5-18 秘書官たちの迷い



エレノワは通信の回線を切断した後もデスクから動かず、
椅子の背もたれに身を預けたままだった。
その姿が、何処か宇宙を仰いでいるかのように感じられて、
ニコライは声をかけずにはいられなかった。

「どうした、エレノワ。」

そう問わずとも 何故エレノワが口をつぐんでいるのか、
ニコライにはおおよその見当がついており
それはエレノワの思考とぴたりと一致していた。
そして直属の上司であるニコライが、
自身の思考を読んでいることに気づかぬエレノワでもなかった。
ぐっと瞼を強く閉じた後、 エレノワは宇宙を仰いだまま呟いた。

「独立時地区ソフィアが完全な独立を果たしたら、どうなるんですか・・・。」

その問いは、自分自身へ向けられているようにも
ニコライへ向けられているようにも、
報道された国民の言葉であったようにも思われた。
エレノワの心境を具現化したような空気に
宛名の判らぬその問いは浮遊するしかなく、
故にニコライはそれを引き受け、応えた。

「ソフィアを失うことは、経済産業的影響を多大に被る恐れがある。」

ニコライの教科書どおりの返答に、
エレノワはふーっと息を吐き出しながら言葉を加えた。

「ソフィアはプラントの、 コーディネーターの英知の結晶です。
創造と実践が絶え間なく繰り返されている場所なんです。」

エレノワが言わんとしていることを汲みながら、ニコライは言葉を付け加えた。

「プラントは、最先端を失うことになる訳だな。」
「いいえ、」

エレノワの落ち着いた声色がさらに低まった。

「プラントは、未来にあるはずのものを失うんです。」

ニコライは淹れたてのカフェオレをエレノワの前におくと、
個人の主張を脇に置いた客観的な言葉を返した。

「では、プラントが国家として独立を承認しなかった場合、どうなると思う。」

エレノワはカフェオレから立ち上る柔らかな湯気を視線で追いながら答えた。

「プラント建国以来初の紛争になるかもしれません。
その場合、数のみで判断すればザフトの勝利は確実ですが、
ソフィアの技術と英知を、本格的に軍事に転用されれば、
戦況は長引くかもしれません。」

エレノワの現実的な目算に同意するようにニコライは頷いた。

「そうなるだろう。
先の大戦頃からソフィアの軍事産業の発展は歴史に類を見ない程だ。
こうまでして頑なに、武力行使というカードを退げないのには
それだけ現実的な準備が整っているのであろう?
国家となるために必要となる人も、力も。」

エレノワはニコライに視線を向けると、息もつかずに問うた。

「それは、プラントに打ち勝つ準備、ということですか。」

エレノワが向けた視線は 正面のニコライを通り過ぎたその向こう側へ、
思いと共に突きつける。
ニコライの沈黙が、エレノワの推測が正しいことを示していた。
エレノワが膝の上でぐっと拳を握り締めた瞬間に、ニコライは口を開いた。

「じゃぁ、どうしてラクス様は、
政治よりもキラ様を選んだのか。」

その発言とは正反対な程、声色は至極穏やかだった。
エレノワはその差異よりもむしろ、
己の胸の内に押し込めていた思いを口に出された驚きが先行し、
一歩遅れて羞恥が顔に立ち昇った。
行き場をなくしたように視線を下げ、唇を噛み締めたエレノワを前に、
ニコライの声は何処か遠くへ響いた。

「そんな風に思う国民が、どれだけいるんだろうな。」

心の声が漏れたような呟きに、
エレノワは顔を上げて 真意を待つように耳を澄ました。
ニコライは長く大きく息を吐き出すと、
ふと宇宙を見上げるように 天井を仰いだ。

「国民の大半は、ラクス様の判断を是としている。
良妻の鏡だ、と。」

確かに、事実上ラクスが一時的に政界から距離を置くこになったことが発表された時は
プラント中が騒然となった。
しかし、それはラクスが政治を放棄したことへの糾弾では無かった。
何があっても愛を貫く献身的な姿への、
賛美だった。

「でも、本当は何を根拠に、
ラクス様を支持したのだろう。
良妻の鏡だからか?
人間として正しいからか?」

視線を真直ぐにニコライへ向けながら思考を廻らすエレノワだけではなく、
ニコライの問いは広く遠くへ投げかけられているように感じられた。
しかし、その問いを受け取る人はエレノワ以外、存在しない。
例え、それがプラント国民へ投げかけられたとしても、
それを問いとして受け取る者がどれだけいるだろう。
何故なら、

「恐らく、根拠はひとつ。
ラクス様のご判断だから、だ。
それを、誰も疑わないからだ。」

プラントには問いそのものが、
存在しないのだから。
問いを国民が求めていないのだから。
問いよりも、
その先の思考よりも、
何よりも先に答えが欲しい。
2度の戦争という混迷の時が生み出した
浮遊感を伴う漠然とした不安により、
人々は確固たる確かさを渇望していたのだ。
そして、2度の大戦において正義を示したラクスに従えば
恒久の平和の中で生きていくことができるのだと
信じて疑わなかったのだ。
しかし、それは信じる対象がデスティニー・プランからラクスの言葉へと変わっただけで、
構造的は変化は何も無い。
先の戦争以前から、 プラントの人々は求めていたのだ。
絶対不変の確かさを。
そして、生きる聖書としての ラクス・クラインを。

「だからなぁ、エレノワ。」

ニコライは苦味を含んだような笑顔を向けた。
それは、そんなプラントを作り出した主体者としての
自責の念に駆られた表情だった。

「エレノワのような人材が、
今のプラントには必要なんだと、
私は思うのだよ。」

自ら問いを立て思考し、
答えを導き出す。
導き出した答えを過信することなく、
他者と擦り合わせて 拠り合わせて 答えの正当性の奥行きを創っていく。
ラクスの言葉だけを唯一の正しさとして拠り所にするのではなく、
自らの手で正しさを見つけ出していく強さが、
今のプラントには欠けているのだから。
それをラクスは示そうとしているのだから。
そして国民の多くはそのメッセージに気づくことさえ、
出来ないのだから。

ニコライの言葉に恐縮しつつも素直に喜びを感じる自分に驚きつつ、
褒められることを素直に受け止めることが出来ないエレノワは
視線をPCのディスプレイに移した。

――ミーア姉さんだったら、
   チューリップみたいな笑顔で お礼なんか言っちゃうんだろうな。

そんなことをぼんやりと考えていたエレノワの視界に入ってきたのは、
大地の女神・・・とは形容できない程泥まみれになった
それでも太陽のように光を注ぎ続ける
オーブ首長国連邦代表の姿だった。



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