3-37 怒れる秘書官



「どういうことですかっ!!」

同じ頃、カリヨンの政務室では新米秘書官エレノワの荒げた声が響いていた。
常と変わらぬうららかな笑顔を湛えながらラクスは繰り返す。

「ですから、この先1ヶ月の公務をお休みしたいと
申し上げております。」

エレノワは、経歴も役職も尊敬の念も吹き飛ばして怒鳴った。
「無理ですっ!!
と言うより、撤回してください。」
エレノワは軽蔑の念が湧き出そうになるのを誤魔化すように怒りの感情を露にし、
その感情をどう処理してよいのか解せず、硬く瞼を閉じた。
ニコライはエレノワを制すると、ゆったりとした口調でラクスに問うた。
「それは、お気持ちが、でしょうか?
それとも、現実に、でしょうか?」
つまり、1ヶ月公務を休むことを文字通り希望しているのか、
それともそれ程の気持ちであるのかということを確認しようとしたのである。

「両方、ですわ。」

ラクスは曇りない真直ぐな瞳に、ニコライとエレノワを映し出していた。
その澄んだ瞳の存在が、エレノワにラクスの覚悟の度合いを物語っていた。
しかし、それで納得できる筈が無く、
一方でそれを無視することも出来なかった。
故にエレノワは感情を腹に押し込めながらも、その訳を問うた。
すると、やはり答えは先日と同様だった。

「愛するひとが病床に伏せております。
わたくしは、キラの傍にいたいと望みます。」

その答えに反駁したのはエレノワではなく、ニコライの方だった。
「現在、プラント独立時地区ソフィアが
プラントからの完全な独立へ向けて活発に動いていることはご存知ですね。」
“ご存知”とは、ただその事実を知っているだけではなく、
その政治的意味をも含意していることをラクスは重々承知していた。
「はい。」
ニコライは確認するようにゆったりと頷き、言葉を続けた。
「ではお伺いいたします。
何故、今、おおやけよりもわたくしを優先させるのでしょうか。」
ラクスはニコライのゆったりとした問いに呼応するようなテンポで、
凛々しい微笑みを浮かべて答えた。

「それは、
わたくしが望むと、
決めたからです。」

エレノワは机を叩きそうになる拳を必死に押さえ込みながら、声をあげた。
「それでは納得がいきませんっ!!
私だけではありません、
おそらく国民も同様の思いを抱くと思います。」
エレノワの言葉を受け止めながらも、
ラクスは自らの意志を映し出したような眼差しを決して曲げずに告げる。

「わたくしが望むと決めた、
それが全てですわ。
そして、お伝えできることも、今は。」

自らの席から立ち上がらんばかりのエレノワを制するようにニコライは、
「わかりました。」
承諾の返答をした。
「ニコライさんっ!!」
ニコライの返答に食って掛かろうとするエレノワに視線を向けず、
しかし配慮をしながら、ニコライもまた一歩も引けをとらない眼差しをラクスに向けた。
「ですが、お気持ちだけです。
1ヶ月公務を休むことは了承出来かねます。」
ニコライの言葉に、エレノワは安堵と無念さの入り混じったような表情で頷いた。
が。
「しかし、こちらで極力ご意向に沿えるように尽力いたします。」
「ありがとうございます。」

その言葉を皮切りにニコライは具体的な提案を並べ、
ラクスの意向を反映したスケジュールを着々と組んでいく。

「ちょっと待って下さいっ!!」

エレノワは肩で呼吸をしながら、ラクスとニコライの動きを止めた。
「ラクス様、秘書官としてではなくひとりの人間として、聞きます。」
エレノワの真直ぐな視線に答えるように、
ラクスは姿勢を正し向き合った。
「はい。」
エレノワはすぅっと小さく深呼吸をした。

「国よりも、恋人をとるの?」

それは秘書官に着任して以来ずっとエレノワが胸に抱いていた疑問だった。

――議長になると決断したのは、ラクス様なのに・・・。

ラクスは、自らの言葉で自らの思いをぶつけるエレノワを好ましく思い、
内側から湧き上がるような笑みをこぼした。
エレノワはその笑みの意を解せず、
むしろあまりの美しさに嫌悪にも似た感情と、
言葉では無い強い説得力を感じ取った。
“ラクス様”という理由で、
全てを許すことはエレノワには出来ない。

「どちらも、大切です。
ですから、わたくしはキラの傍にいたいと望み、
そしてそれを選びました。」

それまで硬質だったエレノワの眼差しが、
心なしか丸みを帯びた。
エレノワは唇をやんわりと引いたまま、思案するように意識を内側に向けた。
ニコライはエレノワとラクスのやり取りを目を細めながら見守り、
ラクスは微笑みを浮かべながらエレノワの言葉を待った。

暫くして、漸くエレノワは口を開いた。

「わかったわ。」
エレノワらしい、潔い声だった。
「それが、“ラクス”というひとなのね。」
その表情は何処かすっきりとして、
だが何処かで、収まらぬ思考と感情を飲み込んでいた。
「でも、私にはわからないことも、あるわ。」

――私なら、おおやけを取る。
   もう、失いたくないから。
   こんな思いは、私で十分だから。



エレノワは、普段から神経質で硬いイメージを抱かれがちだった。
その仕事ぶりは隙が無い程に徹底的で、
その情熱が何に裏打ちされているのか知らないラクスではなかった。
「はい。」
ラクスはエレノワの気持ちを受け止めながらも引き出していく。
ラクスの発した返事ひとつからも、エレノワは感じ取る。
このひとは特別なのだと。
その力が、今のプラントには不可欠であるのだと。

「私には私の考えがある。
ラクス様の言葉は理解できても、
感情では理解できない。
だからと言って、拒むこともしたくないというのが、
本音よ。」

ラクスはエレノワに尊敬にも似た感情を抱いた。
自らの考えを自らの言葉で語ることの難しさ、
恥ずかしさ、
その行為へ踏み切る勇気と潔さ。

――心強いですわ・・・。
  今、必要なのは、あなたのような方なのですよ。

「ですから、秘書官としては意向を尊重しますが
国益を損なうようなことは全力で防がせていただきます。
私は、プラントの秘書官です。」
そう言い切るエレノワの若々しい実直さに、ニコライは目を細めた。
「私は今後とも厳しくいきますのでご覚悟下さい。」
エレノワらしいきっぱりとした思考と物言いに、
ラクスはゆったりと頷くと右手を差し出した。

「はい。よろしくお願いいたします。」

この時エレノワは初めて、ラクスという人に触れた気がした。



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