5-32 抱きしめる
降りしきる粉雪に埋もれながら
カガリが最初に感じたのは、
左の薬指の熱。
そして誰かが手を繋いでくれて、
その手が誰のものなのか
繋いだぬくもりからわかってしまう。
そのぬくもりが愛しくて、
離れたくなくて
離してほしくなくて
指を絡めた。
“離さないで”
――離れたのは、私の方なのに・・・。
アスランの自由を、願って止まないのに・・・。
なのにどうして、
私は願ってしまうんだろう。
傍に、いてほしいと。
「カガリ。」
届いたのは、
泣きたくなる程優しいアスランの声と、
深海のように静かで深い瞳の色。
指を絡めて繋いだ手と手と、
頬を滑る優しい温もり。
「ア・・・スラ・・・。」
それに応えたいのに、
声を発すれば肺と喉が潰れたような痛みを覚え
カガリは力なく表情を歪めた。
痛みの分だけキラとの交わりは夢ではなかったのだと、体が告げているように感じ
カガリはさらに言葉を繋ごうとたどたどしくも懸命に息を吸い込む。
早くしなければ、半身は命を絶つ――
それは確信めいた直感だった。
アスランはカガリの思考の先を読み、
言葉にしていく。
「キラに、会ったのか。」
アスランはいつもと変わらぬ穏やかな声でカガリに問うた。
アスランの声を聴くだけで、胸が熱くなってそのまま瞳にたちのぼる。
涙と共に気持ちまでもが溢れそうになるから、
カガリは思いを胸の内へ閉じ込めるように瞳を閉じ、
アスランに応えるように頷いた。
その拍子に涙が頬を滑っていく。
瞼に浮かぶのは、
真白な闇に揺らめくキラの細い線。
闇が巣くった紫黒の瞳。
――駄目だっ!
カガリは消え逝くキラの儚く脆い微笑みに手を伸ばすように、
半身をおこそうと空いた手をベッドについた。
こんな所で寝ている場合では、無い。
「キラが、キラっ・・・!」
一刻も早く、キラの元へ行かなければならない、
その思いに数日間生死の境を彷徨った体は応えてはくれない。
ベッドに手をついている感覚が斜めに傾いて、
もどかしくも体は真白なシーツに沈んでいく。
その瞳を刺すような白さがキラが、消えた雲海を連想させる。
カガリはシーツをぐっと握り締め拳をベッドに押し付けるように体を起こした、
唯、それだけなのに。
体は肩を揺らして酸素を欲し、
視界は真白に霞がかり蜃気楼のように揺らいでいく。
「・・・キ・・・ラ・・・っ。」
カガリは糸が切れたように波打つようなシーツに向かって崩れ落ちた。
感覚が、重なっていく――
白く染め抜かれた果て無き闇と、
足に纏わりつくような雲海と、
倒れた拍子に舞い上がった粉雪と、
逝く先から降りしきる粉雪と、
全てを飲み込み埋め尽くしていく白い世界――
「カガリっ!」
咄嗟だった。
アスランはカガリの肩に腕を回し、崩れ落ちるカガリの体を受け止めた。
まるで、抱き寄せるように。
2年振りに抱く肩は、力を込めれば壊れてしまいそうな程に細く儚く、
肩で跳ねた柔らかな髪は変わらずに手の甲を擽るのに、
その全てが哀しみに震えていた。
――今を言い訳にして、掻き抱いてしまいたい・・・。
抱きしめても哀しみは消える訳ではないのだと、
知ったのは2年前。
セイランによって閉じ込められた檻の中で、
孤立と孤独と無力に打ちひしがれたカガリを抱きしめても
その涙を止めることは出来なかった。
哀しみは、今だけのものではない。
今拭えば、消えるものではない。
ならば、哀しみを消せないならば
抱きしめる意味など無いのだろうか。
哀しみに震える君を抱きしめても、
何も変わらないのだろうか。
そんなことは無いと、そう信じることができたのも2年前。
君を抱きしめることができなくなった、あの時だった。
――君がどんなに俺を責めても
怨んでも
今の君の哀しみを分けて欲しい。
哀しみの中で、
独りにはしたくない。
もう二度と。
アスランの思いが行為としてあらわれるその前に、
カガリはアスランに抱かれた肩に手を伸ばし
長い指にそっと触れて
「・・・だっ、い・・・じょぶ・・・だっ。」
泣き濡れた琥珀色の瞳を懸命に緩めた。
その拍子に、長い睫でせき止められた涙が
耐え切れずに零れ落ちていく。
抱きしめてほしいから、
あの時のように包んでほしいから、
だからカガリは肩のアスランの手を引き離す。
――お前は、優しすぎる・・・。
言葉を飲み込むように長い
睫を伏せたアスランの優しさを振り切るように
カガリは涙を消すために手の甲を擦りつけた。
そして、何も言わず手をおさめたアスランに向かって
胸の内でつぶやいた。
ありがとう、と。
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