5-20 太陽
花畑の裾で、カガリはスコップを荒れた大地に突き刺した。
カツン、と硬質な音と共に進入を拒むような抵抗を感じ
「よっと。」
カガリはスコップに足を乗せ重心をかけた。
ザクっ。
今度は軽やかに跳び、
「よっと。」
一気に柄の部分に体重をかけ漸く沈んだスコップを起こす。
土を掘り返していく照りつける太陽の光を受けながらの力仕事に
自然と汗が肌を伝い、潮風がそれを拭っていく。
あまりの爽快感に空を見上げたカガリを、
じっと見詰めていたのは初老の夫婦であった。
腕にはコスモスの苗を大切そうに抱え、
その手つきとは正反対に鈍い眼光を宿した鋭い視線を送っていた。
その視線に敏感にも気づいたカガリは彼等へ体を向けると
姿勢を正し深々と頭を下げた。
彼等とカガリの間を潮風が吹きぬけ、
カガリの髪をぐちゃぐちゃに掻き回していく。
土と汗と花粉に塗れた衣服に乱れた髪、
それでも直頭を下げるカガリは代表としての威厳が宿り、
一個人としての真摯な思いに溢れていた。
だから。
妻は夫の腕に身を隠し、
夫は口を真一文字に結びながら視線を逸らした。
映し出された映像に、エレノワは思わず声を漏らした。
「あ。」
その嘆の声の意は、本人でさえ知覚していなかったが、
直属の上司であるニコライは無意識の領域さえも透かして読んだように、理解していた。
エレノワがラクスに求める政治家像が、
カガリの姿勢と重なっていることを。
「政治家であれば、アスハ代表のようにあるべきだと、
エレノワは思うのか?」
ニコライの言葉にエレノワは瞳を見開き、自身の無意識を意識化していった。
ニコライの言葉に、ラクスもカガリのようにあるべきだという自らの内に浮かんだ考えを読み取り、
慌てて頭を振った。
「そういう意味ではっ。ただ・・・。」
そう言って視線を下げたエレノワに、ニコライはふわりとした笑みを浮かべた。
「ただ?」
包容力を含んだ声は、その先の答えをせかすものではなく
どんな言葉も受け入れる準備を表していた。
エレノワは膝の上で掌をぎゅっと握り締めて、画面を注視した。
「アスハ代表は、ご自身の言葉通り、
常に民と共にある・・・と思いまして。」
言葉にしてみてエレノワは思う、
やはりラクスへの皮肉として響いてしまうのではないかと。
常に人々と対等にありたいと願うラクスは、
常にプラント国民から崇拝され仰がれていた。
それを気遣うラクスを知らないエレノワでは無い。
そして現在ラクスは、
民と共にあるどころかフィアンセ以外誰とも共に無い。
そのコンテクストから、エレノワの言葉は確かに皮肉と解することもできた。
しかし、ニコライはエレノワの思いを汲みつつ言葉を続けた。
「アスハ代表の秘書官と、話をしたことはあるか?」
ニコライの問いに、エレノワは幼い子どものように首を振った。
「一度、話をしてみるといい。
アスハ代表とはどんなお方なのか、良くわかる。」
メディアで見る表の代表と別の顔を持つのかと思考を進めたエレノワは
口元に手を当てて言葉を返した。
「でも、アスハ代表は公もわたくしもあまりお変わりになられないかと、思いますが・・・。」
ニコライはエレノワの人を見る目の確かさに頷きながら続けた。
「その通りだ、エレノワ。
アスハ代表は裏も表も無い、
あのままのお方だよ。
ラクス様と同じように。」
ニコライの言葉にほっとしたような笑みを浮かべたエレノワは、
次のニコライの言葉に目を見開いた。
「だが、あのお方には一般的に言う“わたくし”が無い。」
「それはどう言うことですか?」
エレノワはニコライが苦い表情を浮かべたことを見逃さず、
そして何故彼がそんな表情になるのか、
そもそも彼の言葉さえ解することが出来なかった。
ニコライはカガリの秘書官の表情を瞼に浮かべながら、言葉を続けた。
「アスハ代表の秘書官が言っていたよ、
“カガリ様は、世界の太陽である”、と。」
エレノワはニコライが聞いたという言葉に若干の違和感を感じた。
何故、オーブのために尽力する代表が
“オーブの”ではなく“世界の”太陽であるのかと。
エレノワの表情から疑問を読み取ったニコライは、
共に答えを導き出すようにゆっくりと語った。
「あのお方に、休みなど無いそうだよ。
今日だって公休なのであろうが。」
そう言ってニコライに導かれるようにエレノワはPCの画面に視線を戻すと、
そこにはカガリの言葉通り民と共にある姿が映し出されていた。
「あのお方は、オーブに、全てを捧げていらっしゃる。
世界に、全てを捧げていらっしゃる。
全てを、だ。
わかるか?」
そう言うニコライの表情は硬く、そして何処か辛く悲しそうに見えた。
休養の時間も、趣味に打ち込む時間も、恋人と過ごす時も、ただぼんやりとする時も・・・
誰もが持つ“私だけの時間”を、カガリは持たない。
その手も指も足も唇も瞳も、胸を打つ鼓動も全て、
オーブのために在り世界のために在る。
ニコライは感情を閉じ込めるように口をつぐんだ。
年頃の女性が当たり前にできる全てを奪い
自らの持つ全てを捧げさせたのは、
そんな世界を作ってしまった大人であるという
ニコライは自責の念に駆られていたのだ。
しばしの沈黙を破ったのは、エレノワだった。
「だから、太陽なんですね。」
その声は何処か遠く、そして物悲しく響いた。
「全てを等しく照らし、生命の息吹をもたらす、
太陽は、自らを燃やし続けているんですから。」
エレノワもまた、視線を下げ頬に睫の影を落とした。
その太陽に照らされているのは自分自身でもあり、
自らを燃やし続けるひとの存在によって
世界の均衡が保たれていることは事実であり、
そしてそこに生きているのは自分なのであるから。
「アスハの失策によってオーブは焼けた。
だから全てを捧げるのは当然だ。
そう言う者も少なくない。」
ニコライはPCに映し出されたカガリを瞳に映しながら呟いた。
「だが、あのお方は
“責任や償いだけで、全てを捧げているのでは無い”と、
オーブの秘書官は言っていたよ。」
映し出されていたのは、凍えるひとを暖め涙を乾かし
頬を撫でる風をおこし
生命の息吹をおこす、
太陽の光のような笑顔だった。
「あのお方は、全てを捧げることを
心から望んでいらっしゃるのだと。」
それは自己犠牲では無いのだと。
それは彼女の願いであるのだと。
望みであるのだと。
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