5-31 奇蹟を閉じ込めて
ムゥはマリューの背中を支えるように廊下へ促すと、
音も無く病室の扉を閉めた。
アスランとカガリの静かな時を残して。
「カガリさんが目覚めたことをドクターに伝えるのは、
もうちょっとだけ待ちましょう。
きっと、もう大丈夫だわ。」
安堵の微笑みを浮かべ夫を見上げたマリューに響きあうように
ムゥも柔らか表情を含んだが
それでもそれは何処か苦味を帯びていた。
「ムゥ・・・?」
突然の抱擁にマリューは一瞬瞳を開くが、
重なった体から想いが流れ込んで
自然と心が共鳴していく。
「誰にだって、幸せになる権利はあるんだ・・・。」
肩越しに漏れる苦しげな声が、触れたそばから体に浸透していく。
幸せは、何によって得られるのか。
人は何に幸せを感じるのか。
それは人によって異なる。
挙げだしたらきりが無い。
それこそ、無限の宇宙に瞬く星のように。
そして、その内の一つとは、
愛する人を愛すること――。
マリューは黙ったままムゥの背中にゆっくりと腕をまわした。
「“愛してる”・・・、
簡単な言葉。
尊い、言葉。
でも、それを伝えられなくしているものって、
何かしら。」
アスランとカガリの思いを知らない2人ではなく、
何故その想いを声に行為に表さないか
その理由も痛いほど良く知っている。
分かっている。
カガリの危篤が諸外国へ漏洩した場合
テロが発生する蓋然性は否定できず
その有事の初動を適切かつ確実に遂行するため。
それが、アスランの帰国と復務を言い渡された理由であり、
それが無ければ帰国さえ躊躇したであろう。
さらに、アスランが帰国の足そのままにカガリの病室を訪ねることを可能としたのは
現プラント議長であるラクスからの見舞い品を所持し、
さらにそれが生花であったからである。
理由が無ければ、同じ場所にいることも言葉を交わすことも出来ない。
そんな2人が、どうやって互いの想いを伝えることができるだろう。
傷つけあった過去を負う2人が、
どうして自分自身を許せるだろう。
共に描く夢を叶えるために
もてる力も
その手も
声も
想いも
全てを注ぎ続ける2人が、
どうしたら抱きしめあえるだろう。
言葉にされなくても、
行為として示されなくても、
確かにそこには想いがある。
互いの胸の内で静かにあたため続けている。
それでも、
最愛の人が死の淵にあっても
傍に行くことも傍に居ることも出来ず、
最愛の人の名を呼ぶことさえ躊躇い、
近づくことも触れることも戒める。
そんなアスランがカガリの名を呼び、
カガリは応えるように繋いだ手に指を絡めた。
それは、2人に起きた奇跡。
止まらない時間がこの奇跡に終わりを告げるその前に、
病室の時を止めるように
ムゥとマリューは2人を残して扉を閉めた。
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