5-33 深海



カガリは左手を右手で包み込み
そっと胸に押し当て
深く息を吸い込んだ。

窒息するような真白な闇の世界で見た
嘘のように安らかな半身の笑顔が離れない。
その笑顔を最後に、
キラは朝日に溶ける朝露のようにカガリの前から姿を消した。

「キラ、あいつ、死ぬ気だ。」

ぽつり、ぽつりと、
言葉は重力を持つようにカガリの唇から落ちていく。
その様がまるで実体を持つかのようで、
カガリは発した傍から事実になっていく自らの言葉に
胸の痛みを覚えた。
たとえどんなに否定してもそれは事実で、
それを事実と化していくのも自分だった。

アスランはただ黙ってカガリの言葉を聴いた。
カガリが目覚めた今、
アスランに迷いも焦燥も無かった。
あるのは唯一つ、今、自分にできること。
今も直、果て無き闇にいるキラに、
キラに祈りの歌を捧げ続けるラクスに、
そして哀しみに震える、カガリに。
故にアスランは、親友が死の淵にあってもなお
心は凪いだように静かであった。

「キラが、そう言ったのか。」

その静けさを映したようなアスランの声が低く響き、
カガリは悔しさを奥歯で噛み締める。
消えゆくキラを止められなかった、
繋ぎ留めることが出来なかった、
自分の無力さに腹が立つ。
何が、キラにそうさせたのかは分からない。
でも、何故、キラがそうしたのかは分かる。
きっと、キラは。

「キラは、何かを守ろうとしてるっ!
でもっ!
そのために死ぬなんて、絶対におかしいっ!!」

真実の光を宿した瞳は強く、
迸る感情をそのままに映し出す。
アスランはカガリのむき出しの感情を受け止めていく。

「あぁ。そんなこと、絶対に駄目だ。」

そして、アスランは言葉を続ける。
それはカガリを安堵させるための気休めなどではなかった。

「でも、キラは大丈夫だ。」

アスランはキラが自ら命を絶つ可能性は限りなく低いと踏んでいた。
自ら命を絶つためには、
心臓に指を突っ込み素手で握りつぶすように
生々しい自らの生に触れなければならない。
メンデルの事実を浴び、
自己と世界を切り離し
自己を閉じたキラには、それが出来るはずが無いのだ。
生という自己の核に触れることなど出来るはずが無い。

このアスランの読みは大方正しい。
が、同時にそこに大な死角があることをも認知していた。
それは、キラは誰かを守るためなら手段を選ばずに戦う人間であるということ。

しかし、キラという人間であるからこそ
その死角は大きな矛盾を孕むことになり、
従って、成立不可能である。

故に、アスランは静かに構えることができた。

ラクスの傍を片時も離れず、守り続けてきたのはキラであるから。
キラが守りたいものとは、ラクスであるのだから。
キラの魂も存在も遺伝子に刻まれた証も、
全てを受容し愛することがラクスの真実であるのだから。
故に、キラが死でもってラクスを守ったとしても
キラはラクスを否定することになり
結果としてラクスを守ることは叶わない。

ラクスを守ることとキラの死は
決して等式で結ばれることはない。

喩えそれが机上の証明の域を出なくとも、
アスランはキラとラクスが、2人の真実を見つけ出すことを信じ続ける。
それが今自分にできることであり、
そしてそれはもう一つ――。



「大丈夫だ。キラの隣にはラクスがいる。
キラの近くには、君がいる。」

その抽象的な言葉にカガリは一瞬言葉を失うが、
置くように語る独特のアスランの口調から確固とした信念を感じ取り
焦燥が霧散していく。
心が澄んでいくのがわかる。

「ラクスが言っていた。
カガリがキラに一番近い場所にいるのだと。
双子のシンクロ・・・と言うのか、
良く分からないが。」

アスランはラクスの言うシンクロという言葉の持つ神秘性に実感を持てずにいたが、
今、カガリを目の前にして思う。
理屈を抜きにしてカガリが今、キラの魂の一番近い場所にいるのだと。
カガリはキラと会ったと言う。
オーブとプラントという物理的な距離を超えて、
生死の境を彷徨う肉体を超えて、
2人が会うことなど現実的に考えられることではない。
しかし、一つの命を分けあい
同じ遺伝子を持つ2人なら
全てを超えて交い得るのかもしれない。
遺伝子の引力によって、魂が呼び合うのかもしれない。

その神秘を感覚的に受け入れるカガリは思う、
メンデルの事故を境に自分に起きた外的要因に起因しない変化は
全てキラと繋がっていたのだと。
カガリは、キラが抱く果て無き闇に共鳴する冷え切った掌も
凍てついた胸の奥も、
キラの哀しみと苦しみを抱きしめるように
空いた腕で体を抱きしめた。
俯いたカガリの表情はやわらかな髪に隠れているが、
アスランと繋いだ手に、
指先に、ぐっと力が込められた。

――考えろっ。
   今、私にできること。
   今、
   キラに、 
   ラクスに、
   私ができること。


アスランは黙って、カガリの応えを待った。
彼もまた、同じ問いを自らに課し
そして応えを導き出した。
ラクスのようにキラの傍にいても力になることは出来ないであろう、
カガリのようにキラに触れることは叶わないであろう。
その自分が今、キラにラクスに何が出来るのであろうか、と。
その答えは今、
この掌の中にある。


自分の胸に耳を澄ますように、カガリは自らに向き合っていく。
そして、ふと気づくのだ、
雑音が紛れ込まないほどに静かであることを。
それが、アスランの沈黙がもたらした静けさであることに
カガリは気づき懐かしさを覚える。
ただ傍にいて何も言わず黙って。
その音の無い世界には、
深海の底のような静けさと
不思議なぬくもりと穏やかさがあった。

――聴こえる・・・。
    キラの、声・・・。
    ラクスの、声・・・。
    アスランの・・・。

カガリは聴こえた声を追いかけるように
勢い良く顔を上げるた。
アスランは穏やかな微笑みを浮かべながら
応えが同じであることを告げるようにゆっくりと頷いた。
カガリはその応えを遠く離れたキラにラクスに、呼びかけるように呟いた。

「今、私が、私であること・・・。」

「俺も、そう思う。」



相手に直接的で現実的な力になれない時、
力になりたいと願う思いが強ければ強いほど
自分の無力さを突きつけられる。
しかし、それは無力ではないのだと、
2人の導き出した応えは示している。

キラの魂に引かれてカガリの命の火が弱まることを
キラとラクスが望むはずが無い。
むしろ、それは2人を哀しませるだけだ。

――それならば、
   私は、
   私でありたい。
   キラが目覚めた時に、
   2人が笑ってくれるように。
   そして・・・。

カガリは繋いだ手を握りなおすように
絡めた指に力を込めた。
アスランに気づかれない程、微かに。

――アスラン、
   お前も笑ってくれるだろ?



カガリの思考を邪魔しない穏やかな口調で、
アスランはたんたんと分析を重ねていった。

「仮に、カガリがキラの魂に引かれたことが原因で心停止になったとしたなら、
逆のことも言えるはずだ。」

「あっ、私がキラを引っ張り込むってことか?」

アスランの仮説を引きうけるようにカガリは身を乗り出した。
アスランは浅く頷き肯定を示しながら続けた。

「そう。そうすれば、キラが目覚める可能性だって考えられる。」

死に逝くキラの魂に引かれてカガリも死の淵に立ったのだとすれば、
カガリの生命力溢れる魂に引かれて
キラが生を取り戻すことも可能となる。

「任せろっ!!
絶対に、キラは死なせないっ!!」

世界に宣言するように言い放ったカガリの貌は未だ雪のように白かったが、
その笑顔は生命に息吹を吹き込む陽の光のように
あたたかく眩しかった。 
  



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