5-23 希望の光
慰霊碑を中心として見渡す限り続く、花。
花々は共に大空へ葉を伸ばし
常夏の日差しをいっぱいに受け
鮮やかな花をほころばせる。
一つとして同じ形の無い花が、
名前も種類も色も生息地も異なる花々が
共に生きている。
色彩は反発しあうことなく混じり合い、
香は他をかき消す事無く溶け合い、
枝葉が他の陽を遮ることなく分け合う。
戦火によって失われた人々を示す花で満たされたその場は、
人種も性別も文化も故郷も言語も異なる人々が共生する国、
オーブそのものであると比喩されるようになった。
無論、この地に眠るのはオーブ国民だけではない。
世界中の国々から、その目的は様々に
オーブに人々は集まり、戦争に巻き込まれ故郷の土を踏まずに発った者も少なくない。
そのため、一人でも多くの人にと、
冥福と永久の平和を祈るこの場所を全世界に開放していた。
見渡す限りの花々の彩りと、
潮風によって舞い上がる花の香の重奏、
全てを包み込む常夏の蒼い空、
誰もに等しく降り注ぐ陽の光――。
あまりの光景に胸が詰まるのは、
その色彩の美しさや香の芳しさだけではない。
そこに込められた想いが、
誰かに馳せられた祈りが、
確かにあなたに届いている現われなのであろう。
「ご覧下さいっ!アスハ代表によって“燈し”が行われていますっ!」
アナウンサーの声と共に映像に映し出されたのは、
初老の男性を全身で抱きしめるカガリの姿だった。
それを執務室で視聴していたエレノワはぎょっと目を見開いた。
「これって、許可取ったんですよね・・・?」
プラントの民放の内でもエンターテイメント性により人気を博している放送局であるが故に
飛び込みで取材しているのではないかと、ニコライは苦笑いをするしかなかった。
「さぁ・・・。でも、“燈し”を受けている男性もその横の女性も、
幸せそうじゃないか。」
幸せをもたらされたのなら、それでいいじゃないかと
ニコライのたおやかな笑みに描いてあった。
同時刻。
同番組を片目で視聴していたディアッカの肩が、遠慮の無い力で引かれた。
「ぅおっ!」
その突然の刺激の理由を察したディアッカは、
呆れた表情で応えた。
「おい、アスラン。
無断で取材されても、姫さんなら事後承諾すんじゃねぇの?」
ディアッカの言葉を思考に通すことなくアスランは画面に目を凝らし、
ディアッカのPCを勝手に操作して画面を全面に拡大する。
アナウンサーの声も何も感覚から排除して、
男性の胸に埋まった顔を上げたカガリを見るなり
アスランは超絶なスピードで回線を開いた。
繋いだ先は、オーブの執務室だった。
同時刻。
カメラの存在に気が付いたカガリは、
そっと初老の夫婦に耳打ちをする。
「これが放映されることになるぞ?
いいのか?」
カガリの心配そうな瞳は、幼き日の息子を思い起こさせ
夫婦は笑みを深めると眉尻を下げた。
「申し訳ございません・・・。
実は、撮影を許可したのは私たちの方なんです・・・。」
そう言って妻は深々と頭を下げようとしたので
あわててカガリは妻の背中をさすり体を支えた。
夫は泣きはらして真っ赤になった鼻をすすると
罰が悪そうにつぶやいた。
「本当は、あんたを・・・、
ぶったたいてやろうと思ったんだ。
そんで、それを世界中にさらしてやろうって・・・。」
羞恥に耳まで赤くした夫の言葉は何処までも素直で、
カガリはひまわりのような笑顔を浮かべた。
「いいんだぞっ!
イヴァンさんの花を植えることができたんだっ。
私は叩かれたって、怒鳴ってもかまわない。」
夫婦に向けられた琥珀色の瞳は
カガリの真摯な思いを映したように真直ぐであった。
「だ〜!!!!」
そう言って夫は片手で目を覆うとカガリに向かって大きく腕を振った。
その言動にきょとんとした表情を浮かべていると、
妻はカガリの年相応の反応に慈愛を込めた手つきで寄り添った。
「あれね、あの人、恥ずかしがっているんですよ。」
妻のふっくらとし頬には大きなえくぼが浮かんでいた。
同時刻。
「キラ、ご覧下さいな。
カガリさんがまた燈されておりますわ。」
ラクスはキラの正面に据えられた大画面にカガリを映し出し
キラの腕に自らの腕をからめるとふんわりとした微笑を浮かべ、
視線を送った。
「・・・。
キラ・・・?」
同時刻。
「イヴァンさんは、コスモスが好きだったのか?」
カガリは大地の上に跪き、コスモスの苗を植えた後の土を素手で慣らし終えて、問うた。
初老の夫は頭の帽子をくしゃりと潰しながら取ると、
カガリから視線を外しながらくぐもった声で答えた。
「・・・喧嘩別れで出て行った息子の好きな花なんか知らねぇよっ・・・。」
吐き捨てるように放たれた言葉とは裏腹に、
夫は愛嬌のある小さな瞳に微かに涙を溜めていた。
そして妻は夫の代わりに涙を流し、
何度も涙と鼻水を拭ったのであろう、くちゃくちゃになったハンカチで顔を抑えた。
白いハンカチに映えるような日に焼けた手は、とても小さくカサカサだった。
「では、どうしてコスモスを?」
そう問うカガリの声は、まるでオーブの蒼穹のようにあたたかく澄み渡っていた。
「・・・、あの馬鹿に・・・、
イヴァンに怒鳴られたんでさぁ。
“親父っ!コスモスが邪魔で車を入れられねぇっ!”って。」
夫の言葉を引き継ぐように、妻がゆったりと重ねていく。
「家は農家でしてねぇ。」
そう言って、妻はハンカチで鼻を押さえると、
初めてカガリに笑顔を向けて瞼を閉じた。
そこに、あの頃の、喧嘩ばかりの家庭を瞼に映し出して。
「家のは、ガレージっつっても庭の土の上でして・・・。
で、夫が植えたコスモスが増えて、増えて、庭中コスモスだらけになってね。
そりゃぁ、もう。」
そう言って愉快そうに笑う妻が夫の腕に触れるだけで、
当時の家庭を映しだしたようにあたたかな空気に変わる。
その仕草一つにしても、夫婦の仲のむつまじさが伺え
カガリの目は自然と細くなっていく。
「うるせぇっ。ありゃぁ、何だっ、えー・・・。」
一気に顔を紅潮させながら夫は空に視線をめぐらせ
上手い言葉を捜しながらしどろもどろに答えた。
「そもそもっ、お前がコスモスが好きだ、なんて言うから・・・。」
妻は胸の底からの笑みを深めて
「はいはい。」
夫の腕に自らの手を絡めると、大きな肩に頭を寄せた。
カガリは思う。
きっとイヴァンという人は、この家族を愛していたのであろう、と。
自らの感情をぶつけることができる幸せを、
何人もの遺族が教えてくれたのだ。
「きっと、イヴァンさんもコスモスが好きだったと思うぞ。
だって、お2人を見ていたら私もコスモスが大好きになった。
息子のイヴァンさんが、好きにならない筈無いじゃないか。」
目に涙を溜め、閉じた瞳に亡き息子と懐かしさに縁取られた光景を描く夫婦は
視線を合わせてはにかみながら微笑んだ。
同時刻。
「はい、オーブ・・・」
定型的な挨拶をしようとしたカガリ専属の秘書官の言葉を遮り
アスランは矢のような言葉を飛ばした。
「アスハ代表を、直ぐに休ませるんだっ!」
画面に現れた見たことも無いザラ准将の表情に面食らいながらも、
秘書官は申し訳なさそうに苦笑した。
「わたくしもそう申し上げたのですが・・・。
お約束したのですよ、イヴァン様のご遺族と共に花を植えたら
本日はお休みになる、と・・・。」
アスランの脳裏に、慰霊碑で作業を行うためしっかりと身支度を終えたカガリが
懸命に秘書官を説得している姿が目に浮かんだ。
『私は大丈夫だっ!
イヴァンさんと、そのお父様とお母様に会うんだっ!
一緒に祈るんだっ!』
両手に拳を作り、身振り手振りで思いをぶつける――
アスランの前では見せることの無くなった、
あの仕草で。
思考が頭を過りながらも、アスランは秘書官に要請する。
「代表を連れ戻せ。
今、直ぐにだっ。」
低く響いたその声の厳格さに
「はいっ。」
秘書官は思考する間も無く返事を返していた。
回線を切断し、焦燥に満ちた表情で画面上のカガリを注視するアスランに、
その様子を横目で見ていたディアッカは思わず呟いた。
「お前、ホント、父親似だよな・・・。」
同時刻。
「カガリ様だぁ!」
そう最初に言ったのがどの子なのか判らないほど、
この地に訪れたカガリを子どもたちや訪れた人々が取り囲んでいく。
駆け寄ってくる子どもたちを、カガリは立てひざで迎えて抱きしめた。
「きゃ〜!」
それを見たほかの子どもたちが一斉にカガリに飛びつき
「僕もっ!」
「わたしも〜!」
「まぜて〜っ!!」
そう言って一人、また一人とカガリに抱きついていき・・・
「おわっ!」
子どもたちは勢いよくカガリを押し倒してめちゃくちゃに抱きついていく。
そう言ってはしゃぎまわる子どもたちの手や服が土や花粉で汚れているのを見て、
カガリの胸は光で満たされていく。
子どもたちが手に持つ花も、
小さな手で耕した土に植える種も、
みな亡き者への祈りであり、
未来の平和への祈りであるのだから。
2度の戦争により大切な人を亡くした人々は、
そして、命を奪った人々は、
その人の愛した花に祈りを込めて植えていく。
一つ、また一つと花が増える度に
人々の胸にも未来という名の花が芽吹いていった。
カガリは自分の体の上にのる子どもたちを片腕で抱き、
大地のぬくもりを背中に感じ
潮風によって溶け合った花の香をいっぱいに胸に孕み
何処までも続く蒼い空を押し上げるように手を伸ばした。
それに倣うように、
子どもたちも大空へ向かって手を伸ばす。
カガリは、知らず呟いた。
「この地に、花を絶やさぬことを誓う。
花の香が、祈りと共に、あなたに届きますように。」
まるで希望の光で満たされたような光景に、
その場にいた者たちもメディアを通してみていた者たちも
言葉を失った。
次の瞬間その光景を満たしたのは、
空を切り裂くような悲鳴だった。
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