3-30 枯れる



アスランとの通信を切った後も、
カガリはバルコニーから動かず
ずっと宇宙を見上げ続けている。
暁の幻想的な色彩は足跡も残さずに消え、
常夏の蒼い空が何処までも広がっている空。
蒼は、ただそれだけでは寒さを連想させる色であるにも関わらず
オーブの蒼は包み込むようなあたたさを帯びている。
その蒼さに胸がつまる。
その先にいる半身に、
金襴の友に、
大切なひとに、
仲間に、
思いを馳せる。
溢れそうになる涙を堪えながら、
カガリはぎこちなくても笑みを浮かべる。

――みんなの無事を願うなら、
   私は、笑っていたい・・・。

先の大戦を境にして、カガリは“自分の涙”を流すことが無くなった。
オーブの自由の代償として、涙を差し出した。
今やカガリの頬を伝うのは、
他者の思いと感情を吸い込んだ “あなたの涙”だけだった。
それでも・・・。
そどうしても気持ちが溢れる時は、
それを零しそうになる時は、
宇宙を見上げる。

――顔を上げろっ。
   前を向けっ。

そう呟いて。





アスランは右手にネイビーのハロを抱えながら割り当てられた自室の扉の前で、
ひとつ深呼吸した。
ネイビーのハロへピンクのハロからの通信が入ることは無かったが、
この扉の向こうのラクスが部屋を出る前のラクスであるという確証は無い。
ラクスとキラの魂は寄り添うように溶け合うように一つであったが故に、
キラが被った衝撃も痛みも苦しみも悲しみも、
全てラクスも同様に被ることになる。
これまでは、それが2人の強さとして作用していた。
どんなことも、2人で互いを抱きしめあいながら乗り越えることができた。
しかし、メンデルの事実はキラを壊した。
ならば、ひとつであるラクスをも壊す蓋然性は十分に考えうる。
たとえそれをラクスが望まなくても。

――ラクス・・・。

左の手中にある手ごたえが熱を発するような感覚を覚え、
アスランの背中を押す。

――顔を上げろ、
   前を向け。

アスランの瞳には、
暁という生命の息吹を宿したように眼光が戻っていた。



ネイビーのハロがアスランの掌から飛び上がりベルを鳴らして扉を開ける。
「失礼します。」
部屋に入ったアスランは衝撃に打たれる。
「・・・ァ・スラ・・・。」
「すぐに戻るっ!」
アスランは言葉と一緒にネイビーのハロを残して、踵を返した。
アスランを出迎えたラスクは、桜色の髪を揺らし常と変わらぬ花のような笑顔を浮かべていた。
しかし、春の空を思わせる瞳は充血し、
愛らしい目元は腫れあがっていた。
それ以上にアスランに衝撃を与えたのは、
ラクスの枯渇した声である。

――初めて聴いた・・・。

澄み渡る清らかな泉のようなラクスの声は、
どんなに歌い続けても、
呼びかけ続けても、
決して枯れることは無かった。

――それなのに・・・。

ラクスの声が示すものとは、
推し量ることができない程の涙の数である。
アスランはダイニングを一直線に通り抜け、キッチンへと駆け込んだ。
「シェフはいらっしゃませんかっ!!」




アスランから手渡された丸みを帯びた大きなマグカップを
雪のように白い両手で包み込み、
ラクスはゆったりと深呼吸した。
カップからゆらゆらと立ち昇る湯気は香とともに空気に溶けていく。
鼻をかすめるのは爽やかな柑橘と、
それを溶かすような蜂蜜の香。
その奥から控えめに香るのは色とりどりのフルーツとハーブ、
そこに生姜などの薬味のアクセントが加わる。
香に包まれるだけで、
体をあたたかく潤していくのを感じる

。ラクスはアスランへ視線を向け、
柔らかな春風のように笑顔を浮かべた。
バラ色に染まった唇が言葉を紡ごうと動きかけた瞬間、
アスランはやんわりとそれを制止するように言葉を掛ける。
「喉に良く効くと、シェフが言っていた。」
アスランがダイニングへ向かった理由とは、
ラクスの喉を潤し心を落ち着かせるためだった。
「声が枯れるなんて、 初めてなんじゃないか?」
アスランは柔らかく微笑み穏やかに問うと、
ラクスは微笑むように小さく頷いた。
「シェフはこんなこともあろうかと、相当数の試作品を作って研究を重ねていたらしい。
でも、ラクスの声の調子が悪くなることは無いから、
自分の声ばかり調子が良くなると、笑っていた。」
くすり、
とラクスがマグカップで口元を隠しながら笑みを零す。
「それから、
是非感想を聞かせてほしいと、言っていた。」

ラクスは歌う時と同じように遠くへ視線を向けると、
喉元へ片手を当て、ゆっくりと瞬きをした。
「はい。とても気に入りました、
と、伝えますわ。」
ラクスの澄んだ声が響くと、
殺風景な室内に桜色の彩りが波紋のように広がっていく。

目の前にいるひとがラクス・クラインであるという安堵に、
アスランはそっと胸を撫で下ろした。



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