4-1 束の間
画面越しに、イザークの厳しい口調が響く。
「では、入国及び入港許可が下るまで、
そのまま待機していろ。
」「了解した。」
そう返答したアスランの表情も声色も至極穏やかで、
逆にイザークは面食らった。
数日前、
カリヨンからの通信で目にしたアスランは深紅に染まり、
表情は蒼白で生気を感じられなかった。
その後、数度今後の動きと報告についての通信を通して顔を合せた際に
時間的に不自然な程やつれた姿を見ていただけに、
イザークにとってはむしろ眼前のアスランの表情に違和感と素直な安堵を覚えていた。
イザークの脇に控えていたディアッカは微かに口角をあげた。
――姫さんに何か言われたかぁ?
どうやら、ディアッカはお見通しのようだ。
イザークは安堵と違和感の混ざり合った感情をそのままに、
「ふんっ。」
と息を吐き出すとアスランの瞳を捉えた。
――全てを吐いてもらうからなっ!!
イザークの言葉にしない声は、
眼前のアスランにも隣のディアッカにも筒抜けだった。
共に戦場を翔けたからこそ伝わるその声は、
共に背負う意思を示していた。
それを受け取るアスランは身体が軽くなるような浮力を感じた。
戦友という存在の大きさを、
身をもって再認識する。
「さぁ、こちらをお羽織下さいな。」
ラクスはザフトの白服をふわりと広げると、
キラの肩に掛けた。
キラは医務室の備え付けの車椅子に身を預けるように座っていた。
キラはこの数日間という時間では不可能な程やつれ、
座っていても体型の変化が見て取れる程であった。
おそらく弛緩しきった筋肉により自らの身体さえ支えることもままならず、
そもそもその意識すら持てない状況であろう。
そのキラを支えていたのは、
他でもないラクスであった。
ラクスは一点の曇りも無い笑顔を綻ばせながら、
返答を示さないキラに呼びかけ、
歌を届け、
祈り、
抱きしめ続けた。
キラの精神状態が凪いだように落ち着きを保っているのは、
ラクスが常に寄り添っていたからだった。
「最後に帽子を・・・。」
と、ラクスは両手で帽子を抱えると小首をかしげた。
「あらあら?」
キラの髪がひと房、外側にはねていたのである。
ラクスは帽子で口元を隠すようにくすくすと笑みを零し、
ゆったりとした動作でブラシを取り出した。
「隊長さんが寝癖頭では、
可笑しいですわね。」
ラクスは白魚のような滑らかな手で外側にはねた髪を取ると、
ゆったりとリズムを刻むように髪を梳かし始めた。
「いつも、キラは
わたくしの髪を梳かしてくださいましたわね。」
ラクスは懐かしそうに瞳を細めた。
ラクスが大切に紐解いた、
穏やかな日常という宝物。
その光景が、
当時の空気が、
ラクスを通して無機質な部屋いっぱいに広がり
やわらかな光のような優しさで包まれていく。
「キラはいつも優しく、
梳かしてくださいましたわね。
痛いと思ったことなど、
ありませんもの。」
キラの髪を梳きながらラクスは、
キラの細い指や大きな掌、
その熱が自身の髪に甦ってくるような感覚を覚えた。
あの時のキラに、
目の前のキラに、
ラクスは微笑みを返した。
その時、医務室の扉が開いた。
扉を背にしながら、ラクスは来訪者へ向かって声を掛けた。
「調査艦へお戻りいただいて構いませんわ。
こちらはお任せくださいな。」
と、ラクスはブラシを置きキラに帽子を被せ、
扉の方へくるりと車椅子を回転させた。
現れた、ラクスの花のような微笑みと安らかに眠るキラに
アスランは安堵の笑みを零す。
こうしてアスランが自らのすべきことに専念できた理由は、
ここにある。
「ありがとう。」
アスランは軽やかに身を翻すと、
調査艦へと足を速めた。
入国及び入港の事務手続きという限られた時間に、
アスランは調査隊の状況を確認していった。
メイリンとコールマンを除く全員がダイニングに集まっていた。
ダイニングは香ばしいコーヒーの香りで満たされて、
おのおのの前のカップにはコーヒーがなみなみと注がれていた。
そして、彼等全員の目の下には大きな隈がくっきりと浮かび上がっていた。
その不思議な光景にただただ驚き言葉を失っているアスランに、
ヴィーノが泣きついてきた。
「アスランっ!!
オーブはいつもこうなんスかぁ〜?」
何を指して言っているのか飲み込めず、
きょとんとした表情をしているとすかさずアンリが言葉を補う。
「報告書の作成が、厳しくて厳しくて・・・。
みんな徹夜の連続だったらしいんだ。」
と、それに部分的にしか参加できなかったアンリは肩を竦めた。
「もう、肌はボロボロだし、
肩は凝るし。」
と言うマレーナの肌はノーメイクでも透明感を保ち、
肩をくねらす拍子に豊かな胸が上下した。
――報告書の修正を厳しく要求したつもりはなかったが・・・。
事実、普段エンジニアとして働く面々は報告書の作成に不慣れであろうはずなのに、
コル爺からあげられる報告書の質は高く、
国防本部で事務作業を行うアスランが違和感を抱かない程であった。
――と、すると。
アスランはちらりとコル爺の方へ目をやると、
コル爺は親指をぐっと立ててウインクしていた。
その意味をアスランは瞬時に理解した。
『手ぇ動かしてりゃ、気持ちも落ち着くってもんじゃ。』
事故直後、仲間2人を亡くし2人を失った調査隊は虚脱感に襲われていた。
直接的に問題を解決することが不可能な状況下において彼等のために出来ることとは、
彼等に無茶苦茶で途方も無いような量の作業を振り分け
がむしゃらに手を動かすことだとコル爺は判断した。
規則的な活動が健全な精神状態を保つことに一役かい、
さらに我武者羅に手を動かすことで負のスパイラルに陥る思考の入る隙間が無くなる。
それが彼等のケアに繋がることをコル爺は経験的に知っていたのである。
事実、虚脱感で満たされていた艦内の空気は一変していた。
当時に比して彼等の肉体的な疲労はピークに達しているように見えたが、
精神状態は逆に良好で、
仲間同士の結束は高まり、いい汗をかいたような達成感に満たされていた。
欠伸をかみ殺して滲んだ目元をこすりながら熱いブラックコーヒーをすする仲間たちに、
アスランは深々と頭を下げた。
「ありがとう、みんな。」
その行為と言葉に、調査隊の面々は一斉に驚きの声をあげ、
アスランを囲む。
「何言ってるんですかっ!
顔、上げてくださいよっ!!」
ゆっくりと面を上げたアスランは、ひとりひとりの顔を確認していく。
――俺は、良い仲間に恵まれている。
自らの作業に集中することができたのも、
今、ここに自分があるのも、
彼らがいて、彼らががんばっていたからだという事が、
他者と共鳴するように認識されていく。
――そしてこれからも彼等と共に生きていきたい、
この世界で。
2隻の艦は、帰還という安堵がもたらした、
束の間の穏やかさに包まれていた。
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