5-28 ひとつ
キラは胸に埋まるカガリを引き離すように
鉛のように重く自由の利かない体を左右に揺すった。
「駄目だっ!!
カガリ、僕に触っちゃ駄目だっ!!」
キラにとって、同じ遺伝子を持つカガリが自らに触れることは
カガリが自分と同一化することのように思われた。
「君は僕と同じになったら駄目なんだっ!!
君と僕は違うっ!!
違ってよっ!!!!
カガリっ!!!!」
キラは、カガリが非自己であることを切に望んだ。
何故なら、カガリがキラと同一でないということは、
カガリが人間であることを示すから。
カガリが自分と同様に
世界から死を望まれる運命に、無いことを示すから。
カガリが生きることを示すから、
カガリが愛する、この世界で。
カガリは、キラの背中に回した手で、
オーブの常夏の風のように優しく包み込むように撫でた。
キラにとって、カガリのその行為はキラの存在の受容を示すこと以外でなく、
そして同様に、キラと共に生きる意志の表れであった。
言葉など無くとも、
遺伝子が、
重ねた時が、
胸から伝わる想いが、
キラにそう告げる。
「駄目だっ!!
カガリ、君を一緒に連れて行く訳にはいかないっ!!
君は生きなくちゃいけないっ!!」
かけがえのない半身さえも逝く先に道連れにしてしまう、
――それは、駄目だっ。
それを恐れたキラは、カガリの肩に触れた。
キラの行為は、内発的な願いの表れであったことに、
キラ自身は気づいていなかった。
それでも、
――・・・え・・・。
カガリの肩に触れた瞬間に、キラは自分の胸の奥に小さな光が燈ったのを感じた。
燈し火の光とぬくもりを手繰り寄せるように視線を泳がせると、
その先には太陽のような笑顔の半身がいた。
「なぁ、キラ。
私たちは、ひとつの命を分け合って生まれてきた。」
そう言って、カガリはキラの掌を自らの胸に宛て、
同様に自らの掌をキラの胸に宛てた。
「同じ。
同じだろ?」
キラは確かに掌の奥から人間の鼓動を感じ、
流れる生命の熱さに直に触れ、ぐしゃりと表情を歪ませた。
それを宥める様に、カガリは微笑んだ。
「キラの鼓動、感じるぞ。
同じだ。
私と、ひとつだ。」
溢れそうになる感情が涙となって視界と思考を霞ませ、
それを振り切るようにキラは大きく首を振り、
叫んだ。
「でもっ!!!
僕はっ!!!
人間じゃないっ!!
僕が、ここにいるから・・・
世界を、僕が、壊したんだ!!!」
燈された希望の光が凍りついたキラの感情をあたため、
溶かし、そのひとつひとつが涙となって宇宙に散っていく。
涙の分だけ、キラのアメジストのような瞳から闇の色彩が抜け落ちていく。
「それでも、同じ命だ。
大切な、命だ。」
一瞬にして、2人の足元に広がったのは瑠璃色の地球。
うららかな春を思わせる澄んだ青空の中を羽ばたくように、
2人は落ちていく。
足の裏に感じるのは、オーブの常夏の風。
力強くもあたたかな大地と、
優しく包み込む海。
「私は、この世界を愛している。
そして、この世界に、
キラと一緒に生まれてきたことを、
幸せに思う。」
カガリは光の矢で射抜くような、
真直ぐな視線でキラを見詰めた。
「そして私は、この世界で、
キラと共に生きていくことを、望む。」
琥珀色の瞳に宿した威光が、
その言葉が真実であることをキラに告げる。
「キラを、望む。」
「でも・・・、でもっ!!」
激しく肩を揺らして呼吸をし、
頭を割るように破壊された思考に吹き込んだのは、
桜色の春風――
『わたくしは、キラと共にありたいと、望みます。』
愛しい人の、声――
『キラを、望みます。』
本当の、願い――
『どうか、わたくしを、望んでください。』
心からの、望み――
『世界を、望んでください。』
胸の燈し火に照らされあたためられた感情が熱をもって瞳に立ち上り、
瞳から世界へ落とされていく。
「ラクス・・・、君は、どうして・・・」
――どうして、僕を救ってくれるの・・・?
君と共に生きることを止めたのは、
僕の方なのに・・・。
キラが最愛の人の名を呼んだ事実から、
キラの胸の奥に決して消えぬ希望の火が燈されたのだと、カガリは目を細めた。
「さぁ、帰ろう。ラクスの元へ。」
カガリは凍りついたキラの手をとるとかろやかに踵を返し、
ゆっくりと手を引いて歩き出した。
キラの逝き先ではなく、
生への行き先を目指して。
キラを生へ導くように。
その先で待つ、最愛の人とキラを結ぶように。
2人と世界を繋ぐように。
命を分け合って生まれてきた2人の命が
再びこの世界で重なる瞬間を迎える、
そのはずだった。
次の瞬間、カガリはキラと繋いだはずの右手に激しい痛みを感じ
勢い良く振り返った。
目に入ったのは振りほどかれた手と手と、
蒼白のキラの口元を微かに染める深紅と、
くっきりと浮かび上がった歯形と鮮血が滲んだ自分の掌だった。
カガリはキラの行動に驚愕したが、
血が滴るように増す痛みがそれが現実であることを示した。
「キラ・・・?」
見上げたキラの瞳は寥寥とした漆黒に染まり、
ルージュを引いたように紅く染まった口元は意志を持って硬く結ばれていた。
瞬間、カガリは悟る、
キラは、掌が焼け爛れることも厭わず
胸の内の希望の火を自ら握りつぶしたのだと。
自分を照らすと燈し火を、
未来への希望の火を、
二度と燈すことが出来ないように。
――僕は、死を待つことも許されない。
命を終わらせる方法なんて、いくらでもある。
確実に、殺すことなんて難しいことじゃない。
それでも、僕が死を待ったのは、
命を絶つには命に触れることを避けられないから。
命に触れることは、
今の僕の生を一瞬でも認めることになるから。
――でも、本当は、
僕は死を待つことも許されなかったんだ・・・。
ラクスに救いの手をのべさせ続けているのも、
カガリを道連れにしているのも、
アスランの痛みが絶えないことも、全て。
――僕が、
負が沈殿した遺伝子が、
ここに在るから、
だから・・・。
僕は、この世界から消えなくちゃいけないんだ。
命を、消さなくちゃいけないんだ。
――僕は、哀しみを生む。
だから、僕は、死を望む。
二度と誰かを哀しませないように。
哀しみの未来は、僕が砕く。
僕の未来を、砕くから。
――守りたいんだ・・・
守らせて・・・。
愛する人を、
血を分けた半身を、
親友を、
みんなを。
――僕に、守ることを
どうか、許して。
カガリは硬く握り締めた拳を振り上げ、
キラの胸を叩いた。
行為の根拠となる思考よりも、
行為の意味を求めるよりも先に、
カガリはキラの胸を叩いた。
「キラ、駄目だっ!!
戻って来いっ!!
行くなっ!!!」
鼓動を呼び起こすように。
「キラっ!!」
生命を吹き込むように。
「キラ!!」
何度も、何度も。
ふと、カガリはキラが微笑んだ気がして
涙でぐちゃぐちゃになった顔を上げた。
するとそこには、奇跡のように綺麗な微笑みを浮かべるキラがいた。
頬に、同じ涙を伝えながら、
キラは瞼を閉じた。
カガリはキラが選んだ死を打ち砕くように、
渾身の力を込めてキラの胸に拳を振り下ろした。
叩いた。
それでも、
それがキラの胸に届くことは無く、
その手ごたえも反動もカガリに伝わることは無く、
その瞬間、
キラは朝露が朝日に溶けるように消えた。
カガリは半身の名を呼んだ。
ありったけの声で。
喉も肺も魂も、潰れる程に。
遺伝子の引力の糸を引き寄せるように、
魂を呼ぶように。
しかし、何処までも続く雲海のように
白く穏やかなその場所に
声は吸い込まれるばかりで、
キラの声が返ることは無かった。
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