5-37 キラの誤算



「だーかーらーっ!!」

クライン邸前で行われていた押し問答に匹敵する程のやりとりが、

「カガリ様っ!!
何度も申し上げておりますでしょうっ!!」

ここ、オーブ国立病院の一室でも繰り広げられていた。

「私だって何度も言っている!
もう体は平気だっ!
今すぐ公務に復帰するっ!
先ずは民に謝らなければっ!!」

ムゥとマリューは眼前で繰り広げられる新米秘書官と一国の代表の
エレメンタリー・スクールレベルのやり取りに顔を合わせて笑った。

「笑い事じゃな〜い!!!ムキーっ!!!」

キレた新米秘書官の眼鏡が鋭く光った。



その場に同席していたアスランは、ただあっけにとられながらその光景を眺めていた。

――これだけ元気でいられるなら、
   もう大丈夫・・・か。

そして、ゆっくりと窓枠へ手を伸ばし、
徐に見上げた空には果てなく続く常夏の熱い蒼が広がっていた。
これが、本当の空なのだと、
心が静まるような安堵を覚えて微笑みを浮かべた。
と、
眼下が騒がしいことに気が付くと同時に感じたのは無数のフラッシュ。

――フラッシュ・・・?

「あっ。」

思わず声を洩らしてアスランは、病室のムゥとマリューに何か言いたげに視線を向けた。
ムゥは、さも困り果てたように眉尻を下げて両掌を天に向けた。

「一介の将校が、なんでこの場にいるのか、
そりゃぁ国民は興味津々だろうよ〜。」

そう言って携帯でニュース画面を表示させて
アスランの眼前に突きつけた。
そこにあるのは1枚の写真。

国立病院に詰め掛けたカガリの快方を祈る群衆や
情報に目と耳を張ったメディアを背に、
バリケードを軽々と跳び越える
大輪の花束を抱えた自分の姿――。

「この写真の表題、
“姫の元へ”。
ロマンチックじゃねぇか〜。」

至極愉快そうに笑うムゥに、
アスランは生真面目につっこんだ。

「誤解ですっ!
この花は、ラクスから頼まれたもので・・・。」

アスランは、嘘は言わない。
ありのままを話せないなら、
真実の一部を語らないことを選ぶ。
しかし、それを見透かしたようにマリューが言葉を加える。

「でも、カガリさんの元へ、
一刻も早く届けたかった、
それは本当でしょう?
その理由も。」

アスランは言い返す言葉も見つからず瞳を閉じた。
唯一つ、アスランを安堵させたものといえば
秘書官と言い合っていたため、この会話がカガリの耳に届かなかったということだけだった。
アスランは何かを切り上げるような溜息を一つつくと、

「俺は、これで失礼します。」

そう言って、片手でネクタイを正した。

と、ジャケットに入れた携帯が着信を知らせる。
軍本部からだろうか、と確認したディスプレイには意外な名前と用件が表示されていた。

“イザーク・ジュール クライン議長より至急の依頼”



「どうした、イザーク・・・。」

画面に表示されたのはイザークとは別枠で映るラクスの姿に
アスランの言葉が喉元で詰まった。
絹のように滑らかな髪は乱れ、
愛らしい目元は紅く染まり、
心なしか頬はこけていた。
そこに映っているのはクライン議長ではなく、
愛する人を求めて止まないひとりの女性の姿だった。

「ラクス、一体何がっ!」

その声にカガリすかさず反応する。

「准将っ!ラクスかっ?!!」

画面の向こう側のラクスが瞳を潤ませながら微笑んだ。

「カガリは、無事なのですね。」

少し掠れたその声は安堵で満たされていたが、
カガリの胸を激しく締め付ける程に切なかった。
アスランが通信を大型ディスプレイに転送し、
カガリは映し出されたラクスに身を乗り出した。

「ラクス、ごめん、心配かけた。
でも、もう大丈夫だっ!」

カガリは太陽の光の粒がはじけたような笑顔を見せた。
きっと、今、ラクスの花のような笑顔を、
キラが愛する笑顔を浮かべることなど出来ないのだろう。
それでも、ひとりで祈り続けたラクスの心を
一瞬でもあたためることができるのなら。

――何でもする。

そのカガリの思いを大切に心に留めるように、
ラクスはゆったりと頷いた。

「・・・キラ、か?」

アスランは幾分言い難そうに、ラクスに切り出した。

「はい。もう間もなく、キラはストライクで地球へ向かうはずです。」

カガリの顔色が一瞬にして青ざめ、
魂に問いかけるように震える手を胸元に宛てた。
キラが地球に向かう理由を聞くよりも先に感じ取った。
キラは、死ぬために地球へ来るのだと。
カガリの表情の機微からラクスは思いを読み取り、そのままに引き受け言葉にしていく。

「そうです。
キラは、自らの命を絶とうとしています。」

ラクスは瞬きを繰り返して零れ落ちそうになる涙を懸命にこらえた。
仲間というぬくもりにあたためられた心が、
感情を溶かし優しく撫でるように流れていく。

「キラは、自らの命を、
母なる地球へ返そうとしているのです。」

ラクスの変わらぬ穏やかな声とは裏腹に、
真白な頬を一筋な涙が伝った。

「命を返すなら、
きっとキラはオーブを選ぶでしょう。
キラは、オーブの海がとても好きでしたから。」

キラとラクスはまるで1つの魂のように
ひとつに寄り添ってきたから、
相手の思いも自分の思いのように感じてしまう。
分かるよりも先に、自分のものになる。
ラクスの頬を伝い続ける涙は、
きっとキラと同じ涙。
キラは今、泣いている。

一刻の猶予も、許されない。
カガリはぐっと拳を握り締めると、アスランに真っ直ぐな視線を向けた。

「ザラ准将、至急、紅で出てくれ。
リミッターを解除して構わん。
私が許可する。」

しかし、カガリの指令をアスランはやんわりと拒否した。

「いや、“これ”は俺の判断だ。
クライン議長よりの人命救助の依頼を、緊急性により引き受ける。」

カガリは瞳を大きく見開き、反対にラクスは眉を顰め視線を下げた。
アスランはたんたんと続ける。

「他国のMSが本国に衝突する恐れがあるんだ。
”コーディネーター”の乗った、MSが。」

アスランが意図してそうしたのではないと、
その場にいた誰もがわかっていた。
それでも、コーディネーターという単語に特別な響きを感じとらない者はいなかったであろう。
いくらオーブが、ーディネーターを受け入れ共生を掲げているからといっても、
ある者にとっては、その事実は神経を逆撫でするものでしかない。
セイランが一時でも台頭した歴史が、その蓋然性を証明している。
だからこそ、カガリは表情をゆがめた。
アスランは責任の所在を自分に一本化することで、
カガリの立場を守ろうとしているのだと、
わかってしまうから。

ムゥは確認するようにアスランに言葉を返す。

「むしろ、お前が出る方に懸念を示す奴がいるって可能性の方が高いぜ。」

ムゥの蒼い瞳が“大丈夫かよ”、そう物語っている。
アスランは承知の上で頷いた。

「4年前にストライクを討ったのは、俺です。
万が一の場合も、俺が討ちます。
“ストライク”を。」

――キラでは無く、
   ストライクを・・・。

アスランの深海のような優しい色の瞳から、
カガリの元へ確かにそう、聴こえてきた。
声ではないアスランの想いに、
それを映した眼差しに、
カガリは応えるように凛とした微笑みを浮かべた。
ムゥは腕を組んだまま、
「正当性は、それで十分だろうな。
上層部もそれで一旦納得するはずだ。」
アスランの背中を押すように頷いた。

「ラクスさん、」
そう続いたのはマリューだった。
一瞬にして緊迫と冷静の共存した声色は、2度の大戦でアークエンジェルの指揮を執ったその時のままだった。
「紅のコードをそちらに送るわ。
随時、キラ君の軌道と予測経路を送って下さい。」
“いいわね”、そう言うようにマリューはアスランへ視線を送り
アスランとラクスは共に浅く頷いた。

「でもよ、」
そこへディアッカが口を挟む。
「その情報をキラが拾わないとは思えないぜ。
むしろ、アスランのMSとラクスのカリヨンに挟まれたんじゃあいつ、
どうなるかわかんねぇだろ。」

キラは、ラクスの前から自らの生命自身から逃げ出した、
その事実を考慮したディアッカの秀でた洞察力によるその指摘は最もであるが、
その先へラクスは手を打つ。

「情報は、カリヨンから」
そう言って、ラクスは髪飾りの影から1本の銀に輝くピンを抜き取った。
「こちらで、お送りいたしますわ。」
ラクスの白く細い指先で柔らかく輝く白銀にカガリは身を乗り出した。
「それがいいっ!いや、それじゃなきゃ、駄目だっ!!」
カガリは瞳を滲ませながら、泣き笑いの表情を浮かべた。

真横で笑みを深めるラクスの意図も、
画面上に映し出されたアスハの表情も、
まるで解せずにいるシンを置き去りにして、
話は進んでいく。

「おいっ!格納庫ではストライク、スタンバイしてるぜっ!!」

画面の向こう側で、ディアッカの声が響いた。

「くそっ、奴は化け物かっ!」

プラント、オーブ間で交わされる会話の間、
ずっとPCに向かったまま作業に全神経を集中したいたイザークが悪態をついた。
格納庫のストライク発進スタンバイを遅滞させるためにシステムに侵入していたのが、
イザークのスピードよりも頭ひとつ速くそれらが解除されていく。

ラクスは切に祈るように、
胸の前で両手を握り締めた。

「どうか、わたくしに力を――」

“貸してください”、
そう続くであろう言葉をカガリが引き受け、
よりあわせていく。

「力を、あわせよう。」

画面に向かって右手を伸ばしたカガリと
同じように伸ばしたラクスの掌が
画面越しに重なり合った。

思いは同じであるのだと、
そう確かめ合うように。   



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