5-34 逃走



――許して・・・。

 ――僕が生まれてきたことが、
   僕が生きていることが、
   全て罪なのだとしても。

――僕に、
   守ることを
   許して。

――君を、守りたいんだ。
   大切な、君だから。

――君を、
   愛しているから。




真白に染め抜かれた
真白な闇の世界の空が閉じていく。

逝く先から降りしきる粉雪がやんでいく。

頭から堕ちるように、
キラの魂が世界へ帰っていく。

ラクスの元へ、帰っていく。

君を、守るために。

それは、キラが選んだ最後の愛しさのカタチ。




瞳を開ければ、そこに待っていたのは
光で満たされた世界であった。

「キラっ!」

歌うような声が春風のように心地よく耳をくすぐる。
その声が、求めて止まないその声が、
歓喜に潤みを帯びている。
ラクスの祈りは自己の実存の賛歌だ。
しかし、今のキラにとっては自己の終焉の鎮魂歌としてしか聴こえない。
鎮魂歌でなくてはならない。

瞳が世界に適応するまであと3秒。

その間、キラは超絶な速度で状況を把握し
次の行動までの算段を計算していく。
周囲にいる医師は3名、助手を含め5名。
隣室に待機する秘書官は、2名。
ニコライに、エレノワ。

あと2秒。

屋上までの廊下で出くわすSPは7名、
警備も合わせて15名。

あと1秒。

体は・・・動く。

もう一度、
ラクスが愛しい人の名を呼んだそれが合図だった。
室内に一瞬、突風が駆け抜けた――

そんな感覚をその場にいた誰もが知覚した。
ふわり。
宙を舞ったのはキラを覆っていたベッドカバー。
床に打ち付けられる体に接続され続けたチューブの類。
突然の出来事を医師たちが理解する間も瞬間さえも許さず、
キラは彼等をなぎ倒していく。
止めるラクスの華奢な腕を振り払い、
振り向きもせずに寝室の扉を蹴破るように飛び出す。
物音を聞きつけたSPと出くわすまであと5秒。

4、
3、
2、
1――

階段の踊り場で出くわしたSPの1人目の足元を払い
続く2人目の注意を一瞬そらさせその隙に
腹部に蹴りを入れ
彼が倒れる瞬間に背中から銃を抜き取った。

階段を駆け上がる、その先で出くわす警備には
SPから奪った銃口を向けるだけで押さえることができる。
彼等は主人である自分へ発砲することなど、有り得ない。
問題は――

「ちっ。」

3階で出くわしたSPは容赦なくキラに銃口を向け、
キラの視線がそれを確認した一瞬の隙に、背後から現れたもう一人によって腕を押さえられる。
キラが一気に脱力たのを確認すると、正面から近づいてくるSPは胸元の小型マイクで通信を開始しようとした。
脱力のため・・・キラの手元から銃が零れ落ちた・・・
否。
キラは落下する銃を正面のSP向かって蹴り上げ、
腕の関節を外して背後のSPから逃れる瞬間、
胸元の銃を奪った。
SPは瞬時にキラと間合いを取りながら銃を構え、対峙した。
キラは躊躇い無く、
SPに向けて発砲した。

銃声が、再びクライン邸に響き渡る。
最愛の人の手によって。

ラクスはその場で膝を折って泣き崩れそうになるのを必死で耐えた。
そして、キラの行き先を拒むように屋上に待機させてある移送機へ通信を入れる。

「キラを通してはなりません。
決して。」

「はい、かしこまり――」

言葉が結ばれるのを待たずに、
通信からは耳障りな機械音が発せられた。



1階の寝室のテラスから外に出たラクスを襲ったのは
身を圧するような風。
たゆたゆとした桜色の髪が宙に舞い
一瞬表情を歪めたラクスが目元を押さえた手の隙間から見たのは、
穏やかな空の青と長閑に浮かぶ雲と――

それらを切り割くように空に発つ
一隻の移送機だった。   



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