5-14 独立自治区ソフィア
イザークは、PCの画面に現れた速報を目にした瞬間、
眉間に皺を寄せ、
その皺が深くなるのにそう時間はかからなかった。
イザークの横から覗き込んだディアッカが、
速報のトピックスを読み上げた。
その声色は真っ平であった。
「独立自治区ソフィアの独立を下院議会が承認。」
トン、トン、トン、トン、トン・・・。
イザークがデスクを指でタップするリズムが俄かに早くなるのを見逃さず、
ディアッカは席を立った。
――先ずはエスプレッソだな。
備え付けの棚を開いてずらりと並んだキャニスターを一瞥し
ディアッカは比較的アロマが柔らかい豆に手を伸ばした。
蓋を開けると同時に広がる香は、何処か甘くまろやかで
誘われるように瞼を閉じ、味わいたくなる。
が、そんな悠長なことは言っておられず小さく溜息をつくと、
ディアッカはそれをメーカーにセットした。
そこへ、
「失礼します。」
「調度良かった、お前もどう?
エスプレッソ。」
「いや、俺は、」
「いつものブラックね。了解。」
やってきたアスランの言葉の先を読んで
ディアッカはコーヒーカップを取り出した。
アスランは、ディアッカのなれた距離感にふと肩の力が抜け、
ふっと息を吐きながら答えた。
「あぁ、すまない。」
アスランは入室してすぐに、 イザークとディアッカが纏う空気の微妙な変化に気づいていたが、
変化の原因が何であれ、 有事であってもこの戦友とならば、全力で事に当たれる信頼故の余裕があった。
そのアスランの顔色が変わったのは、
手にしていた起案と資料をイザークのデスクに戻した際に PCの表示を目にした時だった。
アスランはくしゃりと表情を歪めると同時に、口元に手を当て思考を廻らし、
イザークは依然眉間に皺を寄せたまま、デスクを指でタップしていた。
「下院議会で通った・・・か。」
イザークは淹れたてのエスプレッソに口をつけると、
一瞬だけ目を細めたが直ぐに元の硬質さを帯びた表情に戻った。
本来であれば、その柔らかな甘さの中にスパイシーさを隠し持った香りと
蕩けるように染込む深い味わいを ゆっくりと堪能したいところであったが、
やはりそんな悠長なことを言っていられる状況ではない。
それでも、意識をほんの少しだけ柔化するのには十分な働きであった。
これも、ディアッカの腕だ。
アスランはディアッカに小さく礼を言い、一口だけ味わうとカップを置いた。
「結論にはもう少し、時間がかかると思ったんだが・・・、
早いな。」
そう言って、イザークが映し出した上院議会の議事録に目を通していく。
「まぁ、ソフィアにとっちゃ独立したいよな。」
ディアッカはエスプレッソを味わうために閉じていた瞳を開け、
窓の外の流れる雲を目で追った。
独立自治区ソフィアは、大学や研究室、技術開発施設など人類の英知が結集した
プラントを代表するコロニーである。
さらにソフィアは単なる学術都市ではなく、 英知を机上で終わらせるのではなく実践に、
つまり産業に還元している点に大きな特徴があり、
そしてそこがソフィアの最大の強さだ。
最先端の英知と実践が有機的に結びつき
絶え間ない創造を続けるソフィアは、
経済的にも産業的にも目覚しい発展を遂げた。
故に、コロニーでも有数の自治権が移譲され独立自治区に指定された。
それ以降もソフィアの発展の加速度が弛むことは無く、
現在の全世界の都市別成長率は、明らかに他を引き離している。
独立自治区ソフィアは、移譲された権限を十二分に発揮する器を備えていた、
というよりもむしろ、
国家から与えられた器が小さすぎたと言っても過言ではないのが現状であった。
それ程に、 ソフィアの成長はソフィアという地域に豊かさと
国家たる厚みをもたらし、
驚異的な加速度で遂げる発展は、 国家たる影響力をもたらした。
もはや、独立自治区という窮屈な器に閉じ込めておくことが不可能な程、
ソフィアは拡大していたのである。
ゆえに、ソフィアのプラントからの完全な独立は
来るべき時が来たということができるのかもしれない。
しかし、これはソフィアに視点を置いた考え方であり
国益を最優先させた思考回路では別の答えが導き出せる。
ソフィアを失うことは、国益を大きく損なうことになる、
従って、独立は断固認めることが出来ない、と。
「プラントにとっちゃ痛いよな、ソフィア失うのはさ。」
ディアッカはうららかな空の青さに目を細めながら続けた。
「経済的打撃は半端じゃないし、
それに、技術を全部持ってかれちまうからな。」
事実、プラントの優秀な技術者や研究者がより先進を求めて
ソフィアに流れる傾向が近年強まっていた。
ソフィアが独立自治区としてプラントに組しているため
結果として技術は本国に還元されるとの理屈で
、プラントは目をつぶってきた部分も確かにあった。
しかし、ソフィアが独立を果たすとそうも言っていられまい。
そして、イザークにはもう一つ見逃せない点があった。
「ソフィアの軍事産業の発展が異常だ。
自衛費の予算は例年通りだが、
軍事産業を扱う企業への融資の額が年々増加しているのは気になっていた。」
イザークの言葉をディアッカが引き継ぐ。
「独立の準備って、こと。
周到だねぇ、バレバレだけど。」
そこにアスランが言葉と思考を加える。
「だが、良いカードになることは確かだ。
現に、ソフィアの成長率を下支えしただけでなく
独立否認に対する切り札の武力行使に、現実味とインパクトが増す。」
イザークは米神を解すように指を当てた。
「プラントはナチュラルに対する敵対心を抱いたことがあっても、
同胞であるコーディネーターにそのような姿勢を向けたことが無い。
むしろ、同胞であるという結束で結ばれていた。」
ナチュラルからの差別と迫害が残酷であればある程、
哀しみと苦しみと憎しみの分だけ
コーディネーター同士の結束は強まっていった。
しかし、悲劇から生まれた結束がもたらしたものに
彼等の幸せが含まれていたこともまた事実である。
何故なら、プラントという楽園で穏やかな暮らしを営めるのは
コーディネーターの協力と尽力無くば実現しえなかったのであるから。
「だからこそ、武力酷使というカードの力は絶大だ。
仲間を討つことなど、出来ない。
政治を司るのが軍人でないのだから、なおさらだ。」
そう言って、イザークは口を結ぶと
エスプレッソを舌で転がした。
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