3-29 暁の世界
鼻を掠める潮の香、
頬を撫でる常夏の風、
そして生まれたてのまばゆい光。
――・・・朝・・・?
アスランは腕に頭を預けたまま、
夢と現が溶け合った思考そのままにゆっくりと瞬きをした。
――・・・朝っ?!
一つの答えを導き出すと、勢い良く顔を上げた。
「おはよう、アスラン。」
カガリの向ける朝日のような笑顔に、
自然と顔が綻ぶ。
「おはよう。」
こうして眠りから覚めておはようの挨拶を交わすのは、
2人が今の関係になる前以来のことだった。
共に朝を迎えられたという、
生の喜びと奇跡の言葉。
あたりまえの尊さに気づかなかった、あの頃。
アスランは無造作に髪を掻き揚げながら苦笑した。
「ごめん。眠りこんでしまって。」
――“一時間の仮眠”に、やられたな・・・。
アスランに栄養価の高い食事と十分な睡眠を摂らせる、
それはカガリが仕掛けた策略だったと、彼女の満面の笑みから悟った。
「気にするなって。それより、こっちだっ!」
カガリはデスクから立ち上がるとポータブルのモニターを持ってバルコニーへと急いだ。
「お、おいっ。」
カガリの駆ける足に従って上下左右に揺れる画面に、
アスランの表情にふっと笑みが浮かんでしまう。
ゴツンと硬質の音がして画面が高い位置に置かれた。
画面下方に金糸がちらつく事から、どうやらカガリは頭上にモニターをのせたらしい。
「間に合ったっ!」
と、カガリの弾む声と共に映し出された映像に、
アスランは息を呑んだ。
「夜明け・・・。」
名残惜しげに星が煌く、瑠璃色の宇宙の色彩。
風にのって運ばれる、海岸線に打ち寄せる穏やかな波音。
宇宙と地球が触れ合うその場所から光が射し、
瑠璃色の空は光をうつしたように白く輝き、そこへ茜色や淡紅色が溶け合っていく。
微かに帯を成す雲は鮮やかに染まり、
海の水面を彩が滑るように揺れるように泳いでいく。
淡紅色から常夏の蒼へと移ろう空で、
西に大きく傾いた月は白く身を窶し、
明けの星はしとやかに瞬く。
白銀と黄金が溶け合ったような朝日は、
透明でいて柔らかな日差しを刻々と増していく。
そして東の空から瑠璃が消え、
そして茜と淡紅が消え、
何処までも続く抜けるような蒼い空と、
絹のようになめらかな雲、
それを映し出したような蒼い海と白い波が現れる。
心が震えた。
生命が始まるのだと、本能が言った。
「私は、この世界が大好きだっ。」
カガリの声が聴こえる。
まるでアスランの心を世界に伝えるように。
「世界って、本当に綺麗だ。」
何の形容も無い言葉なのに、
言葉の枠に収まらない感性を余す事無く乗せた声。
「暁を見る度に思うんだ。」
――あなたを、
お父様を、
思うんだ。
みんなを、
世界を。
「この大好きな世界に、生まれてきて良かったって。」
――あなたと、
お父様と、
みんなに・・・。
出会えてよかったって、
この世界で。
「アスランも、そう思わないか?」
カガリの凛とした明るい声は微かに震え、潤みを帯びていた。
アスランの瞳に膜がはり、カガリの好きな、
アスランも同じ思いだと気づいた世界が、
蜃気楼のように揺らめいて頬を一筋の涙が伝う。
求めていたものが、
そこにあり、
欲しかった言葉が、
胸に残る。
「そう・・・思う・・・。」
アスランは掠れた声で言葉を落とすと、
震える掌で口元を押さえた。
「アスラン・・・。」
――私は勝手なことを言おうとしている。
直接力になることが、出来ないのに。
今アスランは、ぼろぼろで、
それでも、
がんばってるのに・・・。
頭上にモニターをのせたままのカガリは、
音も無いアスランの返事を知覚したかのように、
――でも、言わなくちゃ。
ゆっくりとモニターを目の前に運んだ。
朝日に照らされた髪が風に舞い、
太陽の光の粒を撒いたように輝き、
琥珀色の瞳が朝日を宿したように煌く。
――綺麗だ・・・。
アスランの目の前にあったのは、暁の姫の微笑みだった。
「ありがとうな。」
そして。
「ごめんな。
全部、背負わせて。
辛い思い、させて。」
カガリの表情が悲痛に歪んでいく。
「そんなことはっ。」
アスランの否定の言葉に首を振る。
「無理なんてして欲しくないっ。
アスランには、自分を大切に、して欲しい・・・。」
「でもっ、今は、アスランしかいないんだっ。」
「だから、もう少しだけ・・・」
琥珀色の瞳に朝露が降りたように膜がはる。
「がんばれっ。」
カガリの想いとアスランの想いが
距離を越えて胸の内に流れ込み、
溶け合う。
暁の空の、
瑠璃の闇と金色の光のように。
「ありがとう。」
アスランは穏やかな微笑みを浮かべた。
暁の世界を、その胸に。