3-36 王子様のキス
今日もメイリンの眠る医務室には、
時折ラクスの歌声が響き、
枕元にはアンリが佇んでいる。
この数日、変わらぬ風景。
だが、アンリの表情だけが違っていた。
あの時、突然ドクター・コールマンが医務室を訪れアンリとメイリンを強制的に引き離した。
メイリンの意識はここ数日の内、最も鮮明であったにも関わらず、
意識が錯乱し自傷行為や破壊行動に及んだ訳でも無いのに、
何故コールマンが2人に介入したのか。
アンリはその意図を解せ無かった。
それ以前に、
メイリンの言葉が、
痛くて、
痛くて・・・。
アンリはコールマンの説得にも似た呼びかけを遠くで聞いた気がした。
『今は、ひとりにしてあげましょう。』
――何故・・・?
どうして・・・?
コールマンの言葉も、メイリンの言葉も、
わからなかった。
――わからない・・・?
するとメイリンの言葉がフラッシュバックする。
『わかりあえる、筈が無い。』
――何故・・・?
どうして・・・?
アンリの問いに、アンリの思考はメイリンの声で答えた。
『あなたと、私は、
ナチュラルと、コーディネーターだから。』
答えなんて、出なかった。
メイリンが目覚めた時、
何を話せばいいのかなんて、
わからない。
それでもアンリの足がメイリンの元へと向かったのは、
そこに願いがあったからだった。
ただ、眠り姫の目覚めを祈って。
アンリは静かに眠り続けるメイリンを眼前にして、
彼女の笑顔が虚構であったかのように胸の内のアクチュアリティが霞んでゆく。
それを掴もうとする行為は、
今のメイリンをも現実として受け入れることと等しい。
今ここに横たわるメイリンが、
過去のメイリンを遠ざける。
過去のメイリンを手繰り寄せても、
今のメイリンが遠ざかる。
メイリンを眠り姫のように感じたことは、
遠ざかるアクチュアリティの表れだった。
そしてまだ乾かぬ傷痕が、
時間としての現実にアンリを引き戻す。
その間で、揺れる。
「眠り姫ってこんな感じだったのかな。」
アンリの口から漏れた心の声が、
ぽつりと落ちた。
雪のように冷気を伴った白さに染まるメイリンは動かない。
「じゃぁ。」
メイリンの華奢な掌に、アンリは力をこめる。
「キスをすれば笑ってくれるのかな。
もう一度・・・。」
アンリの鳶色の瞳に膜がはる。
受け取る者も、拾う者もいない言葉は、
行き場が無い筈なのにそこに留まることはなく、
空気に溶けて消えてゆく。
『メイリンを頼む。』
アスランの言葉の意味を受け止めた上で、
アンリは頷いた。
それは単に医務室で治療を施すことでも、
錯乱状態に陥らないよう見張ることでも無い。
それは、今ここに共にあることだ。
アンリとして。
メイリンとして。
アンリは握っていたメイリンの手に指を絡めた。
それがアンリの答えだった。
過去も今も、
目の前のメイリンも、
自己も。
全て離れぬように、
放さぬように。
「メイリン、聴いて。
俺は、メイリンに出会えてよかったって。
今でも、そう思うよ。」
その時、目を凝らさなければ判別出来ないほど微かに、
メイリンの頬に薔薇色が差した。
それは、アンリの声が届いたからなのかは誰も知らない。