5-21 祈りの花



「こちらへ。」

カガリは初老の夫婦に所定の場所を案内するためスコップを持ち替えた。
背後から感じる視線は真直ぐにカガリの胸を貫いていく。

――彼等の息子の命を奪ったのは、私なんだ。

幾人の遺族と出会っても、
彼等が抱える底知れない哀しみと
取り返しの付かない喪失と、
自らに課せられた 為政者としての罪と償いの重さが、
弱まることは無かった。
むしろ、 亡くした民とその遺族と出会えば出会う程に
カガリの胸に音も無く降り積もっていった。
それでも、 カガリは背筋を伸ばし、顔をあげ前を向く。
しっかりと大地を踏むような足取りで
色とりどりの花を掻き分け進んでいくカガリの後ろを、
距離をあけて 初老の夫婦は無言の歩みを進めていた。
腕の中に、大切そうにコスモスの苗を抱えながら。





きっかけは小さな祈りだった。

焼け焦げた黒い大地と荒廃した慰霊碑を
花で満たそうという国民の気運が高まっていたその時だった。
慰霊碑に向かい冥福を祈っていたカガリの耳に届いたのは、
老婆の呟くような祈りの言葉だった。

『お前の好きだったナデシコが、 今日も満開だよ。
そっちでも、咲いているのかい?』

腰の曲がった老婆が手向けたのは、 繊細に花びらを広げたナデシコの花束だった。
花を束ねているこざっぱりとしたリボンの下のむき出しの茎から香る青さから
切り立てであることが読み取れる。
そして恐らくそれは――

『あなたが育てたものか?』

庭の満開のナデシコの花を世話する老婆の姿を遠く描きながら
カガリは問うた。

『はい。 ターニャが・・・。
娘がね、 植えたんですよ。
毎年見られるようにって。』

『ターニャさんは、ナデシコがとても好きだったんだな。』

カガリは真直ぐに伸びた茎に大らかに葉を広げ
鮮やかに花びらを綻ばせるナデシコに目を細めた。

『そりゃぁ、もう。』

そう頷く老婆は至極愉快そうに亡き娘のはしゃぐ姿を思い描き、

『だから、こうして。 ね。』

老婆は手向けたばかりの花束に慈愛に満ちた微笑を浮かべ、
そしてその横に備えられていた 枯れてくたびれたナデシコの花束を丁寧に持ち上げた。
恐らく、庭のナデシコの花をこうして足繁く手向けにきているのであろう、
ターニャが愛した花を
ターニャの元へ届けるために。
こうするしか会うことができない、
愛する娘に会いに。

毎日、 毎日、 花に祈りをのせて運ぶ老婆を、
気が付いたらカガリは渾身の力で抱きしめていた。
抱きしめなければ、泣いてしまいそうだったのだ。
誰のための涙なのかわからない、
それでも切実に自らに迫る感情が
溢れて止まらなくなりそうだったのだ。
そうして抱きしめた老婆の体は
芯が折れてしまいそうなほど細く儚く、
だが、かじかんだ体をあたためるような光を宿しているように感じられた。
その光が何であるのかは分からない。
それでもその光の強さと尊さだけは
確かに感じたのだ。

どこか懐かしい香りがする老婆の 肩にかかったショールに顔を埋めながら
カガリの唇は自然と動いていた。

『あなたの庭にあるナデシコを、分けてくれないか?
ここに、一緒に植えよう。
ここで、一緒に育てよう。
そして、 来年も、再来年も、 10年後も、
ずっと、 ずっとナデシコの花をターニャさんに届けよう。』



それが、始まりだった。
以来カガリは、戦没者の遺族を訪ねては
亡き人の愛した花を植え続けている。
時に罵声を浴びせられ、 手を挙げられ、
銃口を向けられることさえあった。
また、遺族さえ残っていない者や
名前もわからない者、
愛した花の調べがつかないこともあった。
それでも、
遺族と共に、
民と共に、
カガリは荒れた大地を掘り起こし
花を植え続けていった。

今は亡き人に思いを馳せながら。

出会うことが叶わなかったその人に、
出会うように。

祈りが、
花の香と共に、
あなたに届くように。



← Back   Next →                       


Chpter 5   Text Top Home