4-2 望まぬ再会
「ルナっ、待てって。」
シンはルナの腕を掴もうと手を伸ばしたが、
それはしなやかに逃れていく。
「入国の許可が下りるまで、
部屋で待機だって言われただろっ。」
命令を無視して突っ走るのは、いつもシンで。
それを止めるのは、いつもルナで。
だが、今日ばかりはその役割が逆転していた。
ルナは曲がり角に差し掛かると身を隠し左右を確認すると
長いストライドで廊下を一気に駆けていく。
シンは荒っぽくルナの腕を掴んで、多少強引に身体を向けさせた。
「待てって。」
シンは、イザークとディアッカの表情がいつになく硬いことから事の重大さを感じ取っており、
だからこそ慎重になるべきだと感覚的に判断していた。
同様のことをルナも感じていたが、それがなおさらルナをメイリンの元へと急がせた。
「待ってなんていられないわっ。
だって、メイリンがっ。」
ルナは譲らぬ意志を示すような鋭い視線をシンに送ったが、
その瞳は不安と悲しみで揺れていることをシンは知っていた。
そして、メイリンを大切に思うルナの気持ちがわかってしまう分、
シンの心も揺れる。
シンの手の力が微かに緩んだ瞬間に、
ルナはすっと腕を外すと停泊中の調査艦のハッチへと向かった。
足音を潜めて艦内に侵入すると、
程なくして豪快な笑い声が響いてきたことにシンとルナは驚いて顔を見合わせる。
その声の中には聞き慣れた仲間たちの声も混じっており、
2人は微かに胸を撫で下ろした。
不安は杞憂であったと笑いあえるのだと、
そう信じようとした矢先だった。
長い廊下の先の一室に入っていく、イザークとディアッカが見えた。
入室したのを見計らって廊下を横切ろうとした瞬間、
ディアッカが慌しく部屋を出てきたのでルナとシンは再び死角に身を隠した。
と、ディアッカの声が響いた。
「おいっ、誰かドクターをっ!!」
その声は、普段の飄々とした声色とは明らかに異なるほど張り詰めたもので、
瞬時に“事が起きたのだと”シンとルナは嗅ぎ取った。
駆け出しそうになるルナの手を、咄嗟にシンは掴んだ。
「シンっ!離してっ!!」
シンの足は根が張ったように動かず、
その手は強く握られ解かれる気配も無い。
何故ならシンは“事”の真相まで、嗅ぎ取っていたから。
――多分・・・。
だから、ルナを近づかせることを本能的に拒んだのだ。
痺れを切らしたルナが強引にシンの腕を払おうと身体を捻ったその時、
ルナとシンの視界に血相を変えたアスランが目に入った。
「「アスランっ?!」」
アスランはその懐かしい声に一瞬目を見開いたが、
すぐに平静の表情を取り戻した。
その一瞬の動作に込められた意図に、
シンとルナは気が付かなかった。
「何をしているっ。
別室で待機のはずだろうっ。」
その口調は戦場で耳にするように厳しく硬質だった。
アスランは医務室の方へ視線を向けながら言葉を続けたが、
「今は戻って・・・」
それはくしゃりと表情が歪んだ瞬間に途中で途切れ、
「遅かったかっ・・・。」
怒りと悔恨に満ちた言葉を漏らした。
その言葉にシンは微かな引っかかりを覚えたが、
「シン、ルナを連れて今すぐ戻れっ!」
アスランから強い口調で発せられた命により思考は止まり、
引き渡されたルナの身体を支えるだけで精一杯だった。
納得がいかない表情を浮かべるルナをシンに託すと、
アスランは医務室の隣室へ駆けた。
そこにはアスランの予測どおり、
血の海に浸かったコールマンが横たわっていた。
その正面には身体を深紅に染めながら車椅子に座るメイリンがいた。
その中央の位置で、イザークが白服を深紅に染めながら状況確認を行っている。
脇には応急処置を施そうとしたのであろう、医療器具が不毛にも散乱している。
ディアッカはメイリンの状況を慎重に確認しつつ、
安全な場所へ移動させようと車椅子のハンドルに手を掛けていた。
状況を視覚が的確に捉え判断していく思考と同時に、
アスランの脳裏に甦ったのは数分前のアンリの一言だった。
『ドクターは、疲れているだけならいいんだけど・・・。』
その一言でアスランの中で瞬時にひとつの仮説が弾き出され、
不確実な予感が実体を持って迫った。
その予感が眼前で具現化し、アスランの中で怒りと悔恨の感情が渦巻く。
――何故、止められなかったっ!!
何故、気が付かなかった・・・。
その表情をイザークとディアッカは見逃さなかった。
しかし今は事態の収拾と、何より生存者であるメイリンの保護が最優先であるため
詮索を打ち切り身体を動かしていった。
「イザーク、俺はメイリンを連れていくぜ。」
と、ディアッカはメイリンの車椅子を転回させ、
それを確認するとイザークは鋭い声をアスランに向ける。
「あぁ、頼んだ。
おい、貴様も突っ立てないで手伝え・・・。」
イザークの言葉は、アスランの視線の先の予期せぬ人物の存在によって途切れる。
ルナは、開瞳したまま硬直する。
視界の先に映ったのは紅く染まったメイリンだった。
そしてメイリンを染めた、
良く知る人物。
ルナの全身の血液が一気に凍りつく。
身体とは切り離された精神から叫びだしたい衝動が迸る。
それを間一髪で制したのはアスランの一言。
「大丈夫だ。
おそらくメイリンに外傷は無い。」
それは事実だけを告げ、
メイリンの生存の確保という最低限の慰めしかもたらさなかった。
なおも振り切れそうになるルナを繋ぎとめたのは
繋がれたシンの掌だった。
そしてアスランの一言によって、
シンが先程抱いた引っかかりが疑念へと変貌する。
アスランはこの状況の核心を知っていると。
ルナは、人工的に漂白されたように血色を失った顔を、
震える両手で抱え込んだ。
戦場で数え切れぬほどの死体の山は目にしてきたつもりだった。
それでも、そこには屍の存在事由を正当化させる“戦争”という理屈があった。
しかし、眼前の状況はそれには決して当てはまらない。
正当な理由を見出すことの出来ないその存在が、
衝撃となって容赦なくルナを襲う。
さらにルナを追い詰めたのは、
その状況に微塵も反応を見せない妹の姿だった。
「・・・メイリン・・・?」
メイリンの蒼白の顔面に返り血が滲み、
愛らしい大きな瞳はガラス球のように人工的で、
ラベンダーのルージュを引いたような唇は力なく結ばれている。
その姿があまりに美しく、
狂気じみて映った。
「メイリン・・・、ねぇ・・・。」
ルナがその名を呼んでも、まるで知覚していないかのように何の反応も示さない。
その異常性を受け入れまいとするように、
ルナはメイリンの肩を揺すって名前を呼んだ。
「メイリンっ!メイリンっ!」
「ルナ、止せって・・・。」
シンは強引にルナを背後から強く抱きしめ、
メイリンから引き離した。
「離してっ!何でっ!!」
長い四肢をバタつかせながら拘束を逃れようとするルナを、
シンは押さえ込むように抱きしめ続けた。
「シン・アスカ、
ルナマリア・ホークっ!」
イザークのその場を制するような声が、
室内の空気を劈いた。
2人はぴたりと動きを止める。
ルナは、真摯に向けられたイザークの瞳の、涼
やかなアイスブルーの色彩に熱を感じた。
普段は憎たらしい程冷たく映るその瞳が、
今は痛いほどあたたかくルナを射抜く。
――そんな目、
今は、見たくない・・・。
ルナは、その熱に溶かされるように大きな瞳に涙を溜めた。
――だって、本当になっちゃう・・・。
メイリンが、
今が、
本当になっちゃう・・・。
メイリンへ顔を向けると、
そこには変わらずに、
変わり果てた姿のメイリンがあり、
ルナは力なく首を振る。
イザークはシンへ一瞬視線をやると背を向けた。
「所定の場所で待機だ。」
そう言い残して黙々と作業を開始したイザークの背中を見て、
ルナは大粒の涙を零し、
震える唇を両手で押さえた。
指の隙間から漏れる嗚咽も、
頬を濡らしていく涙も、
止めることはできなかった。
シンは先程一瞬向けられた視線に答えるようにイザークの背中に向かって頷き、
メイリンを託す意を込めてディアッカに一礼すると、
ルナを抱き寄せるようにその場を離れようとした。
その足は一瞬、
アスランの前で止まる。
シンはアスランの言葉から抱いた疑念を視線に込めてぶつける。
――吐いてもらうからなっ、全部。
逃がしはしないと、
今にも噛み付きそうな程のシンの視線を、
アスランは受けとめることしか出来なかった。
答えることは叶わない、
それを知るアスランにシンの険しくも真直ぐな視線は深く突き刺さった。
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