まれている。
既に小さくなった影の上で、一羽の鳥が囀りながら旋回した。
ラクスが細い腕を伸ばすと、
鳥はその手に吸い込まれるように止まった。
キラに顔を寄せるラクスの表情は逆光によって判別できないが、
きっとそこには曇りなき笑顔があるのだろう。
緩やかな丘陵に弧を描くように続く石畳の道を
アスランはゆっくりと登っていった。
かつては何処までも遠く感じた頂も
泥が沈殿したように足裏にまとわり付いた石畳の感触も、
右手から射す柔らかな西日の光が
解し、溶かしていく。
母が髪を撫でるように優しく吹き抜ける風に
腕の中の花々が揺れて
アスランは爽やかな香に包まれる。
その香がアスランを過去に引き寄せる。
父に寄り添う母の姿と、
そんな母に抱かれる自分。
寡黙な父は何時も厳格な表情であったが、
その目元が優しく緩む瞬間をアスランは知っていた。
と、突風が吹きぬけ
反射的に花束を庇う様に身構えた拍子に
スーツの隙間からネクタイがはためいた。
白い花の花びらを巻き上げながら駆け抜けていく風に視線を送りながら
アスランは無造作に髪を掻き揚げ
乱れたネクタイを正そうと手を伸ばした。
脳裏に過るのは、
過去。
ネクタイの、
記憶。
たおやかな微笑みを浮かべる母と、
優しげな瞳の父と、
その間で笑っている自分。
『父上っ。』
そう言って、母の腕の中の自分は父のネクタイを首に巻きつけた。
父は擽ったそうに笑みを零していた。
いつも真一文字に口元を引き締めている父が、
――笑ってくれたことが嬉しくて、
嬉しくて・・・。
アスランはレノアの腕から身を乗り出すように
パトリックのネクタイを結んだ。
結び方を覚えたばかりで緊張して、
手が止まりそうになるとレノアが耳元で囁き
次の手順を促してくれた。
それを素知らぬ振りをしてくれるパトリックに、
アスランは、本当は気が付いていた。
――俺は、父上と母上を
愛していた。
そして今も・・・。
右手の西日の光が風に溶け
ベールをかけた様に輝く空に淡紅の色彩が挿そうとしていた。
歩みを進める度に、再会の時が近づいていく。
こんなに穏やかな面持ちで再会するのは初めてのことで
困惑が無いと言えば嘘になる。
胸の内に深く突き刺さったままの楔は抜くことは出来ず
時が流れ出る血を止めたが
今でもその傷は内側から疼く。
この痛みが消えることなど無いのだろうと、
アスランは思う。
痛みに耐えることしか出来なかった、あの時。
痛みの存在自体を恨めしく思った、あの時。
これが、ザラの名の証であるのだと
突きつける痛みによって
呼び起こされる自責の念と、
罪悪と、
償いへの焦燥。
痛みに向き合うことも、
傷に触れることも、
その先の楔に手を掛けることも、
幼かった自分には出来なかった。
それでも、 久方の再会へ向かい
痛みと共に笑みがこぼれていく。
アスランは、 過去と同じ表情を浮かべていた。
幸せの花の香が呼び起こす、 幸せの時。
そしてその表情を浮かべているのは
紛れも無い“今”だった。
パトリックとレノアの墓標は小高い丘の頂上付近に位置する場所にあり、
そこはプラントが誇る豊かな緑と穏やかな海を臨み
丘の裾野から整然と並んだ町並みを一望することができる。
プラント国立共同墓地は国家への貢献の度合いによって階級別に区分けされている。
パトリックは、戦争の最高指揮権を執ったとして最も重い戦争犯罪者とされているにも関わらず
レノアと共に最高位に位置する場所で眠っている。
それは、戦争の責任を差し引いても直、プラントへ多大な貢献を残した表れであると同時に、
プラント国民から愛された証である。
しかし、そこには2つの側面があることをアスランは深く心に刻んでいる。
一つは、
純粋にその功績が讃えられたという光の面。
そして、もう一つは
パトリックの思想を崇拝し利用する存在を示す、
闇の面。
それをアスランは墓前で直視することになる。
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