4-6 Freedom trail
「お話を、いたしましょう。」
カリヨン及び調査艦がプラントに帰還してから3度目の夜が明けた後、
突然のラクスの一声によって今彼等は施設内に設けられた議長専用の特別室に招かれていた。
最高級ホテルのスィートルームを彷彿とさせるその一室は、
議長が出国前や帰国後の休息や有事の際の滞在を目的として設置されている。
そのため使用頻度は極めて低いものの、
そこかしこのインテリアにはラクスのセンスが窺える。
「どうぞ、お召し上がりくださいな。」
そう言ってラクスはカップケーキをこんもりと盛った皿をテーブルの中央に置いた。
カップケーキにはしっとりとしたアイシングがあしらわれ、
側面にちらつくレモンの皮の欠片から爽やかな香りが漂っていた。
が、それを目の前にして男3人は手を伸ばすのを躊躇う。
「お気持ちだけ頂戴いたします。」
イザークは眼前に出されたエスプレッソにも手を触れず、丁重に断り、
「左に同じ。」
ディアッカは肩を竦め軽くかわしいくて。
と言うのも、2人は食べ物はおろか飲み物さえ受け付けることが困難となっていたからだった。
「キラは今何処へ?」
アスランはラクスがミルクを勧めようとする手をやんわりと断り、
ブラックコーヒーに口をつけた。
その決まりきった動作にラクスは小さく笑みをこぼすと、
朗らかな声で答えた。
「キラは今、ドクター・シェフェルの元で精密検査を受けておりますわ。」
――だからこの時間に俺たちを呼んだのか・・・?
ラクスの行為は全て、ラクスの望んだ結果である。
故に、アスランはラクスの言葉の表面には現れない考えを読み取ろうとする。
それがキラの望みへと繋がるのだと信じて。
ラクスはダージリンティーを注いだ華奢なティーカップをソーサーに戻すと、
真直ぐイザークとディアッカを見据えた。
「どうか、この時間だけは、個人としてお話くださいませんか。」
「クライン議長、そういう訳にはっ。」
すかさずイザークは異を唱えたが、
ラクスは長い髪を揺らし
「お願いいたします。」
ゆったりと瞼を閉じた。
その一連の動作には確かに議長としての威厳を感じさせた。
――だから苦手なんだ、この女はっ。
聡明でありながら理解の範疇を飛び越えた言動と取る彼女に
イザークは逆らい難い何かを感じていた。
故に、折れるしかない。
「わかった。」
その様子を隣で窺っていたディアッカは、片側の眉だけ下げ肩を竦めて軽い返事を返す。
「俺はかまわないぜ。」
「ありがとうございます。」
ラクスはゆったりと頷き、たおやかな微笑みを浮かべた。
「お2人は、御覧になりましたのですね?」
あたたかな春の空を彷彿とさせる双眸を向けたラクスの言葉は、
如実に確信めいていた。
「何を?」
故にディアッカはあえて問い返す。
その澄んだ瞳の奥にある真意を、言葉に変えさせるために。
「フリーダム・トレイルのこと、ですわ。」
イザークとディアッカに俄かに緊張が走り表情が硬くなったが、
もはやそこから逃れる事無く、
彼等はそれ自体を受け止めていた。
彼等の強さを見て取ったラクスは微笑みを浮かべる。
そこにアスランが表情を微かにゆがめ、言葉を挟む。
「ラクスっ。」
ラクスはアスランへ視線を向けると淀みなく理由を述べた。
何故、メンデルの事実を記録したファイルの名前を明かしたのか。
アスランがその名を敢えて拾い上げず、“無題”としてきたのにも関わらず。
「事実だから、ですわ。
あのファイルに記されていたことも、
メンデルで行われていたことも。
そして、“生命”が誕生したことも。」
「しかしっ。」
ファイルの記録の断片を整理する作業の中で浮かび上がったキーワード、
“Freedom
Trail”。
それをアスランが見逃すはずはなかった。
しかし、その名から連想されるものの奇妙な偶然の重なりが
まるで生まれる前がら定められ逃れられぬ、宿命のように感じられた。
だからアスランはそのファイルも、あの計画も“無題”として名づけなかったのだ。
名づけることで、当時の未来である現在がその結実を規定してしまうような
不吉な予感を抱いたからだった。
つまり、キラを生み出す軌跡が、
未来へ繋がる橋が断絶したコーディネーターの自由への軌跡となることを。
メンデルで行われた全てが、
自由への軌跡として肯定化されることをアスランは拒んだ。
「名は、名でしかありませんわ。」
それはラクスがミーアに示した、変わらぬ真実であった。
それでも何か言いたげなアスランは、
イザークとディアッカを目の前に言える筈の無い言葉を飲み込むしかなかった。
そのやり取りを冷静に観察していたイザークの言葉に、
アスランは言葉を失う。
「キラ・ヤマトのことか?」
「そうですわ。」
ラクスは強く迷わず、頷いた。
「これで納得がいった。」
そう言って、イザークは鋭くも篤い視線をアスランに向けた。
それを引き受けるように、ディアッカが言葉を加えていく。
「なんでお前が、オーブでケイと遭遇してから、
即行メンデルの調査にのりだしたのか。
お前の焦りっつーか、危機感っつーか、そういうの?
尋常じゃなかったし。」
イザークは腕を組んだまま眉間に皺をよせ、息を吐き出した。
「そもそも、仮にケイがキラ・ヤマトのクローンであるとして、
何故キラ・ヤマトであるのかが腑に落ちなかった。」
オーブで提示されたキラとケイの音声分析結果のデータや、
あらたにアスランによって提示されたケイの姿を、
その場にる誰もが脳裏に描いた。
そして行き着く結果は同じであった。
ケイはキラのクローンである、と。
その前提に基づき、イザークは話を進める。
「確かにMSパイロットとしてはずば抜けたセンスを持っているが
それだけではクローンの存在事由には根拠が薄い。
さらに、ケイの年齢、つまり造られた時期とキラ・ヤマトが戦場に出た時期を逆算してもつじつまが合わない。
奴の能力が世に出る以前にケイは造られていることになる。」
「それに、」
ディアッカは頭の後ろで組んだ腕を解くと、硬い笑いを浮かべた。
「偶然にしちゃ、出来すぎてるだろ?
フリーダムのパイロットはキラで、
エレウテリアーのパイロットはケイで。
“自由”って名づけられたMSにのる2人は容姿も声も瓜二つ。
それで、“フリーダム・トレイル”だろ?
繋がってないって考える方が不自然だ。」
ディアッカは今にも全身が粟立ちそうになるのを押さえ込むように、
膝の上で硬く両手を組んだ。
さらにイザークが確信めいてアスランに向かって言葉を吐く。
「ケイが存在し、メンデルで今もなお何物かが動いているということは事実で、
それとフリーダム・トレイルが無関係であるはずかあるまい。
それに最初に気づいたのは、
貴様だろう?アスラン。」
アスランはすっと視線を下げて、無言の肯定を示した。
最初は不確かな確実性を勘付いた、
それだけだったのに、
ひとつ、
またひとつと物的証拠と状況証拠が重なり
不確かさに実体を付与し
確信へと変貌していった。
その過程において、
フリーダム・トレイルという名に
言いようも無い重力が付加されていくように感じていた。
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