3-4 浮力
ドクターは横たえられたキラの手首を取り、 続いて瞳孔を確認した。
「おかけくださいな。」
ラクスがアスランに腰を下ろすよう促すと、アスランは首を横に振った。
今そうすれば二度と立ち上がれなくなる、
そんな恐怖に襲われたからだ。
安堵を本能的に求める一方で、
それを頑なに遠ざけた。
それが今の自分を突き崩すことは容易に想像がついた。
イワン・シェフェルと名乗ったドクターは、
ドクター・コールマンから送付されたメイリンの容態とキラの容態を比較し、 髪を掻き揚げた。
「本来であれば、すぐにでもザラ准将もお休みいただきたいところですが・・・。」
と前置きをし、
ドクターシェフェルはアスランに向き合った。
キラの傍らに跪き、冷たくなった掌を温めるように包み込むラクスも
アスランへ視線を移す。
「何があったのか、お話いただけますか。」
アスランは思案するように口元に手を当て、
ニ三度瞬きすると、
ゆっくりと口を開いた。
「メンデルは、想定していた以上に人為的な荒廃が激しく、
調査に着手する以前に修復が必要な状況だった。
ハードとソフトの復旧を同時並行的に進めていた最中、
今回の事故が起きた。
現場となった研究室では3人のSEがシステム復旧を行っていた。
そこへ銃声が聞こえ、キラと一緒に駆けつけると、
ダニエル・カサノヴァが頭部を一部損傷した状態で倒れており」
淀み無く、
「その横でクォン・チャンイクがメイリン・ホークへ銃口を向けていた。」
感情を排して語るアスランは狂気じみて映った。
それが仲間を護るために取った、自己を保つ術であった。
「その時点で、メイリンは生存に問題は無かったが意識は錯乱しており、
程なくして今度はキラが錯乱状態に陥った。」
ラクスは祈るように、 キラの指に自らの指を絡めた。
「その後、クォンが咽喉元にナイフを突きつけ自害。
その後のことはドクター・コールマンの報告の通りです。」
何かを押さえ込むように、 アスランは口をつぐんだ。
その報告は経緯であり、肝心の原因が抜け落ちていた。
それこそが、2人を死に駆り立て、 キラとメイリンの精神を蝕んでいるものであることを、
それをアスランが故意に伏せていることを、
ラクスは読み取った。
「わかりました。」
ラクスは頷くと、ドクター・シェフェルへ視線を移し、
「キラをお願いいたします。」
と、アスランに目配せをして医務室を後にした。
扉が閉じるのを確認すると、アスランは先手を打つようにラクスに言葉をかけた。
「少しだけ・・・、待ってくれないか。」
何を・・・と問わずとも、
ラクスはその真意もアスランの状況も推し量ることができた。
――アスランも、キラと同じ、
それに苛まれているのですね・・・。
覚悟の光を宿したラクスの瞳から、アスランは視線を逸らした。
――キラを頼むと・・・。
何も言わず、言えず・・・。
俺は・・・。
「無責任でも、
身勝手な立ち振る舞いでもありません。」
ラクスの凛とした響きに、アスランはゆるゆると視線を戻す。
まるで視線にも重力があるように感じる。
「アスランは、果たそうとしています。
そして、護ってくださいました。
今も、護っているのでしょう。
おひとりで。」
「ラクス・・・。」
――意識を緩めるな。
アスランは自分を戒めるように、
意識を繋ぎとめるように、
爪が食い込むこともいとわず拳を握り締めた。
「キラのことは、お任せください。
わたくしが、キラの傍におります。」
ラクスの言葉によって、 アスランは俄かに体を軽くする浮力を感じた。
その浮力によってゆらゆらと蜃気楼のように霞みそうになる意識を逃がさぬように、
握り締めた掌の中に閉じ込めた。
ラクスはうららかな春の空のように、
蒼く澄んだ瞳でやわらかく微笑んだ。
「わたくしが、キラを護ります。」
そこに揺るぎない覚悟のある、
言葉だった。
「ありがとう・・・。」
アスランは、
掌を握り締めるその力を
微かに緩めた。