3-34 拒絶



「触らないで。」

メイリンは唇が触れ合ったまま言葉を吐き出す。
まるで、そこに存在するアンリの存在を知覚していないように。
それでも繋ぎ留めるように身体を離さずにいるアンリを、
メイリンは突き飛ばした。
ナチュラルの女性では考えられない程の力による衝撃と
僅かな時間差で広がっていく痛みに
アンリは表情を歪めつつも手を伸ばす。

「駄目だっ!!メイリンっ!!」

アンリの言葉に間髪入れず、メイリンは近づく手を叩き落とし
乾いた音が室内の空気を割くように響いた。

「触らないで。」

普段のおっとりとした口調とは打って変わって、
その声色は硬質な鈍さを帯びていた。
怯まずにアンリはメイリンに手を伸ばす。
そうしなければ取り戻せなくなる蓋然性を
経験に裏打ちされた予感がアンリに告げていた。
しかし、その手を止めるように、
メイリンの言葉が突き刺さる。

「・・・ナチュラルのくせに・・・。」

アンリの中のメイリンの像が蜃気楼のように歪み、
思考が停止する。

――な・・・に・・・?

「ナチュラルのくせに、
私に、触らないで。」

再び発せられた言葉は、
はっきりとアンリの耳に届いた。

「何をっ・・・?」

――アンリはアンリだってっ。
   そう言って・・・、メイリンと俺は・・・。

メンデルの長く冷たい廊下で交わした出会いの握手を、
アンリは思い起こす。
あの時結ばれた手と手は、
“メイリン”と”アンリ”としての出会いを確かに意味していた。
その思考を見透かしたかのように、
メイリンはそれを否定する。

「何処までいっても、あなたはナチュラルで。
私・・・は・・・、コ・・・、コーディ・・・ネーター・・・で。」

メイリンは、コーディネーターという単語が胸で支え、
それを無理やり吐き出す痛みに耐えるように表情をゆがめた。
アンリはその表情に違和感を察知すると共に、
目覚めて初めて見せる人間らしい表情に無意識レベルの安堵を覚えた。

「でも、メイリンはメイリンだろ?」

そこから生まれた僅かばかりの余裕が、
アンリに穏やかさを取り戻させた。
しかし、メイリンは迫り来る何かから逃げ惑うような焦燥感を態度に滲ませる。

「だけどっ、私はコーディ・・・ネ・・・だからっ。
わからないのよっ!!
あなたは、ナチュラルだからっ!!」

メイリンは肩を上下させ荒々しく呼吸をしながら、
悲痛に歪む表情でアンリを睨みつけた。
アンリはメイリンの行為と言葉の根底にある思いを読み取れずにいたが、
それでも今から目を背けずに続ける。

「人種がそう規定するなら、
俺とメイリンは違うことになる。
でも、同じ人間だと、
俺は思う。」

メイリンは緋色の髪を掻き毟りながら頭を左右に揺すり、
アンリはそれをなだめるように、ゆっくりと言葉を紡ぐ。

「だから、俺はメイリンのこと、
もっと知りたいと思う。
わかりたいと、思う。」

「わかり合えないわよっ!!
絶対に・・・っ、
わからない・・・。
わかるはず・・・無い・・・。」

――きっとあなたは、拒絶する。
   軽蔑する。
   私を。

メイリンの言葉に、アンリは揺るぎない視線で答える。

「そんな筈は無い。」

迷い無く言い切るアンリに、
メイリンは哀れみにも似た表情を浮かべた。

「わからないわよ・・・。
だって、ナチュラルと、コーディネーターは、
違うんだから。」

――きっとあなたは、拒絶する。
   存在を。
   だって・・・

「この世界に、いてはいけないの・・・。
許される筈がない・・・。」

――生命が、   
   この世界に生きることを、
   決して許さない。
   コーディネーターという存在を。

「出会いなんて、無かった方が良かった・・・。」

力なく言葉を落としたメイリンは、
小さく首を振り自らの言葉を訂正する。

「出会ったら、いけなかった。
それは、罪だから・・・。」

もう一度伸ばされたアンリの手がメイリンの肩に触れ、
身体中が不適応の反応を示すようにメイリンの体が震え上がる。

「やぁぁぁぁっっっ!!!」

メイリンは叫びをあげ、壊れたおもちゃのように音を立てて震えながら後ずさる。
制御不能となった身体をぎこちなく両腕で包み込むメイリンの表情は、
緋色の髪で隠されていた。
そこから、
言葉が漏れ、
こぼれだす。

「・・・あなたは・・・、
知らない・・・から。
だから・・・。」

クォンの言葉が呪縛となって、

『俺の血に、細胞に、人間の欲望が、負そのものが沈殿している。』

メイリンの思考を支配し、

『汚れ、そのものだ。』

あのファイルに記録された無数の命が矢のように降り注ぎ、
身を突き刺していく。

『生そのものが悪の象徴だと、何故気が付かなかった。』

コーディネーターの夢の名の下に行われた、
数え切れぬほどの死体の生産。
そこを支配していた感情とは、
希望と名づけられた紛れも無いコーディネーターの欲望だった。

――それが、
   私にも、
   流れている・・・。

「ここにもっ!!
ここにもっ!!」

メイリンは身体中をまさぐるように掌を這わせると
破壊衝動に駆られたように、渾身の力を込めて叩き出した。

「ここにもっ!!
全部ぅ!!!」

泣き叫びながら自らを傷つけていく。

「全部よぅ!!
全部に、記されてるっ!!」

アンリはメイリンの言葉の意味に寄り添おうと身を寄せる。

「全部っ!!
細胞にっ!!
遺伝子にぃ!!」

「何を言っているんだ・・・。」

メイリンの悲しみに満ちた絶望は狂気となって、
アンリの思考の展開速度を麻痺させていく。

「負がっ、ここにっ!!」

メイリンは豊かな胸が潰れる程に、心臓を叩く。

「ここに・・・。
汚い・・・。
汚らわしい・・・。」

アンリは、メイリンの言葉がわからなかった。
それでも懸命に伸ばされた感性の触手は、メイリンの苦しみを感じ取っていた。
言葉は交わらなくても、
感情は寄り添いあうことができる、
その信念がアンリの前進を下支えた。

「俺の知るメイリンは、素敵だよ。」

この言葉がメイリンに響かなかったとしても、
届かなかったとしても、
それでもメイリンの感情を手繰り寄せ自らの感情を擦りつけたい。
目をそらさずに、
真直ぐに。

「・・・、ちっ、違っ・・・。」

メイリンは蛇口が壊れたように溢れ出した涙でぐしゃぐしゃになった顔を両手で覆い隠した。

アンリは、知らない。
メンデルの事実も、
コーディネーターの事実も。
そして、それを知っているメイリンを追い詰めているのは、
アンリ自身であることを。

メイリンの存在を肯定することの意味に、
別の意味が付与されていることを、知らない。

受容とは時に、
残酷にも人を傷つけるということを。



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