5-19 慰霊碑



常夏の蒼い空は雲ひとつなく、
鮮やかな色彩は見上げた全ての人を等しく包み込むようにあたたかい。

ゆったりと時を刻むように寄せては返す波に乗る潮風は、
飛魚の群れと戯れ、
カモメの翼を扇ぎ、
そして人々の頬を撫で、
常夏の蒼い空へと帰っていく。

オーブの空が包むものも、
オーブの風が癒すものも、
人だけではない。

――ここに眠る魂も、きっと・・・。

カガリは慰霊碑を中心として視界いっぱいに広がる花畑を見詰めて微笑みを浮かべた。
朝日の煌きのような輝きを身に纏うカガリが実際に身に纏っていたのは
白のタンクトップにカーキのカーゴパンツにブーツ、
そして肩には大きなスコップを担いでいた。
カガリが公休であることは、そのラフな格好からだけではなく、
この慰霊碑に作業着姿で現れたことからも判断できた。
何故なら、公休の日は決まって
カガリはここで花を植え続けているからである。

戦没者の遺族と共に、
戦没者の愛した花を。




戦後の復興と共に進められたのは戦没者慰霊碑の整備であった。
その地は、目にした者の胸を抉るほどに
2度の戦争の爪痕を色濃く残していた。
C.E.72年に焼かれたその地を敢えて手を加えずに保存していたのは、
表向きは、オーブの恒久の平和を実現するための教訓としての価値を目的としていたが、
その地がセイラン家所有の土地であったことが、
最も強く影響していた。
当時、戦後の復興と同時にその地に慰霊碑を安置することが行政府で決定したことを受け、
セイラン家が土地の一部を寄贈した形をとっていた。
そのため、慰霊碑そのもの以外に行政府が手を加えることは差し控えられ、
当然カガリの意向が反映されることは叶わなかった経緯があった。
土地の寄贈を一部に留めたのは、巧みなセイラン家の意図があったと推測されている。
戦火が消沈してもなお、
火薬と家屋と、
そして人間が燃えるむせ返るような匂いが胸を刺すようなその光景を保存し、
その光景に演出を加えることで、その地を哀しみと憎しみの象徴とし、
国民のメンタリティを操作していった。
そして2度とオーブの地を焼かぬために“強きオーブ”を求める気運を高めさせることに利用したのだ。

無論、セイラン家の目指した“強きオーブ”とは理念を貫く強さではなく、
現実的に敵を排斥し国を守る強さであったことから、
セイラン家は慰霊碑を軍事力拡大に利用したと考えられる。

遺族が戦没者に馳せる思いを、
戦争へ駆り立てる思いへと歪曲させたと言っても
それは過言ではなかったのである。

その事実が発覚したのは先の戦争が終結した後のことであり、
頭首を失ったセイラン家の没落と共に政府に寄贈される形となったその地の整備を求める声が、国民から強くあがった。

セイラン家が掲げた当初の目的である教訓としての保存を
文字通りの目的を実現するために
この地の一部を国家遺産として認定し、
残った広大な土地に花を植えようと提案したのは他でも無い、
オーブの国民だった。

そして、戦没者の愛した花を植え始めたのは、
カガリだった。  



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