3-32 ラクスの真実



ラクスは躊躇うこと無く、
キラが居る医務室の扉を開けた。

「キラ。」

ラスクが歌うように呼びかけるだけで、
無機質な室内にあたたかな春風がそよぐように、空気を軽やかにかえていく。
ベッドの隅で、
膝を抱え壁にもたれかかったまま何の反応も見せないキラは、
世界からの隔絶という無言の拒絶を示していた。
紫黒に染まるキラの瞳は果て無き絶望で覆われたように、
一抹の光も宿していなかった。
光の届かぬ場所で視覚は機能しないように、
キラの瞳が眼前のラクスを映すことは無い。

キラの何もかもが、
絶えていた。

もう一度、
澄んだ声でラクスは呼びかける。

「キラ。」

対照的に、ラクスの瞳は春の空のように晴れ渡り、
やわらかな日差しを受けた水面のように煌いていた。
真直ぐに、キラを映して。
そこに絶える事の無い意志を湛えて。

ラクスはキラの手を取った。
人肌のぬくもりを完全に失ったように冷え切った掌を、
愛おしげに自らの頬に当て、
全てを感じ取るように瞳を閉じた。
その冷たさがキラの絶望の深さであると、ラクスは感じた。

――わたくしに、分けてください。
   あなたの苦しみを、
   悲しみを、
   痛みを・・・。

ラクスは瞳を開いてキラを真直ぐに見つめた。

――そして、受け取ってください。
   わたくしの、想いを。
   カガリと、
   アスランの、
   願いを。



ラクスはキラに呼びかける。

「キラ。」

言葉は聴覚を刺激しているはずなのに、
まるで闇に吸い込まれていくように何も返ってこない。
ラクスの言葉は想いをのせて、
キラのもとへ飛んでいく。
しかし、言葉は紡がれた瞬間に空気に溶けて消えてしまう。

目に見えなくなることが消失を意味するのなら、
喪失を意味するのなら、
言葉はこの世界に生きる一瞬でその生を終えることになる。
それでも、言葉は残る。
実存する物質に記さなくても。
何も無くとも、何も身につけていなくとも。

――キラの言葉は、
  今も、わたくしの中に刻まれています。

キラとラクスの言葉が、ここにある。
故にラクスは、紡いだそばから消えていく儚き言葉を、
諦めない。
キラに届くと、信じているから。

キラの想いをのせた言葉は、
今もラクスの中に息づいているから。

ラクスは呼びかける。

「わたくしは、
キラを愛しています。」

「それが、
わたくしの真実です。」

「永久の、
真実です。」

ラクスの澄んだ声が
ひとつひとつ、清らかに響いていく。

「あなたは、キラです。
わたくしにとって、
あなたは、キラです。」

「わたくしは、キラと出会えた奇跡に、
感謝しています。」

「ですから、
キラがこの世界に生を受けたことに、
わたくしは、感謝しています。」

「たとえあなたが、
メンデルで誕生したとしても。」

微動だにしなかったキラの指先が、
微かに動く。

「わたくしの目の前にいるあなたは、
コーディネーターの夢でも、
傲慢に描かれた未来でもありません。」

「あなたは、キラです。」

「メンデルで成されたことは罪でも、
キラが、
キラ自身が罪なのではありません。」

「何故なら、
あなたはスーパーコーディネーターである前に、
キラなのですから。」

「キラがキラであることは、
作られたからではありません。」

「キラがキラであるのは、
キラがキラとしてあることを望んだからです。」

「あなたは、
あなたの望みです。」

「そして、
わたくしの望みです。」

「わたくしは、
キラと共にありたいと、
望みます。」

「キラを、
望みます。」

「どうか、
わたくしを
望んでください。」

「世界を
望んでください。」



キラの紫黒の瞳から、
一粒の涙が頬を伝った。

世界を拒絶し自己を放棄したキラから世界へ差し出されたもの。
それが、頬を伝う一粒の涙であったとしても、
ラクスはそれさえも愛しんだ。
何故ならそれは、世界とキラが再び触れ合った瞬間であったから。
キラがラクスに、触れた瞬間であったから。

ラクスは愛しみに満ちた微笑を浮かべると、
キラの微かな行為に応えるようにゆっくりと頷いた。
そしてそっと優しく包むように、
キラを抱きしめた。

触れ合った胸から伝う2つの鼓動が
二重奏のように生命の旋律を奏でていく。

「キラ、聴こえますか。
この尊い響きが。
奇跡の響きが。」

それは、生きているという証であり、
共にあるという奇跡。
ラクスのぬくもりが想いをのせて、
息吹を吹き込む春風のようにキラのからだをあたためる。
そのぬくもりはキラにとって、
メンデルという負の象徴としての自己の実存を意識化させる他者でしかなかった。

そのはずなのに…。

他者を拒絶したキラは、涙を流した。
他者のぬくもりによってあたためられた涙を、
零して、
世界に応えた。

何故――?

キラは、メンデルで凝固した人間の欲望と負の結晶としての証がキラである、
それ故、実存自体に罪を認識し、
自分を責め、
自己を閉じた。
しかし、ラクスは証のすべてを受容し、
真実をキラに、
世界に呼びかけた。

証とは、証でしかなく、
それ自身が持つものを受け止めるのは
自己であり他者であり、世界である。
証とは、そこに存在するだけのものではなく、
自己と他者の受容によってその意味を構築し生成し続けるものである。
だからこそ、証とは、呼びかけることができる。
自己に、
他者に、
世界に。

だからこそラクスは、
キラに、
世界に、
呼びかけ続ける。

決して消えることのない証の刻印を負うキラを、
キラという存在を、
魂を、
愛しているのだと。

それは、
ラクスの永久の真実であると。



ラクスはキラ抱き、歌う。
祈りを、
願いを、
望みを込めて。

あなたに
届きますように。



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